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※10/18MV追加【インタビュー】odol 多様な楽曲の裏側にある「odol」らしさとは?

※これまでこちらでやってきた音楽ブログをnoteに移そうかと考えています。

7月にイントロのみ公開した6人組ロックバンドodolのメンバー、作詞を手掛けるボーカルのミゾベリョウさんと作曲を手掛ける鍵盤の森山公稀さんのインタビュー本編です(イントロはこちら。過去のインタビュー記事のリンクもまとめてあります)。

先日のフジロックでのステージも中継で見ていましたが、エモーションが伝わってくる素晴らしいものでした。

今回のインタビュー中でも触れられていますが、odolは「ロックバンド」ではあるものの、やっている音楽は必ずしも「典型的なロック」の範疇には収まっていません。一方で、もともとはRadiohead的な音が彼らのシンボルマークでもあったわけで、数年間でのこの変化には目を見張るものがあります。

そのあたりの変貌の背景みたいなものにも触れつつ、最新曲「four eyes」、その前にリリースされた「時間と距離と僕らの旅」「大人になって」についてもいろいろお話を伺いました。それではどうぞ。

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【最近のodol】
「どうすればバンドを前に進めていけるのかわからない」というような不安はなくなりました

---昨年9月にリリースされたEP『視線』は、odolというバンドの存在意義みたいなものを改めて考えたうえで生み出されたものだったかと思います。また、表題曲の「GREEN」には、怒りやフラストレーションといった「負の感情」みたいなものも込められていました。そういった重みのある作品をアウトプットしたうえで、バンドとして、もしくは個人としてどんな心境の変化があったかについて、最近の楽曲のお話に入る前にお聞かせいただければ。

ミゾベ そうですね…何かを「吐き出しきった」という感じではないんですが、あの辺の作品を作った時の気持ちが今も自分の根底にあるなとは思います。「GREEN」はライブのハイライト的な場面でやることが多いんですけど、演奏するときには当時考えていたことと改めて向き合うことにもなるので。

森山 感覚としては僕もミゾベに近くて、あのときに全部出し切れたかどうかというのはいまだによくわかりません。ただ、ああやって一度形にしたことであの時の気持ちを客観的に見ることができることになった、というのはあると思います。

ミゾベ ぶれない軸みたいなものを一個見つけられた感じはあるよね。

森山 そうだね。『視線』がリリースされたときと今の状況を比較した時に、一番変わったなと思うのが「味方が何倍にも増えた」ということです(注:これまで活動を共にしてきたユーケープロジェクトに加えて、ヒップランドミュージックもodolをサポートするようになった)。それで、いろいろな人たちから「もっとこうした方がいいんじゃないか」という話をされることも増えたんですが、『視線』をちゃんと自分たちで作り切れたからこそ、周りからのアドバイスともうまく向き合えているのかなと思います。

---バンドによってはそうやって周辺の体制が変わることをポジティブに受け入れられないケースもあるように思いますが、odolはその辺はうまくやれていると捉えて大丈夫でしょうか。

ミゾベ いろいろ言われることも自分たちなりに噛み砕きながらやれていると思います。少なくとも、以前は感じることのあった「どうすればバンドを前に進めていけるのかわからない」というような不安はなくなりました。

森山 個人的には、昔から「言われたことはとりあえずちゃんとやるタイプ」だったかなと思うので(笑)、自分の発想にはなかったことでも「一度試してみないとわからないよね」というマインドで自然に取り組めていると思います。それでしっくりこなかった話を無理にやっているようなことは今のところないですし、そういう意味では周りの人にはすごく恵まれていると感じますね。

【「時間と距離と僕らの旅」「大人になって」】
「ドキュメント性」と「デザイン性」

---ここからは『視線』以降にリリースされた楽曲についてお聞きしたいと思います。3月にリリースされた「時間と距離と僕らの旅」は、リリース時のレビューでも触れましたが、「これまでのodolの辿ってきた道を総括するような曲」だと感じました。

森山 もともとこの曲は以前から原型があって(注:16年12月に行われた初のワンマンライブにて披露)、今回のリリースにあたって改めてアレンジをやり直したものなんです。

