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Sugarpractice、「頑張る」よりも「楽しい」ことを

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こんにちは、登山ブログを書きながら一年毎日スナップショットを取り続けているRedsugarです。2019年10月から始まったsugarpracticeも10月まであと4か月になりました、残りの4か月間1日も撮り逃すことなく続けれるか楽しみです。
5月は自身の昇格試験であったり仕事が忙しくなったりで何をするにも時間が取れず、写真も全くインプットに情熱を持つことができず山も手につかないという非常に過酷な1か月となりました。
社会人になっても論文や試験というのは平然とやってきて、それに受からなければ企業の中でポジションを固めるのは大変だったりします、なんでこの仕事選んだかなーという気持ちで胸がいっぱいな日々でした。

全くやりたくない試験勉強と、それに引きずられていった日々のスナップ、今週は義務感で続けることに意味はないよってことと、どうやったら楽しくなるかなということを考える週でした、またかよ。

あ、あとこのsugarpracticeのまとめですが、6月以降は夏山シーズンスタートということでしばらくお休みいたします……、ほぼ毎週登山でいなくなるはずなのですが、余裕ができたら更新するスタイルでいきたいと思います。

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在宅が続いている状況で夕方、朝方の撮影をルーチンにすることが何とかできましたが、ルーチン化したことにより「慣れ」が発生するとやはり楽しくなくなってきます。

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楽しくなくなると何やってんだろうなって気持ちになってアイデアが浮かび出てこなかったり、そもそもの情熱が低下していきます。

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そんな非常に良くない状況に陥ったのが5月、これらの写真はその中で撮影されていきました、新しい何かを探すんじゃなくて、家を出て植え込みの木々を見つけてそこでとりあえずこれでいいかなみたいに撮る。楽しいことがないとこうやって人間死んでいくんだなというのを感じる週でした。

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在宅の日々は楽です、通勤って本当に無駄な時間なんだなって実感できるし、自分の時間を比較的確保できるし、寝たいときにすぐに寝れる。楽です。でもその引き換えに何かを失っている気がする。

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週末外に出られるよって話ならまた違ったんでしょうけども、運動量は減るし感覚も鈍るというのはあながち間違いじゃないのかも、最初は新鮮で、毎日畑に行けるのも楽しかったけども。忙しくなったりプレッシャーがかかり続けると趣味を楽しむ余裕もなくなります。

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楽しくなくなったら赤信号。僕は絵を描くことを生業として今の職種に就きましたが、その時と今を比べて思うのは、芸術分野において真面目であることは別に強みでも何でもないなということです。

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僕は真面目か否かでいうと相当まじめな部類だと思います、だってこれ半年以上続いてるし、百名山も子供いるのに70座近く登ってブログの記事も描いてる……、絵を描いているときも毎日ポージング素体を描いて寝ていたくらいです。

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真面目な結果、会社という組織や個人の信頼という意味ではあるのでしょう。キャラクターイラストレーターとして活躍することもできましたが、フリーランスで10年以上生活していけるような未来は思い描けませんでした。
イラストの世でいえば10年絵で食べていけるような稀有な存在は正直一般人とは素性が違います。
でもでも、最近はそこに比肩するような上手な子も今タケノコのように育ってきている、10年前と何が変わったんだろう?

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僕はPIXIVとSNSの登場がイラストの業界を変えたと思っています、ソシャゲのバブルはそれに比べるとあんまりだったかな。
SNSで変わったいい部分は写真とイラストは共通してあるんじゃないのかな。
職能として真面目に技術を身に着けて生きていくことと、自由な感性で好きを突き詰めて生きていくことは、外から見ると絵を描いたり写真を撮っている行為として一つに見えるけど全く違う話です。
イラストに関しては後者の価値観がSNSの拡散で一気に主流になり、結果美大には受かるようなタイプじゃないけどイラストに関しては抜群にうまいような子がたくさん現れました。

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自分と彼らの差分を考えたとき、職能としてコツコツ技術を磨いていくことよりも、自分の好きなことを表現するために努力する、その時の情感に従って毎日楽しく生きるという部分の振り切り方が違うんだなということを感じます。
もちろん僕も好きなこと以外なるべくしたくないんですけど、どこか安定志向があるから振り切れない、だし、好きのレベルが負けているんだろうか。
そんなことを考えるわけです。

