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KISYURYURI THEATER
貴種流離シアター

足立区綾瀬駅からバスに乗り、2つの小学校を越えたところにある小さなハコがある。

工場をリノベーションしたというその劇場は、郊外に在る。
その閑静な風が静かに吹き込む、現実との心地よい間合いを実現した空間。

不気味さがあるようで包まれるかのような安心感もある。


9月1日。
そんなKISHURYURI THEATERでは「MIROKU」という作品を公演していた。
今回は運よく紹介受け、訪れた。
ミュージカル好きの親友を連れて。

※この先はネタバレも少々含まれる。あらかじめご留意の上、お読みいただきたい。
※また私のブログはジャズスタイルのため、話の流れが組み建っていないように感じられると思う。あらかじめご容赦を。

…………

女とは繊細な生き物だ。
そして、呪術的である。

今世に生きる女性の中にも、薄れつつあるが、その力は継承され続けている。
けっして電波なことではない。
実在している能力の話である。

……

主人公の女性の中には2人の性格が共存する。
一方は明るく、怖いもの知らず。
もう一方は、常に周囲におびえ、自分を責め謝り続ける。

一方の性格に生き、上手くいかないと別の性格で元をカバーする。
そうやって別の性格を作りだしていき、やがて、どれが本当の自分なのかわからなくなる。

主人公は、自ら作り出した混沌の狭間で揺れる、現代社会に生きる、もろくはかなく、でも、死なない程度に強い女性の象徴であった。

…………

私にも覚えがある。

それまで、脅迫と反逆の間で高速にエンジンを回し、順風満帆だった「わが道」を、真っ向から否定される出来事が起きた。

中学1年生の時であった。

下町の学力の低い街で小山の大将をしていた自分が、中学受験で大海に出た。
環境が変わり文化が変わり常識が変わった。

今までの優越感・幸せ・友情、すべてを失い、
権力を振りかざす事しか人を統率する方法を知らなかった私は中学1年で経験した、クラス事件を期に、自分を見失った。

その中で行きついたのがアニメ・声優オタクのグループで、いままでの価値観を覆してくれる大きな沼だった。

大きな沼から現実に戻ってくる高校2・3年の時。
信じてくれていた、応援してくれていた、唯一の味方だと思っていた、
身内にプライドを傷つけられた。
自分の存在価値を見失った。

頑張ろうとしていた勉強が手につかなかった。
何のためにこの学校に入ったのかがわからなくなった。

なにもかもがわからなくなった。

……

私は一人。

私が全部悪い。

私が間違っていたから許して。

謝るから許して。

…いや許さなくてもいい、私がいなくなればいいんだから。

業の深い私は、こんな世界には必要ないんだ。

時折、そんなことを思う。

……

数年前、自殺を考えたことさえある。

毎日、渋谷の山手線のホームから帰ろうとするたび、死んでしまった方が楽だと思ったこともある。

だからそこで死なないように、わざと原宿駅まで歩いて帰っていた。

原宿駅は狭すぎて、若者でうるさくて、そんな思いから気分をそらすことができた。

……

でも、死んでしまったら終わりだと、
あるとき、なんとなく、なにかお告げのような思考が降りてきた。

それは、自分と精神的に向き合い、チャクラを意識し、
過去退行催眠を何度か試みていたころ。
ちょうど1年くらい前だったと思う。

自分の生きる意味。
自分の人生の意味。
自分の過去への悔。

自分の知らない、過去の自分の中心ーなかーが教えてくれる。
そんな現象がふと、起きるようになった。

……

”なか”は上の世界からやってくる。

諸説あるがよく聞かれるのは、上の世界で修行をして、また地上に堕とされるというシステムである。(同じ魂が様々な時代で同時に生きている、という説もあるが、今回はおいておこう。)

上の世界の修行が終わり地上に来る頃、”なか”は、地上に生まれ出でる新しい体とのスロープに導かれて、現世にやってくる。

…………

劇中では、主人公の中で、彼女が作り出した二面性同士が対話するほかに、主人公の”なか”が上の世界の住人と会話をするというシーンが出てくる。

そこで、彼女の”なか”の人生背景も描かれる。
”なか”がなぜ彼女の人生を生き、過去世になにがあったか。

何を思いやってこの人生に託しているか。
どうして彼女の体だったのか。

それを感じながら観てほしい作品だ。

…………

もう一つ、特記すべき要素がある。

登場人物「実業家」。
彼は主人公の彼氏である。

金こそがすべてと、人に対する愛情を忘れ、不敵に笑う。

彼もまた、人生に意味を見失ったものだった。
しかし、己と向き合わずに、自我を強めることで、その悲しみから目をそらしている。
そういう人物だった。

主人公と彼は、人生を死なないように生きているというところでは似た者同。
「ああ変な女につかまっちまったなぁ!」
彼はそうわめくが、違う。
なるべくして、なったのである。

だが、彼と主人公では、魂の研鑽レベルが違う。
だから彼女が彼を導き、彼をまた彼女の子が導くのである。

…………

人と人の命は輪のように交わる。

そして、”なか”と”なか”もまた、
上の世界と堕とされた世界で交わり合う。

魂を磨くため、幾度も繰り返す。

…………

人と交わると、上手くいかないことは多くある。

しかし、上手くいかないことであきらめず、相手の”なか”に問いかけて、また相手が自らの”なか”と対話できるようにサポートさせてもらう。

それでお互いの人生、交わり合うものの多くの人生が、より良い修行となることを、頭の片隅に置いておきたい。

そんなことを感じた作品だった。

世界観を理解するには、過去世やアカシックレコードといった事に関する知識があるとより楽しめると思うが、なくても物語に乗っていれば、その理は理解できるであろう。


久しぶりに演劇鑑賞のレビューを書いたので、読みにくい部分はあったかと思う。

最後に、読みにくさについて、ここまで読んでくださった御礼とお詫びをお伝えしたい。






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