ミゾベ 歌詞もそのときから一部変わりました。

森山 なので「このタイミングでodolの歴史を総括しよう!」みたいに作った曲というわけでは必ずしもないんですが、曲を仕上げていく中で結果的にこれまでバンドが取り組んできた要素が随所に出ているとは思います。

---タイトルもすごく詩的ですね。

ミゾベ これまでは「生活」とか「グッドバイ」とかシンプルなものが多かったので、意図的にこういう表現にしてみたんですけど…最近のロックバンドっぽい感じというか(笑)。

---今「生活」のお話もありましたが、あの楽曲が収録されている1stアルバム(『odol』)の頃に比べると、ミディアムテンポの楽曲を作るうえでの力点もかなり変わってきてますよね。だいぶ角が取れてきたというか、マイルドになってきているように感じます。

ミゾベ ボーカルは結構変わっていますね。以前よりも高音のピークは控えめで、中音域を聴かせる感じになってきています。

森山 サウンド全体としては、自分たちとして意識して変えているというよりは、好みの変化の中で自然と変わってきたという方が正確かもしれないです。ギターがガツンと鳴っているインパクトの強さ、みたいなものは今でもライブでは大事にしていますが、音源としてはそういう力技で押し切る感じよりも「ちゃんと“平均的な存在”として成立している」「そのうえで自分たちなりの何かを付加する」という方向を突き詰めたいと最近は思っています。

---続いて5月には「大人になって」がリリースされます。ミニマルな繰り返しをベースに楽曲が展開していく構成が印象に残りました。

森山 これは「いわゆる“4つ打ち”をodolとして解釈するとどうなるか?」ということを念頭に置いて作りました。最初に「ライブで体が動くものを作りたい」っていう思いがあったんですけど…単純にバスドラが4つ鳴っていて、テンポも速くて、ハイハットが裏打ちで、みたいなアプローチももちろんあると思うんですが、それを素直にやるような僕らでもないので(笑)、「バスドラが4つ鳴っている」を発展させて「全ての楽器がそのリズムで鳴っている」という形を考えました。そうやって基本のグルーヴを作ったうえで、そこからはみ出していくものがアクセントになる、そんな構造の曲にしたいと思って作ったのがこの曲です。

---一般的に想起される「4つ打ちのロック」とはだいぶ違いますね。

森山 そうですね(笑)。あとこの形だと和音の響きがより強調されるので、聴いていて心地よいコード進行になるようにというのも意識していました。ここまで「縦のアンサンブル」を重視した楽曲はなかったと思うので、そういう面ではodolとしても新しいトライかもしれないですね。

---ミゾベさんはどうですか。僕、この曲の<コードなんて知らなかったあの声の力強さ 思い出すのさ>ってところがめちゃくちゃ好きで…

ミゾベ ありがとうございます(笑)。

---ここに合わせてギターが入ってくるところ含めてほんとにジーンときたんですけど。そういう「初期衝動」的なものへの憧れとかって、今バンドとしてあるんですか?

森山 そういう側面もあるかもしれないですね。子どもっぽさへの憧れみたいなものが、大人にならないといけないことも状況的には多くなっている中で膨らんでいるかもしれないです。昔の自分たちへの憧れとか、大人として振る舞わないといけない自分たちに対する皮肉とか…ちょうどそんな話をミゾベ以外のメンバーとしているときに、ミゾベがこの歌詞のテーマを持ってきたことがあって。それで、その場でこの方向性が決まりました。

ミゾベ 昔は素直に感動できていたものに妬みみたいなものを感じてしまうようなことが最近よくあって、メンバーに話したらみんなも同じような気持ちだったので、これを歌詞にするしかないなと思って書きました。ただ、この曲では意味以上に、「メロディに対していかに音をはめ込むか」ということを重視しました。『視線』も「時間と距離と僕らの旅」もドキュメント性を特に重視して作ったものなので、やっとこの「大人になって」で、デザイン性を重視したいな、と思えました。森山の言う通り、縦が揃った面白いサウンドになったと思うので、歌詞もそこにうまく乗っていけるものになるように意識して作りました。

【「four eyes」】
何事も冷静に頭で考えてしまう自分へのフラストレーションとか、本能をさらけ出せることへの憧れ

---7月にリリースされた「four eyes」はodolとしてはかなり大胆に振り切った楽曲だなという印象を受けました。バンド的には「新しい方向を示した」という感じなのか、それともこれまでの楽曲で音楽性を拡張してきたことの延長上にあるものなのか…


