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コムロでもシブヤでもない、ミスチル史観で振り返る90年代【『日本代表とMr.Children』補論】※追記あり

『日本代表とMr.Children』、発売後2か月が経ちました。

新生日本代表はアジアカップで準優勝。昨年時点ではこの本で取り扱った「自分探しの旅」の次にいよいよ進んだ感がありましたが、カタール戦での力負けを見る限り、そもそもそういう話以前に日本が自分たちの〜とかやってる間にアジアのサッカーが水面下で違うフェーズに進んでいたということなのかも…とか思いました。ここまでの歴史をたどる本としてぜひ。

本の内容はこのあたりから


先日、書籍に絡めて宇野さんのミスチル評がブロゴスにアップされました。

こちらにあるこの指摘

1989年(平成元年)2月に放送開始された『三宅裕司のいかすバンド天国』、通称『イカ天』が日本的バラエティ番組の流儀でデフォルメされたパンク/ニューウェーブ系バンドを紹介して、バンドブームの起爆点となったこと。同じ1989年4月にメジャーデビューしたXが、のちのビジュアル系バンドの源流となっていったこと。ちょうど平成が始まると同時に、日本においてバンドミュージックの間口を広げることになるそうした重要な出来事が同時多発的に起こっていたわけだが、その数年後にブレイクすることになるミスチルが日本の音楽シーンにもたらしたのは、一言で言うなら「ビートルズ的バンドミュージックの大衆化」だった。

詳しくは記事を読んていただきたいんですが、意外とこれってちゃんと語られていないような気がする、かつ自分的にも当時を振り返るうえで結構重要な視点だったりするので、今日はこちらの切り口について掘り下げたいと思います。

ちなみに、この後の記事で紹介するアーティストや楽曲を集めたプレイリストを作りました。こちらと合わせてどうぞ!



ビートルズよりも先にミスチルがあった(おそらく平均的な?)80年代初頭生まれ

ミスチルのブレイクは93年末リリース後に年をまたいでヒットを記録した「CROSS ROAD」が導火線となり、94年夏にリリースされた「innocent world」で決定的なものになりました。

81年生まれの自分はこの時期が小6から中1にかけて。少し前から好きだった音楽によりのめり込むタイミングでミスチルに出会ったのか、はたまたミスチルに出会ったことが音楽にのめり込むきっかけになったのか。もはや定かではありませんが、おそらく後者だったような。

ミスチルに触れたとき、「今まで聴いたことない音楽だな」と当時は思ったんですよね。「ポップなバンドサウンド」というイディオムは、あの頃のヒットチャートには浸透していませんでした。

94年リリースのアルバム『Atomic Heart』は「Printing」という20秒程度の短いトラックから始まりますが、自分にとって言ってみればミスチルは「Imprinting=刷り込み」の対象でした。初めて見たものを親と思ってしまったわけです。

その一方で、中学生になったあたりから少しずつ海外の音楽にも関心を持ち始め、最初はヒット曲のコンピレーションを買いつつ、当時流行っていたレゲエに興味を持ってボブ・マーリーを聴いてみたり、カーディガンズを気に入ったり、自分なりに守備範囲が少しずつ広がっていきました。

そんな折、「ビートルズの新曲が出る」という話が突如出てくるわけですね。それが「Free As A Bird」なわけですが。

ビートルズのデモや未発表テイクなどを集めた『アンソロジー』シリーズの第一弾が出たのが95年11月。もはや「歴史上の存在」だった人たちのフレッシュな話題に初めて触れて、発売日に購入しました。もちろん「ビートルズ」という存在は知っていましたが、ちゃんと音源として聴いたのはこれが初めてでした。

ミスチルに触れる→ミスチルは「ビートルズっぽい」ということをどこかで聞きかじる→その後『アンソロジー』でビートルズに触れる(→自分はoasisにはまったのもその後)