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sugarpracticeを続けて半年以上が立ち、好きな時と嫌いな時がありました、興が乗るとき乗らないとき、常に乗り続けれるように楽しいことを探していけるようにすれば、気が付いたときには遠くに行ける気がします。

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そのためにはたまには休んでもいいんじゃない?忙しい毎日の中でプレッシャー感じてまでやって、後悔してもよくないんじゃない?そう感じることもあります。だからとって辞める気はないんだけども。

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上手になることが楽しいという状況において楽しくなくなるっていうのは本当に困ります、どうやったら楽しくなるんだろう、そう考えたときにやっぱり余裕なのかなぁと。
それは時間に起因するもの、仕事のプレッシャー、家族のプレッシャー。
ここがすごく大きいんじゃないかなと感じています。

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義務感が強くなった時点で、それはもう伸びしろがない。絵の時も思いましたが、何にしても義務感でやってる人と楽しんでやっている人では勝敗ははっきりとします、楽しい奴がほぼ勝ちます。

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そんなわけでまとめ記事は一旦定期での更新はやーめよっということにしました、これでどれくらい日々の撮影の気持ちが変わるのか、変わったらまた書こうかなと思います。
あ、ちなみに5月の後半は非常に雨が多くて、この鱗雲の日をさかいに雨が降り続けました。

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朝日を取り続けて3か月、毎日視点が変わるから飽きる事なんてって言ってきたけども、いやさすがに飽きる瞬間もあるがなというのが今の気持ちです。毎日同じ畑に出勤してれば飽きるって。

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K-1とD850という2台体制だからこそこの在宅期間を乗り切れたのかなと思います、正直片方一台だったら、もっと楽しくなかった。

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雨の日は雨の日で、モノクロ設定をいじって一味違うモノクロ開放区で楽しむこともできました、モノクロ設定でいえばNikonはPENTAXよりも優秀です。モノクロを使うならNikonを使いましょう。

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曇りの日、試験が近づき30分だけ撮影に行く、そんな毎日が本当につらかった。

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逆にとっとと終わらせて家に帰ろうと思うから、確実にこれなら選べるっていう被写体と設定を無意識に選んだり、そういう効果もあったはあったのですが、なんかつらいなー、仕事なら耐えれるんですけどね。
そういう部分であくまで趣味って一線を無意識に引いてる自分が悲しいわけです。

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この記事を読んでいる人は、何かを頑張ったりうまくなろうとしている人もいるかもしれません。もし義務感が強く出てきて、楽しいっていう気持ちを上回る状態になってきていたら、少し環境を変えてみてはいかがでしょう?
上の写真は撮って出しに飽きたので現像してみた一枚。

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目新しい発見や、緊張、非日常、楽しいことに向かう時期と、安定を求めて落ち着く時期はバランスがとれていてほしい。でも安定は気持ちがいいからそこにいたくなっちゃう。
「続ける」ということの恐ろしさは安定してきた後にあるとおもっています、続けるのはいいけど慣れたり感動が薄れるのはよくない。
ということを考えさせられた、5月の試験月間でした。

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さて、試験も終わり落ち着いたかなと思ったら今度はコロナ明けで全社出勤しろと言われたり、夏山シーズンが始まりそうだったり、変化がやってきます。
その変化におっくうになっている自分を確認できたのも5月末、ぬるま湯につかるとよくねーなと思ったので、少し環境を変えたり身体を動かせるようにしていきたいです。

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というわけで今回は写真の解説なくほとんど私の考えていることを書きだす周となりました、今週は今まで見たような写真が基本的に多かったので、特にいうことなしです。

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6月からは少し気持ちを切り替えていけるといいなと思います、手始めにレンズでも買おうっかな。PENTAXの。

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好きなことだからうまくなりたい、うまくなるために練習する。練習を効率的にするために考えて、継続する、それが義務感を産む……。
効率なんて考えなくていい、ゲームばっかしやって効率厨になって、それを現実の趣味に持ってきてもしょうがない、人間の成長はゲームと違ってパラメーターに数値割り振るもんでもないのです。

好きなことだから楽しみたい、楽しむためにいろいろ楽しいことや知らないことを探して経験する。
こっちのほうが、今の僕は好きかな~。

登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。