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J先生のバッグ

文・カバー写真=熊崎敬(くまざき・たかし)

 リンガラ語を学び、ンデンボで遊んで、フフを食う。
 今日もまた、ぼくはJさんと遊んでいる。
 祖国を追われて日本に逃げてきた、コンゴ民主共和国のひとと仲良くなる。そんな思いもよらない展開になるのだから、人生はわからない。
 ちなみにリンガラ語というのはコンゴとその周辺で話される言語のことで、ンデンボはサッカー、フフというのは、コンゴでよく食べられる見た目モチみたいな料理のこと。

 昨年4月、友人がいきなり切り出した。
 「リンガラ語っていうのを習おうと思うんだけど」
 入管法改正に反対する座り込み集会でたまたま知り合ったコンゴのひとに、ことばを教わるのだという。ぼくは思わず口走っていた。
 「それなら仲間に入れてよ」

 ぼくはサッカーライターを仕事にしてきた。
 この仕事をぼくは気に入っている。サッカーを見にいろんな国に行くうちに、ニュースではわからないリアルな世界が見えてくるからだ。
 でも、アフリカのことはまだあまり知らない。こんな機会はそうそうないから、コンゴについて知ろうと思った。つまりぼくは、興味本位でJさんと付き合い始めたに過ぎない。

 3人の生徒で始まったJ先生のリンガラ語教室は、回を重ねるたびに生徒が増え、知っている単語の数も増えていった。
 ネコがニャウ、ヒツジがメーメー、野菜のオクラはドンゴドンゴというらしい。前述のフフは、ドンゴドンゴのスープを添えて食べるのがJさんのお気に入り。

 公園や河川敷、そして生徒の職場におじゃましてのレッスンはとても楽しく、いつもゲタゲタ笑っていた。だがやがて、笑ってばかりもいられなくなってきた。

 ぼくたちの先生が、仮放免になってしまった。

 仮放免になるということがどういうことか、ぼくにはよくわからなかった。
 よくよく訊くと、働いてはいけない、許可なく県境を越えてもいけない、健康保険証も持つことができないということらしい。つまり、「日本から出ていけ」と言われているに等しい。

 でもJさんには、祖国に帰れない事情がある。
 内戦が続く祖国にいたとき、民主化運動に参加したことで弾圧にさらされ、命からがら日本に逃げて来たからだ。両親は殺され、兄弟とも生き別れに。それなのに、日本は彼の難民申請を認めようとしない。

 天涯孤独のJ先生は、いつも体調がすぐれないようだ。無理もない。長い一日を狭いワンルームでやることもなく過ごしていると、過去のつらい記憶がよみがえるのだろう。

 桜がちらほら咲き始めたこの春、生徒たちが集まり、だれともなく言い出した。
 「働けないにしても、なにか打ち込むものがあるといいんだけど」
 「だよねえ……」
 そこから出てきたのが、ミシンというアイデアだった。

 オシャレが好きな先生は、大胆な柄や色遣いの格好で登場して、ぼくたちをびっくりさせることがある。コンゴでは高級スーツをエレガントに着こなして街を練り歩く“サップ”という文化があり、ヨージ・ヤマモトが絶大な人気を博しているらしい。
 そうそう、ひらがな練習帳をプレゼントしたとき、試し書きしたのも「やまもと」だった。いつかご本人に伝えたいなあ。

 「ファッションが好きだし、機械にも強そうだから、ミシンはいいかもね」
 リンガラ語チームはンデンボ(サッカーのことです!)1チーム以上の人数になっていて、「私が教える!」とミシンが得意な人が名乗りを上げた。
 「ウチに余ったミシンがあるんだけど」という人まで出てきて、あれよあれよという間に先生の家に持ち込むことになったのである。

 本人のいないところで勝手にはなしを進めちゃったけど、果たして気に入ってくれるだろうか……。
 だが、杞憂だった。先生は、ぼくにはさっぱりわからない複雑なミシンの構造をすぐに理解して、その日のうちに簡単な手提げ袋を縫い上げてしまった。

©asami minami

 それからというもの、先生から頻繁にビデオ電話がかかってくるようになった。「元気か」とか「メシ食ったか」とか聞いてくるのだが、目的はひとつ、新作バッグを見せびらかしたいのだ。

 狭いワンルームが自作のバッグで埋め尽くされていく。ミシンが日に日に上手くなっていくのが、素人のぼくにもわかる。
 そして、なによりもうれしいことがある。沈みがちだった先生の表情が、ミシンと出会って以来、明るくなってきた。

 今日もまた、いつものようにビデオ電話がかかってくる。
 「あ、ごめん。いま仕事で忙しくて、またかけ直すから」
 たまたま忙しくて、そういうと先生は不敵な笑みを浮かべる。
 「ふーん。まあ、俺も忙しいんだけどね」
 そういって、得意げにカタカタとミシンを動かし始めるのだ。
 あの少年のような表情を思い出すたび、なんだか胸が熱くなるのである。

 6月4日、練馬区の平成つつじ公園には、祖国には帰れない事情を抱えた人たちが一堂に会します。それぞれが得意なこと、いま夢中で取り組んでいることを持ち寄って。
 そんな彼らの作品に触れてみませんか。彼らの語る物語に、耳を傾けてみませんか。いままで知らなかった、新しい世界の扉が開くかもしれません。

熊崎敬(くまざき・たかし)1971年生まれ、岐阜県出身のフリーライター。スポーツ、とくにサッカーを中心に取材を行ない、訪れた国は50を超える。主な著書に『日本サッカーなぜシュートを撃たないのか』(文春文庫)、『サッカーことばランド』(ころから)など。昨年、コンゴ民主共和国出身の難民申請者と出会ったことから、リンガラ語の学習を始める。

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