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原典における竜馬と隼人の不思議メモ

漫画版と東映版を読んで調べるうちに、似たようなエピソードを持たされていることに気づいたのでメモ。気のせいかとも思ったがあまり言及されていないようだし。
また以下に書く相似性とでもいうような物は竜馬や隼人と武蔵や弁慶との間や、後の一号機乗りと二号機乗りの間では存在しない。あくまでも竜馬と隼人の間でのみ散見される。

2022.09.03追記
答え合わせにも近い情報を頂いたので別記事にまとめました。
結論から言うと、下記の奇妙な入れかわりや相似現象は意図的であり、漫画版においては「流竜馬≒神隼人」だったろうという考察です。

《竜馬と隼人の似てるけど似てないまとめ・サーガ内のみ》

竜馬の顔面に傷→隼人の顔面に傷→竜馬の傷を隼人に寄せた?
漫画サーガ版無印内のエピソードで竜馬は顔面に傷を持つことになる。その傷はG序盤でも描かれ、後には號序盤でも描かれた=終始消えた訳ではない。
隼人は號序盤のエピソードでやはり顔面に傷を持ち、普段は見えないだけ、とされた。鼻に斜めにかかる傷などは竜馬の傷に似ていなくはない。
そして竜馬再登場、やはり竜馬の顔にも傷は描かれた、が、何故か無印Gの時とは異なる傷となっている。顎の三本の傷などは以前には無く、隼人と同じ。
(漫画版アークでの隼人の髭はゲッターに乗せることができず傷を見せられないがため、同じような形で髭を描くことで傷の代替としたのではないか、とは疑っているが完全一致するわけでもなく疑惑の域を出ない)
隼人の髪の毛伸びる→竜馬の髪の毛も伸びる
隼人の髪の毛が伸びたのは時間経過表現や幾分東映版のイメージなどもあったかもしれない(G終盤とかとてもふさふささらさらである)。でも竜馬の髪の毛が伸びるのは時間経過表現以外ではよくわからない。
早乙女博士の竜馬スカウト→隼人の號スカウト
一号機乗り候補とスカウトする側の違いはあれど、「スポーツの大会で目をつけ、殺すくらいのつもりでその腕を試し、その後敵が襲って来る」という流れが一致している。
竜馬の達人エピ→隼人の信一エピ
元々號における信一エピソードは東映版における達人と同じで號チーム三人の動機付けのためにあるようだと大全Gの企画書からは読み取れる。しかし漫画版では隼人のエピソードとして移動された。「竜馬/隼人に周囲を託して敵に向かった達人/信一が敵に操られる」
校舎の流れ→道場の流れ
「上司から迎えに行けと言われた一号機乗りが棲みかを訪ね、出会って早々に喧嘩となり、決着がつく前に恐竜が突如襲撃して仲間を惨殺し、逃走している間に上司がゲッターロボと共に現場に到着する」
校舎であった竜馬と隼人の喧嘩は道場エピではこの後になっているが、やはり敵の襲撃により決着はつかない。

*號はG終了から15年の歳月を挟んで描かれた作品であり、無印やGでのエピソードを汲んで同じ一号機乗りである號くんに竜馬を被せて続編であることを示唆したかなにかであろう部分も見られる。號くんのスカウトについては先に述べたが、他にもその後の病院襲撃は場面としては無印での竜馬を病院から助け出す話、言ってる内容は達人の事件での早乙女博士に似ている。とはいってもそれなら尚更信一エピを隼人に回した事などがわからない

竜馬の「アバよ、ダチ公」(映画タイトルネタでもある)→隼人の「あばよ、兄弟」(武蔵はさらば)
愛情があったかわからないのに子供は残した竜馬⇔愛した女性がいたのに子供は残さなかった隼人
運命に抗うつもりが抗いきれなかったと読める竜馬⇔運命を受け入れたのに抗わせられたと読める隼人
(両者運命への態度の違いは漫画版真に明文化されているが、その結果については竜馬:漫画版號での台詞とアークの拓馬母の台詞、隼人:他者の介入により彼の死は回避され続けた事から)

(2022.5.21追記)
真で「愛するもののために戦う」事を早乙女博士から聞かされたのは竜馬→號でそれを実行していたのは隼人
前線に残り戦い続けた隼人には婚約者がいたことが作中明かされている。(このあとの「そのためにはゲッターしかない」という台詞までは含まれないが)
なおこの「愛するもの」の台詞自体は漫画版だけでは唐突にすぎるが、東映版無印やGの最終話付近展開と台詞が根にあるのではないかと思う。(おそらくは元シナリオにあった台詞)
なお、號ラストでの竜馬の行動もこの台詞に沿って考えることが可能であり、竜馬の愛するものは誰だったかというのはまた別で読み取れるようになっている。

