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自立を失う事への恐怖

良い悪いという観点ではなく、自立を失う事に対する恐怖から、たとえ微々たるものであったとしても自分の収入を失う事だけは絶対に避けなければいけないと肝に銘じている。

最初の旦那との再婚を機に上海に移り住んだ私は、短い期間ではあったが専業主婦を経験した。

日本で勤務していた会社を辞め、彼に着いて上海に移り住んだ私は、引っ越し後すぐに就職活動を始めた。ちょうど30歳になったばかりの頃で働き盛りだった私にとって、国が変わったからといって仕事をしないという選択肢がシンプルに頭の中に無かった。しかし人材紹介会社を訪問した私に担当のおっさんはこういった。

中国語も話せないんでしょ?なんで働きたいの?正直、駐妻なんてみんな働かないですよ。お茶とか習い事とかして過ごしたらいいじゃない。まぁ仕事は無くもないけど、ゴルフできます?接待要員として保険会社とかが女性を探していることは多いですよ。

あまりの侮辱に泣きながら帰った。それでも中国語が話せないという事は事実に違いないと思い、すぐに旦那の同僚に紹介してもらって中国語の個人レッスンを開始した。日常会話レベルでもいい、とにかく語学を身につけてまともな仕事につけるようにならなければ。それでも一旦は就職活動を止め、専業主婦に徹する事にした。

その後1年前後だったと思う。DV、不倫、嘘、無視、アル中。世の中の離婚原因になり得る事柄のオンパレードをくらい、私はこの旦那と2度目の離婚を決意した。離婚届にサインをもらい、慰謝料を支払うという文面にサインもさせた。しかし、前出のようなありとあらゆる悪行を一気にやってのけるような輩が約束なんて守るわけも無く、ものの数日で「一円も支払わない。帰国のチケット代も払わない。チケットが必要なら金は渡さない、チケットを買ってやるから日付を教えろ」と言い出した。

この言い草には意図があった。旦那は一度離婚届にサインをした後に「やっぱり離婚しない」と言い出しゴネていた。サイン済の離婚届けを盗み隠し、破棄されたりもした。再度サインをさせ、住んでいた部屋から逃げ出すのに一苦労だった。それでも復縁を諦めない旦那は、私がしばらく専業主婦として過ごしていてあまり手持ちのお金がない事を知っていて、金を出さないと言えば困って泣きついて戻ってくるだろうと思っていたのだと思う。

逆に私は決心していた。絶対に戻らない。そして絶対に帰らない。日本での仕事を辞めてここまで来たのに、ダメでしたと逃げ帰ってたまるか。せっかく海外に出てきているこのチャンスをみすみす捨てる事はない。この地でもう1度就職活動をし、仕事を見つけてここで自立すると心に決めて動き出していた。日本に置いてあったなけなしの貯金を親に送ってもらい、部屋を借りた。人材紹介会社3社に登録し、日本人を必要としていて、まともな仕事を探した。とにかく1度現地での就職キャリアを作らなければ先は無いと、お給料は高望みせず、それでも質の良い仕事を探した。

結果約3カ月程で、日系企業のクライアントを多数持つローカル民営のデザイン会社の営業に就職が決まった。旦那の部屋を出てきた時シーツ1枚すらも持っていなかった私は、家賃やもろもろの費用支払いによって手元のお金が尽きる寸前だった。この時人生で初めて海外就職を決めた私の給料は9,500元、日本円にして約15万円だった。

この経験から、今後の人生でどんなことがあろうとも、どんなに信頼できるパートナーを得ようとも、自分の収入を決して絶やしてはいけないという考えになった。それは離婚が必要になった時の資金になるという事だけではなく、パートナーとの間柄において「この人がいなくなったら生活が困る」という不安から来る不健全な思考を遠ざけ、常に対等なパートナーシップを築く為という事でもある。

ついでに書いておくと、

この人生ゼロからスタート仕切り直しギリギリ生活数カ月の間、面倒な事に巻き込まれてはたまらんと(巻き込むなとハッキリ言われた)上海で1番信頼していた日本人の友人を2人失った。そのかわり、仲良くなって信頼関係を築いた中国人が、どんな状況であっても親身になってよりそい、助けになり、励まし続けてくれる人達であるという事を知る事ができた。この人達との関係は、中国を離れてしまった今でももちろん続いている。



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