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阿波水軍 森氏とは? 徳島県阿南市椿泊町の松鶴城を居城とした阿波水軍 森氏の歴史と椿泊町! 佐田神社 だらだら祭り! 椿泊港で獲れた魚はどこで食べられるか?

🟣阿波水軍とは?

阿波水軍(あわすいぐん)は、森家が率いた阿波の徳島藩の水軍のこと。


●歴史

森甚五兵衛(もり じんごべい)という名は代々、森家の当主に襲名され、その当主ごとに甚五兵衛の後ろに名が通常付けられた。

森家は、豊臣秀吉により1590年に天下統一される以前から、阿波の水軍の長であった。そのため阿波水軍は狭義の意味では、徳島藩の水軍の意味であるが、広義では、安土桃山時代の頃の蜂須賀家の阿波入国以前の森家の率いる水軍を指す。

朝鮮の役、大坂冬の陣及び大坂夏の陣の功績など徳川家の幕藩体制が確立する過程で重要な役割を果たした。

蜂須賀家支配下の徳島藩にあっては、水軍の長である森家は、藩の中老職にあり、参勤交代をもっぱら担当した。また、16代目森甚五兵衛村晟(むらひら)は明治維新の際、戊辰戦争に明治政府側に家臣団を連れて従軍し、各地を転戦した。


◼️阿波水軍 森家は、蜂須賀氏が徳島藩の大名として入国する前から、阿波国(徳島)にあり、豊臣秀吉の朝鮮出兵にも参加した。

また代々、蜂須賀氏の中老として参勤交代における瀬戸内海の海上移動などで重責を果たした。

細川氏・三好氏の時代から阿波の土佐泊(鳴門市)を拠点に水軍として活躍した森氏は近世においても水軍区を家職とした武家であった。

「古事記」によると、森氏は本姓藤原、俵(田原)藤太秀郷の末裔とされる。

因幡出身とされる家祖 佐田九郎左衛門(のち九郎兵衞)は、森飛騨守と久米安芸守の取次で阿波国守護の細川氏に仕え、名東郡西黒田村(徳島市国府町)で三八貫が給されたが後にこれを没収された。

松永久秀に一時仕えたが、程なくして久秀のもとからも去った。

二代目の森 元村は、森飛騨守の姓を譲り受け、森志摩守と改名した。

天文年間初め、讃岐諸将が伊予河野氏と呼応し、阿波侵攻の報せを受けると、元村は土佐泊城に、四宮和泉は北泊城に配され守りを固めるとともに元村は引田の寒川氏を攻め勝利したという。

後に元村は隠居し、板東郡沖野原(鳴門市大津町)で兵力を蓄え嫡子 村春が土佐泊城を結ぶ吉野川の中継地点に位置することから森氏は細川氏・三好氏のもとで吉野川本流と阿波玄関口を掌握したのではないかと考えられている。


🟣歴代当主

続き



◼️徳島県阿南市椿泊町の位置


◼️徳島駅から車で1時間20分。椿泊町の道は非常に狭く軽自動車がやっと通れるくらいなので注意が必要。

【電車+バス】
徳島駅から牟岐線 阿波橘駅 
阿波橘駅から橘営業所バス停まで徒歩 20分
橘営業所バス停から椿泊線で小吹川原バス停(最終地)下車


◼️森家の始祖が祀られる佐田神社


◼️椿泊町にある佐田神社で毎年9月中旬の土曜から月曜にかけて行われる秋季例大祭は別名「だらだら祭り」と呼ばれている。


阿波水軍の長、森甚五兵衛の一族を代々讃えると共に豊漁を祈願して行われていたが、祭りの期間が決まっておらず、1日で終わることもあれば20日間ほどだらだらと続くこともあったとされている。

現在では祭りは3日間と決まっているが、気の向くままに神輿が海に飛び込んだり、休憩を挟んでは酒宴を楽しむ様子が見られ、何時まで続くかはその日次第。


祭りにはだんじり(山車)や阿波踊り、餅投げなど様々な神事があるが、特に海上で行われる豪快な水中花火や、海上神輿渡御に漁船団のパレードなどが見られる2日目の「岬まつり」は必見。

●椿泊だらだら祭り



◼️森家代々の墓は道明寺一帯にある。



◼️阿波水軍 森家代々の墓がある道明寺、佐田神社。

民宿 ゆきや荘では、阿波水軍料理(海鮮料理)が味わえる。旨さもボリュームも凄い。

◼️阿波水軍料理 ゆきや荘


◼️徳島県阿南市椿泊町にある椿泊小学校に阿波水軍 森家の居城である松鶴城があった。今は石垣が残る。



◼️松鶴城(しょうかくじょう)とは?

徳島県阿南市椿泊町にあった日本の城。

別名は椿泊城。

◼️歴史

鳴門市の土佐泊城を本拠地としていた森氏の2代目の森村春が、1586年(天正14年)に阿波国へ入った蜂須賀家政から福井庄椿泊など約3,000石を与えられ、この地に移り住んだとされる。

森家4代當主の森村重の際に徳島藩の海上方に任命され、それ以後、松鶴城の城主は代々「森甚五兵衛」を名乗った。そのことから森甚五兵衛屋敷とも呼ばれる。

松鶴城は現在の阿南市立椿泊小学校に築かれており、小学校の西側に松鶴城の石碑があり、南側の石垣が遺構である。


◼️森久村と阿波水軍 森家






以上


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