森山 それで言うと後者ですね。odolがこういう方向のバンドとして定着するというわけではないし、かといって今後もうこういうことをやらないというわけでもない。あくまでもひとつのチャレンジとしてやってみた感じです。

---なるほど。ダンスミュージック的なアプローチを採用したのには何か理由があるんでしょうか。

森山 「four eyes」は具体的なエピソードに基づいて作りました。先日マネージャーが、僕とドラムの垣守(翔真)、あとベースの(Shaikh )Sofianを渋谷のクラブに連れていってくれたんですけど、その日が結構コアなイベントだったみたいで、「本当のクラブ好きしかいない」という感じの空気だったんですよね。バスドラが爆音で鳴り響いてる中でほんとにみんな踊り狂っていてすごい雰囲気だったんですけど、僕自身はどうにもその中に入れなかったというか…ちょっと引いたところから見てしまうような感覚があって。その時に感じた何事も冷静に頭で考えてしまう自分へのフラストレーションとか、本能をさらけ出せることへの憧れとか、そんなムードを音に落とし込めるといいなと思いました。そういうことを考えながら、ダンスミュージックにインスパイアされたサウンドにしつつも、「ダンスをするため」だけではないものになるように意識して作りました。
 
---確かに「身体を揺らしたい」と思うだけでなくて、頭の中で何かがぐるぐる回るような中毒性を感じます。

森山 あとは「大人になって」の話とも少し重なるんですが、1つのコードでずっといくような構成だといかにもダンスミュージックという感じになってしまうので、ちゃんと和音として展開して解決するようにという部分も工夫したつもりです。

---「ロックバンドとダンスミュージックの融合」というといろいろな先行事例もありますが、何か参照したケースとかはありますか?

森山 他のバンドのやっていることで特にそういうのはないかな…楽器の入れ方とかを考えるときにFour Tetを聴いたりはしました。

---歌詞については、繰り返し表現など、この楽曲のビートに合う言葉の乗せ方をいろいろ試行錯誤した結果なのかなという印象を受けました。

ミゾベ そうですね、そこについては特に重視しました。さっきのエピソードは僕も森山から聞いて、盛り上がっているクラブで踊れない森山とodolの仲間たちの絵を想像したりしたんですけど…

森山 (笑)。

ミゾベ きっとその場に僕がいたとしてもそっち側だったと思います(笑)。何となくそのシチュエーションが、自分が普段感じている、深く考えたりしなくても突発的なセンスや勢いで素晴らしい作品を作れるアーティストたちに対するコンプレックスと近いように思えたんです。そういう気持ちを受け止めたうえで、それでもいつかは他のかっこいい人たちのことを追い抜くぞという思いで歌詞を書きました。

---今回の歌詞は歌い出しのインパクトがとにかくすごいですよね。

ミゾベ 『odol』を出した3年くらい前は僕らも勢いやセンスで曲を作って演奏するという感じだったと思うんですが、活動を続ける中でそのやり方の限界にも気づいて、もっと事前に考えてバンドを進めていく形にシフトしてきました。自然な流れでそうなってきていると思っているんですけど、それに対して「昔はもっとセンスだけでやっていたよね」という皮肉っぽい見方をすることもできるのかなと。今回の歌詞の世界にはそういう視点の持ち方がはまる気がしたので、曲の頭がああいうフレーズになりました。

【広がるodolの音楽性】
「ロック」の正解は「期待されたものに対して裏切ったうえでその期待を超えていく」こと

---10月にはいよいよ新しいアルバムも発表になりますね。最近の3曲からも、すごく振れ幅の広いアルバムになりそうだなというのが伝わってきます。

森山 毎回そう言っているかもしれないですけど、今回のアルバムが今までで一番いろいろなタイプの楽曲が入っている作品になるんじゃないかと思います。

---改めてお聞きしたいんですが、もともとは「ギターロック」的なアウトプットが中心だったodolというバンドの音楽性がここまで広がっていった理由として思い当たるものはありますか?