漫画版號、道場での竜馬の台詞について。
「隼人はしつこい」は漫画版にはそのような描写がないため、亡き母を引きずり父を許せなかった東映版からではなかろうかとは思う(漫画版號や真での「他者の死/犠牲を背負う」というのも東映版ベース+漫画版武蔵死亡時の早乙女博士との会話のものだろうし、そういう静かに引きずるタイプだった事を指して「しつこい」と言ってるのかもしれないが真が描かれたのは號の後なので多少違和感がある)。
しかし「竜馬は繊細」というのはどうなのか。漫画版にしろ東映版にしろ、あんなつよつよタフメンタルで繊細とは?
先に述べたが道場は隼人の校舎とほぼ同じ流れを辿っている。もしかして、ここで竜馬が話していることはそのまま「≒隼人」ではなかろうか。
渓が泣きながら「隼人には家族同然の人間」だと訴えていた以上、早乙女研究所の人間も「彼ら」にはそうであったろうし「すべて失った」のは竜馬だけでなく隼人も同様ではなかったろうか。
(そう考えるなら「しつこい」のは、漫画版でわずかにも希望があるなら諦めなかった竜馬でもあっただろう。隼人が死のうとした場面で止めるという展開が石川学年誌版にあったりもする)

(2022.5.31追記)
竜馬と隼人の色の混同
サンプル数少ないし記載しなくていいかと思ってたんだけど指摘があったので。
漫画版においても基本的には東映版彩色にあわせているのだが、絵的な話だろう時折違う色が使用されている。竜馬のマフラー彩色に黄色が散見されるのは70年代当時の画材の少なさや初期サイボーグ009が「緑の服に黄色マフラー」だったらしいのでそのイメージがあったかもしれない。
ただ、竜馬のマフラーが赤(Stコミックス版無印2巻カバー絵)になっていたり、隼人のマフラーが緑(東映版LDBOX2の1巻ジャケット絵)になっていたりする。
似たような例:Stコミックス版號4巻表紙(作中白抜きだった竜馬のコートが黒く、髪の毛が青。號くんの髪に緑は他の絵にも見られるので彼は基本この色だったと思われるが竜馬に使用されているのは隼人の色)
頻繁に見られる事象では無いため、まあ単なる偶然というかノリというかではあろうが、深く考えず「まあこいつら二人なら互いの色使ってもいいか」くらいのものはあったかもしれない。

(2022.09.01追記)
竜馬と隼人は似てるけど似てない半ば同一人物であった、という前提を元にするならば漫画版アークでの
武蔵「拓馬とエンペラーを繋ぐ糸が繋がっていれば」
隼人「助けに行けるものならこの手で救い出したい」(何故かアークの状況を把握している)
竜馬の姿を拓馬が見る→竜馬が消えてエンペラーが出現する
という一連の流れは
エンペラー(竜馬)と拓馬に糸が繋がっていて、竜馬はアークを補足できた→竜馬≒隼人なので隼人はそれを感覚的に察知でき、救い出したいと願った→隼人に呼応する形で竜馬が助けた
と読むことができ、おそらく矛盾などもしないだろう。
ナチュラルに糸より余程深そうなものを描いていないか、という疑惑は生じるが。

《石川漫画版と東映版含》

名前は陸なのに機体は空⇔名前は空なのに機体は陸
(これに関しては以前書いた名前元ネタ推測記事にまとめてある)
劇場版コミカライズでは竜馬が、サーガ無印では隼人が武蔵死亡時同じような事を言う
(そもそも、どうも竜馬がいないか感情的になってリーダー的な発言ができないときにそれを代替するのが隼人である節が全体的にある)
漫画版で竜馬死亡疑惑時生きてる可能性を口にする隼人⇔東映版で隼人死亡疑惑時死んでないと言う竜馬
(これは単なる偶然かなにかだろうがこの時、東映版竜馬が珍しく行儀悪くソファに寝転がっているが、元来その系統の仕草を見せていたのはハヤトの方)
敵に拘束され記憶喪失になる漫画版竜馬→東映版元シナリオで同じような展開になる隼人
(GDVDBOX特典ブックレットのシナリオ解題最終話。シナリオ時点では十字架をミチルに渡したあと、単身敵地に乗り込んだ隼人が捕まり鬼に改造され、暴れて百鬼兵士を倒し、最終的に心神喪失状態で発見される。
竜馬が無理やり隼人をゲットマシンにのせて飛び、隼人の心が戻って大団円となる部分は漫画版のはじめで隼人を無理やりゲットマシンに詰め込んだことのリフレインっぽくも読める)