こんな変遷を辿った同世代の人たちは比較的多いのではないでしょうか。

最近の若い人たちにとってミスチルは「刷り込まれる対象」ではないでしょうし、すでにたくさんの「耳馴染みの良いメロディを持ったロックバンド」が存在しています。また、人によってはサブスクやYouTubeでいきなりビートルズを聴いたりもしていそうです。

逆に自分よりも上の世代になると、桜井和寿のルーツ的な存在でもある浜田省吾など、ビートルズの影響を色濃く受けた人たちを知ったうえでミスチルに触れることになったと思います。

「ミスチルのブレイク」と「音楽への目覚め」が時期的に重なりやすかったであろう我々の世代にとって、ミスチルは「ビートルズ的な雰囲気を持った新しい存在」だったのだと思います。ビートルズ的な雰囲気という時点で新しくないのでは?と今は思いますが、当時の日本においては間違いなく「新しかった」わけです。


歌モノバンドは売れるぞ

さえきケンゾウ『ロックとメディア社会』(2011)には、ミスチルおよび小林武史が成し遂げたことについてこんな記述があります。

ミスター・チルドレンの歴史的な特徴は、プロデューサーの小林武史によって徹底的に管理されたバンド・サウンドであることだ。まるでビートルズにおけるジョージ・マーティンのように、日本においても音楽プロデューサーが最高責任者となり、陣頭指揮をとって長年の成功をもたらした。もちろん、それまでもバンドにプロデューサーは存在したが、ここまで巨大な勝利は初めてもたらされた。それが日本におけるロックバンド音楽をよりビジネス的に確立された概念へと高めたといえよう。小林武史によるプロデュースの成功は、サウンドを歌へと徹底的に集中させ、桜井和寿の複雑な歌詞がしっかりと聴き取れるようにしながらも、楽器それぞれの音色をしっかりと配置したこと。そしてそのアンサンブルがすっきりと整理され、空間のある、開放感のあるサウンドに仕上げたことである。その結果、J-POP時代の嗜好性に合った情感溢れるロック・バンド・サウンドが誕生し、莫大なセールスを生むことになった。

くしくもミスチルと小林武史をビートルズとジョージ・マーティンに例えているわけですが、それよりもここでの重要な指摘は「ミスチルの方法論が“売れ線”として認識された」ということです。

“売れ線”として認識されるとどうなるか?皆さんご存知ですよね。そこには大量の「二匹目のどじょうを狙った人たち」が多数登場します。

「ポスト・ミスチル時代」の幕開けです。


そして「ポスト・ミスチル」が溢れた

ミスチルの成功のみならず、90年代半ばにはスピッツ、ウルフルズ、エレファントカシマシなどがブレイクを果たしました。ただ、それぞれにキャリアのあったこのあたりのバンドが「ポスト・ミスチル」と呼ばれたことは(もちろん)ないように思います。

ここで言う「ポスト・ミスチル」とは、「ミスチルのブレイクとともに/ブレイク後にメジャーデビュー」「聴きやすいけど程よいロックテイストをまとったサウンド」「あくまでも主体はキャッチーな歌メロ」といったような特徴を持った人たちです。

わりと地上波の歌番組に出てた人たちに限っても、

94年4月 RAZZ MA TAZZ メジャーデビュー(『今田耕司のシブヤ系うらりんご』主題歌「サヨナラのキスではじめよう」、最初の小ヒット「Season Train」、トップ10入り「MERRY-GO-ROUND」)
95年7月 SMILE メジャーデビュー (デビュー曲「明日の行方」)
96年5月 MOON CHILD メジャーデビュー(大ヒット曲「ESCAPE」)
97年4月 CURIO メジャーデビュー(レミオロメンよりも先だった「粉雪」、アニメ『るろうに剣心』主題歌「君に触れるだけで」)

※MOON CHILDは「ESCAPE」より前のアルバム『tambourine』も良くできています。「Over the rainbow」はよくカラオケで歌った。

ちょっとタイアップとってたくらいの人たちはもっとたくさんいたし、それこそここ数年の「フェスブームと四つ打ちロックバンド」くらいの盛り上がりはあったように思います。

