見出し画像

夫婦関係。私は言ったよ。

私の考え。

もし自分に思いがあり、本当にその気持ちが強いのなら、何をおいても主張するべき。髪振り乱して、泣き叫んで、腹の底から怒って要求する。そうあるべき。

しかし、妻はそうではない。

妻の考え方。
わがままである事は、悪である。自分が相手に何か伝えて、相手が拒否するのであれば、自分が引き受けるしかない。自分がやるしかない。しょうがない。

それは妻が育った環境、父母との関係、兄妹との関係、これまで付き合ってきた男性との関係を反映しているのかもしれない。そこで培った対応の仕方で、乗り切ってきた。辛いことがあっても、そのやり方で生き抜いてきた

そのやり方が、私との夫婦関係にも適用されている。




堂々巡りの議論。
私:本当にそうしたいなら、言ってくれればいいじゃない。
妻:私は言ったよ。何度も言ったよ。

妻の言ったは、自分の恥ずかしい、わがままな、理解されないだろう本当の気持ちを晒し、さらけ出した上での、言ったではない。(少なくとも私はそう感じている。)
世の常識に照らして〇〇、普通は〇〇、ママ友たちも言っているけど〇〇だという、一般論、正論。妻はおそらく、どこかの時点で、自分固有の欲求、心情、希望を吐くことをやめた。子育て、家事、生活を優先することで、自分の本当の気持ちを伝えることをやめた。諦め。

しかし、我々夫婦が話し合わなければいけないのは、まさに、ここにいる二人が、二人の本当の気持ちに基づいてどうするか。家族固有の課題や状況に、固有の二人がどう対応するかが必要であり、そこに一般論や常識はいらない。というか、通用しない。それで、事は処理できても、気持ちは処理できない

なぜなら、妻、私、二人で育む個性が抜け落ちているから。

私は、妻の本当の気持ちが聞きたい。そして、本当に幸せになって欲しい。その力になりたい。

また私の気持ちも聞いて欲しい。受け入れて欲しい。

ただそれだけ。
ただ、それだけが難しい。


以上、今日も「考える葦」に来ていただき、ありがとうございました☺️


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?