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トーキョー〜日本のブラックホール〜

東京は日々、膨大な情報が飛び交っている。

広告、人、標識、ビル、道、車、鉄道・・・
情報に溢れている。
だから歩いていると読み応えのある本のようで面白い。

訳あって今私は雪深い日本のある地方にいる。
都会の人は、となりのトトロを想像するように田舎生活を語ることがある。

満員電車も無ければ、人も多くない。
食べ物も美味しいし、自然はいっぱい。
人のつながりがあってあったかい。

もちろん便利さを捨ててでも、大自然に囲まれた環境を好む人がいるのもわかるが、「地方いいね!」に実態がない場合が多い。
現実の生活に少し不満があるものの、有効な脱出策を打てないでいる人の妄想とリンクしている。
都会と同じような生活インフラを想像して語られている実体なきユートピアに過ぎない。

地方で多くの人に話を聞くと10人中8人は利便性を抱えたトーキョーへの憧れ意識が強い。
吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」的世界観だ。

「あ〜、テレビもねえ。ラジオもねえ。車もそこまで走ってねえ。」

もとい

「あ〜、原宿ねえ。電車もねえ。よそ者あんまり好きじゃねえ。」

が近いかもしれない。

確かに地方は東京と比較し、物珍しい文化や人があったりして、一時的には面白く見えるだろう
だが、ユートピアでは決してない。
その街はその街である。

広島は東京と比較しての広島ではない。
福岡は東京と比較しての福岡ではない。
新潟は東京と比較しての福岡ではない。

その街はその街である。

東京と同じようなインフラを作ったり、スターバックス等の飲食店を進出させてもどこか薄っぺらく感じるのは、その土地の歴史に紐付いていないこともさることながら、そこでやり取りされる情報の密度が薄いからだろう。

だが、東京近縁の地方民が憧れる東京の出生率は全国最低だ。

だが、そこに人は集まる。

人を飲み込みかき混ぜ吐き出すことはないブラックホールのようである。

だからこそ歩いていて、おもしろくはある。

めくるめく都市絵巻。
おもちゃ箱をひっくり返したように様々な顔が現れる。
鶯谷でラブホテルに遭遇したと思いきや、墓地群が現れ、東京芸大などの学園都市が顔を出す。

東京という名のブラックホールは
人を飲み込み、再生産することはなく
都市に儚い彩りを残す。

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