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one day photo_31:そのカメラの理由

登山をしに行くときに持っていくカメラがいつも困る。
普段自分の基準にしているのは40㎜になるんだけど、山に行くのにブログのこともあって中々40㎜一本というのが、この季節は難しい。
秋口くらいからの山は全然それで歩けていたけど、6月くらいからになるとどういうわけかもったいない病というか、不安な気持ちに駆られて標準ズームをつけていることになる。

展示をやりたいな、作品を作りたいなと思って色々調べるうちに、自分のフォーマットはオールオーバーかつ中心合わせで中判や大判を使っているタイプの作家なんじゃないかというのは日記で何回も書いているけど
最終出力と撮影時の体験を極力一致させる機材を選ぶようにして今のものを選ぶこととなった。機材を選ぶときは最後の出口から逆算すると迷わなくなると最近思う、これはお勧めで新機種出るたびに悩まなくて済むようになるし、自分に必要のない機材には興味がわかなくなる。
あと現像で迷子とかもそれは要はリファレンスやコンテクストが無いということなので、それも並行して無くなる。節子それは勉強不足なんや、と。
かくいう自分の場合はニコンと富士を使っているが、Z8や9には興味がないというか必要な機能が無いので選べない。Z7IIと同じような高画素機なのにこの二つはアスペクト比5:4が搭載されてないので撮影時に中判みたいな感じで対象を見るみたいなことはできない。あとから切るのは出来るけど……撮影時の見え方違うのは僕はダメだった。
ニコンと富士で面白いのは5:4モードを使っているときにニコンはRAWも5:4になるのでクロップ部分は記録されない漢の仕様で、フジはあくまでクロップ対応なので現像ソフトでRAWを見ると範囲外も残っている優しい仕様になる、撮影時はどちらもクロップで見ることが可能だけど。

前述のとおり僕の場合は中判や大判といったフォーマットが好きだし、デジタルでそれを模倣しに行く、フィルムの身体性を伴わず情報だけ合わせる虚無、デジタルコピーな感じがコンセプトの中に組み込まれる予感がしている。(コロナ後で考えると身体性の欠如が加速するんじゃないかと思ってるんだけどそういうものが無い、情報にフォーカスしたものが今後は出てくるのかなぁ、どうなるんだろう、何が出てくるのか楽しみです)
というのもあって、アスペクト比で1:1.25に近いものが選べるカメラを選ぶ必要があった。ニコンの場合はD850とZ7系しかこの機能はないので、選択の余地が無い。フジの場合はX-T5やGFXがこの辺をカバーしていて選択の余地が多い。あとはシグマにも67アスペクト比がある。それ以外のメーカーに54や67比率のアスペクト比モードは無かった気がする……。紙に出すときのことから逆算するとカメラってあんまり悩む余地が無いなと思う。
X-T5ってすごくて、27㎜つけて歩くとすごく軽いのに中判みたいなことが出来ると考えるとこれが一番良いと思う。超軽量マキナ7みたいに思えてますがあってるんでしょうか。

次にレンズだが、僕の場合は絞って情報を均一にしつつも中心を使うので、中心が特に大事になる……という情報をもとに海外の評価サイトの数値見本を見るとなんとなく選べるようになる。これも最後の出力というか自分がどの系統、どのスタイルを採用するかを考えると必要なレンズが必然的に絞られんじゃないかなぁ。
上記の情報と自分の手に合うかを並べると、選択肢はかなり限られるんじゃないかなと思う。僕はニコンだと24-70f4か40mmf2で良くて、24-120f4はあまり使う理由が無い。富士の場合だと23㎜f2か27㎜f2.8で良い。みたいなことを、本を読みながら考えたり、山に登る季節が来た。
百名山は92座になりました、早く終わらせて次に進みたい。
あと西洋美術史やってる中でユトリロっていいよなー、あの辺のフラットでオールオーバーだけど情報量落としていくのいいよなーとか思っている。
オールオーバーで情報量が1億画素越えてるようなブリューゲルとかよりも、印象/象徴主義時代位が参照元としてあっているのでは?と思えている。


登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。