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香川県高松市屋島 塩竃神社! 東かがわ市引田出身の梶原景山が塩田開拓!

🟣讃岐三白

江戸時代、香川県の貴重な財源となった讃岐三白(砂糖、塩、綿)😃

●綿は西讃の仲多度郡、三豊、観音寺市で讃岐の生産量の半分近くを生産


●砂糖、塩は東讃😃

白砂糖の生みの親は東かがわ市の向山周慶と関良介→向良神社、和三盆


塩は東かがわ市の梶原景山が屋島、久米通賢が坂出の塩田開発→日本一の生産量だった😃


🟣屋島 塩竃神社

訪問日: 2022/6/1

祭神: 塩椎神

住所: 高松市屋島西町浜畠817

●高松駅から来られる方は、高松駅近くのコトデン築港駅から瓦町駅で、志度線に乗り換え潟元駅まで。潟元駅から塩竃神社まで3Km、徒歩18分。


●屋島西町には、八坂神社、塩竃神社、鵜羽神社がある。


●塩竃神社は、屋島半島の西側付け根、屋島西小学校の東200m程の辺りに鎮座している。

高松藩中興の祖と言われる五代藩主 松平頼恭(よりたか)の命により、讃岐で最初に開発された本格的な入浜塩田が、屋島西海岸の潟元に開かれた「亥の浜」。 東かがわ市引田出身の梶原景山が一族の再興をかけて苦心の末、塩田開発に成功した。

後に砂糖・綿と並んで「讃岐三白」と呼ばれる讃岐の塩の基礎を創った、梶原景山を称える石碑が境内に建っている。

●塩田開拓者 梶原景山 《案内版》より
第五代高松藩主は藩財政を豊かにするため、梶原景山に潟元の浜を開くことを命じた。

宝暦三年(1753)塩田開拓にとりかかりましたが、なかなかの難工事、播州赤穂から塩田経験者を呼びやっと亥の浜塩田を開くことに成功、その後も工事は続きましたが、景山は45歳で死去。その業績をたたえる石碑が、潟元塩釜神社に建立されました。
<高松観光協会>


●梶原景山

没年:安永1.12 (1773年)
生年:享保12 (1727年)

江戸後期、讃岐(香川県)木田郡潟元村(高松市)の塩田開拓者。

名は景弼,通称重太夫。景山は号。

鎌倉幕府御家人 梶原氏の裔で、大内郡引田生まれ。

一族の衰微を製塩事業によって復興することを志し、29歳で潟元干潟の干拓を計画。

自らも工事に携わる一方で、製塩先進地の赤穂(赤穂市)や松永(福山市)から熟練者を呼び、苦心の末宝暦5(1755)年23町歩余の亥の浜を、同7年には19町歩余の子の浜を築造した。

この塩田干拓により17戸の寒村が300戸余の村となったと伝える。


●コトデン潟元駅


●梶原景山について









●屋島西地区に流れる川


●竹林



●周辺の川



●屋島健康ランドは、閉鎖されていた。



●屋島健康ランド


● おしゃれな賃貸アパート




以上 



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