漫画版竜馬と東映版隼人の空手、東映版竜馬と漫画版翔の居合い。
竜馬のサッカー設定はゲッターやゴールのネーミングに引っ掛かっていたことに気づかず石川先生が漫画版で空手に変える→サッカーネタが使えなくなる(ここまでは大全や30周年図録のインタビューに言及がある)。
(ここから推測)サッカーを中心に使えなくなったことの代替として東映竜馬に居合(+九州出身)設定が追加→武蔵は柔道固定だったので空手は隼人に行った(無印19話)→號に入り、東映竜馬の居合は翔に行った。(ここまで)
では翔は誰から教わったのかとなると隼人の名前が可能性として上がる。
漫画版では竜馬が空手、隼人が居合↔東映版では竜馬が居合、隼人が空手を彷彿とさせる図になっていないだろうか。

東映版内や、サーガ版と学年誌版で竜馬と隼人のベッド位置の入れ換えが起きていたりもする。漫画版は横並びだからまだしも、東映版は上か下から123なのだから間違えようも無さそうなのにちょっと不思議。

(2022.09.14追記)
おそらく他媒体を平行して読まないだろう、東映版の対象年齢を小学校3、4年としていた(GDVDBOX内勝田Pインタビュー)ためそちらを見ていない前提であっただろう小学一年生版では少なくとも竜馬と隼人がセットに見えるように工夫を凝らしている形跡がある
・武蔵は学生服なのに竜馬と隼人の服が同じ
・同じコマの中で同じポーズ
・数話置いて同位置に大ゴマ
・扉絵などの背中合わせ構図
等といった他誌ではあまり見られないものが頻出する。武蔵自爆時の「バカヤロウ」が竜馬なのはサーガ版との対かもしれないが。

これと似通った表現を多用しているのが東映版G1話かもしれない。同じ画面のなかで同じ表情やポーズというのが見受けられる。
またポーズや表情は同じに人物だけが綺麗に入れ替わったように切り替わる場面カットなどは、サーガ版の画面構成に通じるところがある。

https://youtu.be/CMHm81g91W8

(追記ここまで)

流竜馬という人物は、東映版も一話からハヤトを意識している描写があった上でゲットマシンに乗って戦うことを頼みに行き、漫画版では出会って即時運命共同体認識してゲットマシンにぶちこんでいるかのようで、どちらも「竜馬が隼人を」ゲッターに誘った/運命に引き込んだみたいな描写になってるのもちょっと不思議ではある。武蔵は全然違う(そういえば漫画版弁慶加入経緯は劇場版と同じ)し、最初から全員パイロット候補生であったとか、あの場にいたのが三人であったとかでも良かったのに。


どこまで意図的なのかはわからないが、結果として竜馬と隼人の登場~出会いは殆どの流れがお互いに行われていることになっているように思う。妙に仲がよい東映版(ガッチャマンはそんなことなかった)といい、號以降特に似てるけど似てないを持たされまくった漫画版といい、いったい彼らはなんだったんだろうな、とよく思う。

余談:アーク組の不思議

流拓馬→名前と血筋こそ竜馬からだが、最初の姿は武蔵、コクピット内でおにぎりを食べるのは弁慶、ザウルス組との喧嘩は號のものに似ている。
復讐という要素すら流竜馬の一番最初の動機と被る。(ダイナミックプロ監修の派生漫画で一号機乗りの最初の動機が肉親の復讐であるのは竜馬からのものだとも思われるし)
ゲッター線に消えていった一号機乗りと三号機乗りの要素がやたら多くないか?
名前に関しては流竜馬の名前の核が竜にあったのでそれを入れ換えた形だろうと思う。
*2022.09.01追記
名前には初期案の流竜之進の設定を元に作られただろう永井作品バイオレンスジャックの逞馬竜からの逆輸入可能性がある(別記事参照)
カムイ・ショウ→漢字に変換したら「神・翔」になるのは意図的なんですかね……。また「母」を動機とするのは東映版隼人、「兄」と確執を持つのは翔では……? どうにも二号機乗り二人のイメージがちらつく。
山岸獏→逆にこの子だけ接点無さすぎて……ここまでで要素がないタイールからの子なのかとは思うが、タイールはアラビア語で鳥らしく名前にも何もかすらない。三号機は海担当なのに山岸という陸っぽい名前だし、獏という「悪夢を食べる架空生物」の名前を持たされていることもよくわからない。メカニックに強い辺りはむしろ凱だが……。何かしら元ネタはあるのかもしれないが検討もつかない。

*2022.05.30追記
フォロワーさん経由で「ヤマ○シ会」が元ネタではないか?という意見がある事を聞いた。
確かに設立は古いが90年代に事件となり、半ばからは告発本なども多く、オウムと並んで名前が上がっている書籍もある様子。アークが描かれたのは00年代初頭であり時期も齟齬は起きない。可能性は確かに高いのではないかと思う。
どのような団体であるのかここには記載しないが……何故こうも不穏な要素が漫画版アークには多いのか……。

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