この辺は聴いていただくのが一番早いと思うので、プレイリスト聴いて雰囲気を感じてみてください。

最近で言えばflumpoolやback numberも大きくはこの流れがあったからこそ今のシーンで存在感を発揮している、ということになると思います。


L⇔RとGRAPEVINE

この「ポスト・ミスチル」ムーブメントのバンドは大半が「当時そういうのを聴いてた人にしかもはや通じない」という状況になっていますが(サブスクにないのも多い…)、ちょっと別軸で語りたいのがこの2バンド。

L⇔Rは1991年11月にメジャーデビューで、92年5月にメジャーデビューしたミスチルとかなり近いタイミングで世の中に出てきていますが、L⇔Rのブレイクとミスチルのブレイクは切っても切れない関係のように思います。ブレイクしていた時期の楽曲にはいわゆる「ポップの魔法」を感じますね。

以下は『日本代表とMr.Children』における宇野さんのL⇔R評

L⇔Rはミスチルと同期デビューなんだけど、デビュー当初はフリッパーズ・ギターと同じレコード会社、ポリスターに所属していて、初期メンバーにはフリッパーズ・ギター周辺で活動していた嶺川貴子もいた。つまり、渋谷系ど真ん中のバンドだったんだけど、レコード会社の移籍とメンバーチェンジと、間違いなくミスチルのブレイクも意識した音楽性の変化を経て、7作目のシングル「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」でようやくブレイクした。

ちなみに94年にはミスチル、L⇔R、RAZZ MA TAZZの対バンイベントがあったらしい。行きたかった…


1997年メジャーデビューのバインは今やミスチルとは全然違う場所にいると思いますが、当時「そういう括り」に入ってたことはあまり知られてないような。あの時代を生き抜いた本当に数少ないバンド。

――当時のGRAPEVINEは「ポスト・ミスチル」って言われていましたよね。

田中:ああ、ありました。でも、それは逆に武器だって思った覚えがあるな。売れるもんなら売れるに越したことはないだろうっていうことは思ってたし。「ポスト・ミスチル」って言われたことに関しては「よっしゃ、言うとけ言うとけ」っていう感じでした。そんなにイラっともこなかったな。


忘れられがちなミスチル

90年代の音楽シーンを語るうえで、つまり「Jポップという概念の勃興から浸透まで」を考える際に、ミスチルのブレイクが大きな出来事だったということについて反論する向きは少ないと思います。

ただ、それが「大きな転換点の一つ」として本当に認識されているのか?というと、正直疑問に感じることも多いです。

また、ミスチルのブレイクに端を発する「歌モノバンドブーム」「ポスト・ミスチル時代」について言及されることはほとんどありません(と言っていいはず)。

90年代とは、「小室哲哉の時代だった」「渋谷系の時代だった」「98世代の時代だった」「ディーバの時代だった」……などなどいろいろな言説がありますが、こういう話の中でミスチルの影響がどうにも低く見られがちなのは昔から気になっていました。

この「ミスチル何かと無視されがち問題」は、『日本代表とMr.Children』を書くうえでの個人的な大きな問題意識として常に念頭にありました。

その辺こちらのインタビューでも話しましたが、

今回の本を書く上でのモチベーションとして、90年代に世間の人が最も接しているコンテンツのひとつとしてミスチルがあるはずなのに語られることが少ない、そういう状況に風穴をあけたいという思いが個人的にはありました。

――確かに「小室ファミリー」などについてはよく語られていますが、ミスチルについてはあまり語られてこなかった印象です。

人気が落ちておらず、いまだに"現役"であるがゆえに、振り返られないんでしょうね。今回の本の大きなテーマでもある「自分探し」に関連する文脈だと、『エヴァンゲリオン』が90年代の精神性を語るうえでよく話題に挙がるじゃないですか。でも僕の体感としては、『エヴァ』を見ていた人より、ミスチルを聴いて影響を受けていた人の方がたくさんいるような気がするんです。

