見出し画像

#89 真実の瞬間

昔、スペインで闘牛を見た。

見る前までは楽しみだったのだが、実は思っていたよりつまらなかった。

それはプロレスの興行よろしく6~7試合(?)程あるのだが、まだ顔に幼さの残る若い闘牛士が出場する前座から、スター闘牛士が華麗に舞うメインイベントまで、その全てがホボ同じパターンなのだ。

出てきた牛は、闘牛士の持つムレータと呼ばれる赤い布に翻弄されつつ、飾りの付いた剣をちょいちょい刺され、少しずつ動きが鈍くなってくる。
そうなると、闘いの終わりを告げる「真実の瞬間」(La hora de la verdad)が訪れるのももうすぐだ。

牛の正面に長い剣を構えた闘牛士が立ち、暫しの静寂の後、剣先を一気に牛の心臓まで届かせるのだ。

映画やテレビのように刺す音がする訳でもなく、無音のまま剣が牛の体にスッと入っていく。
牛は一瞬動きを止めたように見えた次の瞬間、その巨体は頽れ(くずおれ)、横たわる。

場内のボルテージが高くなる。
「真実の瞬間」を迎え、息の根を止められた牛は、馬に引きずられて赤く染まった競技場をあとにする。
牛の体が黒っぽい為、あまり目立たないが相当の出血量である。

出てきた牛はほぼ必ず仕留められてしまうのだが、瀕死の状態で終わってくれれば、闘牛士との因縁が生まれ、次回リターンマッチなど、そこにドラマが立ち昇ると思うのだが、正に一期一会でおしまい。

3試合目が過ぎた頃に思う事は「・・こりゃあ参ったな・・」である。要するに飽きてしまうのだ。
ところが観客の熱狂は試合が進むにつれ燃え上がっていく。

スター闘牛士ともなると観客のスタンディングオベーションを受け、牛の耳を削ぎ取り、それを褒美として受け取ることができるという。

ああ、ナルホド。
つまりコレは様式美なのだ。
全てが予定調和の中で流れて行く。
個人的には、それのどこが面白いのだろうと思ってしまった。
しかし、そんな闘牛でも印象に残った事がある。

席によって値段が違うのはあらゆる競技場、劇場でも当然の事だが、闘牛場の場合それがソルと呼ばれる日向、ソンブラと呼ばれる日陰、その中間のソル・イ・ソンブラと3種類ある。

ソンブラ(日陰)が一番高額で次がソル・イ・ソンブラ(日向と日陰半々)、最も安いのがソル(日向)である。それに加えて競技場に近い方が高くなるので、ソンブラの最前列が最高額という事になる。
競技場を光と影が半分ずつ占めた時が試合開始である。


開始時、日の当たっていたソル・イ・ソンブラが競技が進むにつれて段々と影に飲み込まれてゆく。
スペインを語る時に良く言われる「光と影」がここにもある。

強烈な太陽が容赦の無い光を照りつける程、影も濃くなっていき、光とのコントラストが益々際立つのだ。
何とドラマチックな自然の演出なのだろう。
それは闘牛そのもののつまらなさを補って余りあるように私には感じられた。

スペイン人気質と言えるのかどうか分からないが、彼等の陽気な表情の裏側に翳りがチラリと覗く刹那も大変魅力的に映る。

物事には必ずポジとネガがあるものだが、そんな事を感じさせてくれるスペインが私は大好きだ。

ちなみに曇っている日の座席の値段はどうなるかと言うと、そんな事は知らないんである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?