ミゾベ 「同じようなことをやり続けたくはない」って思っているメンバーが集まっていた、というのが大きいのかな。ギターがメインで音圧が大事で、みたいなフォーマットは最初のアルバムでやり切った感覚があって。やり切ったというか、僕ら的にはあのアルバム、バカ売れすると思っていたんですけど…(笑)

森山 怖いものなしだったからね。

ミゾベ あの作品を出した後に「上には上がいる」みたいなことを知ったし、そういう中で自分たちが音楽をやっていくにはもっと違う形で個性を出さないとな、と考えたりもしました。

森山 今ミゾベが言ったような活動の流れの中で自分たちで選び取っていった部分も大きいんですけど、「それぞれのメンバーに明確なバックグラウンドがない」ということも関係しているのかなと僕は思います。「実家がライブハウスで子供の頃からロックばかり聴いてきました」とか、「小学生の頃からジャズセッションに参加しています」とか、そういうメンバーは一人もいなくて、何でもない、どこかに根差しているわけではない6人が集まっているのがodolなので、何か特定のジャンルにだけこだわって音楽を作る方が嘘になってしまうんじゃないかと思うんですよね。

---そうなると、この先もますます「狭義のロックサウンド」みたいなものから音楽性はどんどん離れていくかもしれないですね。

森山 そうですね。ギターが鳴っているかどうか、とかそういう次元ではもはやあまり考えていないです。僕にとって「ロック」っていうのはサウンドのフォーマットのことでは必ずしもないので。

ミゾベ 今の話はメンバーでも結構話し合ったことで、以前森山がそれに関して名言を言っていたのでここでぜひ言いたいんですけど…

森山 (笑)。

ミゾベ 森山が言うには、「ポップ」の正解が「期待されたものに対して100%応える」ことだとすれば、「ロック」の正解は「期待されたものに対して裏切ったうえでその期待を超えていく」ことだと。僕はこの説明がかなり腑に落ちていて、odolがロックバンドとして音楽をやっていくうえでの指標にこの先もなっていくんじゃないかと思います。

---なるほど。とてもシンプルなセンテンスにバンドとしてのスタンスが集約されているように思いますが、ここまで研ぎ澄まされた言葉にまとまるまでには結構大変だったんじゃないですか?

森山 はい。これについてノート1冊使い切ったりもしたので…(笑)。

---すごい(笑)。

森山 文章にしたり図にしたりして、メンバーに見せたりしながら考えていきました。そうやってある種考えすぎちゃうところ、ちゃんと理屈を整理しないと気が済まないところが今の「odolらしさ」なのかなとも思っていて。

ミゾベ 先日開催した自主企画のタイトルの「Overthinking and great Ideas(O/g)」にも、そんな自分たちを皮肉るようなニュアンスが込められています。「大人になって」や「four eyes」の歌詞の世界も、そうやってバンドのことを少し引いた目線から見たからこそ生まれたものです。

森山 「O/g」というタイトルを考える際にはメンバーみんなでかなり詰めて話し合ったので、バンドとしての共通認識みたいなものが改めて6人の間で作れたと思っています。「大人になって」の歌詞のテーマについて、ミゾベが持ってきたものと他のメンバーで話していたことが一致したというのも、そういうやり取りがあったからこそなのかなと。

---今までのodolを下支えしていたある種の理屈っぽさみたいなことすらも一度メタ的にとらえるフェーズに入った、というのはバンドとしてまた次のステップに進もうとしている兆しかもしれないですね。

森山 そうかもしれないですね。「odolのサウンドといったらこういう感じ」となるような統一感が必要なのかなと考えるときもあるにはありますし、もしかしたら今後そっち側を突き詰めていこうと本気で思うときが来るのかもしれないです。ただ、今は様々な方向に広がっていくものを作りたいという気持ちが強いですし、次のアルバムでも今この瞬間にやりたいことをきっちり表現したいと思います。

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odolですが、8月28日に吉田ヨウヘイgroupとの対バンという面白そうな企画がラママにて。

12月のツアーの概要も発表されています。

インタビューの感じだと次のアルバムも様々な方向に楽しく広がる作品になっていそうなので楽しみです。

というわけで、今回はこの辺で。

もし面白いと思っていただけたらよろしくお願いします。アウトプットの質向上のための書籍購入などに充てます。