ブレイク以降変わらずメインストリームのトップランナーにいるミスチルは、それゆえ「当たり前すぎる存在」として素通りされがちなバンドです。

それに前述の通り、いわゆる「ポスト・ミスチル」の面々の大半は瞬間的なスマッシュヒットを残してシーンから消えていきましたし、音楽的にも何かチャレンジングな取り組みがあったかと言えば(今から見れば)そんなこともありません。それゆえ語り継がれないというのも仕方のない部分はあります。

ただ、90年代に思春期を送った人間としては、この先も言い続けていきたいです。ミスチルのブレイクに端を発したそれっぽいバンドのムーブメントがあったということを。


音楽シーンは「私的」にしか振り返れない

この話は、それこそ当時渋谷でレコードを漁っていたような人たちからすれば「何言ってんだ?」という感じかもしれません。

逆に、地上波やU局の音楽番組をくまなくチェックして、ラジオのカウントダウン番組も定期的に追いかけていた「Jポップど真ん中」の自分からすると、「そんな"ハイセンス"な趣味の人たちのシーンなんてスーパーニッチな話なんじゃないの?」と思ったりもします。

結局、「音楽シーンの振り返り」というものは、その振り返りをする人が特定のシーンやアーティストに何かしら入れ込んでいる限りは必ず「私的」な色合いを帯びてきます。

僕はそれが悪いことだとは全く思いません。「音楽シーンの客観的な振り返り」なんてものは実はこの世に存在しなくて(昔はオリコンの年間チャートにそういう意味があったかもですが今やそれすら死にました)、リスナー(もしくはメディア)の数だけ見立てがある。そう考えた方が自然かなと思います。

『日本代表とMr.Children』も、「何かを網羅している」タイプの本ではありませんが、「ある特定のフィルターを通すと平成という時代をこんな観点で切ることができる」というひとつのサンプルとしてはそれなりに上質なものになっていると思います。ここを起点に話をいろいろ広げてもらえると嬉しいです。


2/5追記:「ポスト・ミスチル」をネタに曲を作った人たち

記事を読んでいただいた方から、前述したMOON CHILDの「極東少年哀歌」という曲の存在を教えていただきました。この曲すごいです。

「ESCAPE」から1年ちょっと経った後にリリースされたシングル「フリスビー」のカップリング曲。wikiが気が効いているので引用します。

カップリング曲の「極東少年哀歌」は、歌詞の一部にとあるバンド名が入るため、その部分はエフェクトで伏せられている。

リンクの貼り方もそのままにしているので、とあるバンドとは誰か確かめてみてください(この記事の流れからもうおわかりですよね)。

歌詞へのリンクはこちらに置いておきますが、該当するところはこんな感じ

ポスト★★★★★★★★★
期待されて3年

一発屋でおわっちゃってんだ
No No No No No No

バンドの置かれていた状況を固有名詞を出して自虐しつつ、それがある意味ではシーンの風潮に対する風刺にもなっている。今ではなかなかお目にかかれないタイプの表現だと思います。

ちなみにこんな歌詞も…90年代とミスチルとサッカーの符号を感じずにはいられません(この曲のリリースはフランスワールドカップの直後)。

テレビの中でサッカー応援してる人たちの
ひたむきな根性身につけたい

バインのように「ポスト・ミスチル、言わせとけ言わせとけ」と開き直っていたという話も、今やバンドとして独自の地位を築けたからの発言であって、やはりその当事者たちはあの時代に何らか忸怩たる思いを抱えていた部分もあったのかもしれません(もちろんバンドによるでしょうけど)。

直接の因果関係はないはずですが、記事内で触れたバンドの中にはメンバーが若くして亡くなったり、覚せい剤で逮捕されたり、かなり山あり谷ありのキャリアを送っている人たちが多いです。また、SMILEの浅田信一は、後に高橋優やクリープハイプを手掛けるなど、日本の音楽シーンに確かな影響を与えました。

やはりこの時代に起こっていたことはもう少しちゃんと語り継いでいくべきだな、と改めて思った次第です。


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