33→0

「アイドルの側は一回性の人生を生きる生身の人間であるのに対して、ヲタの側は「若さが無限に延長された社会」を生きる者として、繰り返し青春を生きる。」
 (『「ネオ漂泊民」の戦後』 中尾賢司) 

 「私達は年を取り、時代は巡り、現実が追いかけて来ます。その追撃の手を払い除け、個人消費社会の“尖った連中”として年を取り続けるのは、あまりにも高難度で、あまりにもハイリスクです。」
(『融解するオタク・サブカル・ヤンキー  ファスト風土適応論』 熊代亨) 

どちらも最近読んだ本の中で胸に刺さった一節。 

 「若いころの趣味からだんだん遠ざかっていく」という一般的なモデルに反してむしろ「若いころの趣味がますます加速していく」状態になっている自分にとって(下手すると今年は人生で一番音楽を聴いたかもしれない)、この先どうやって年齢を重ねていくのか、もっと言うとこういうライフスタイルを一生続けていくのか/いけるのか(体力、経済力、他の社会活動との兼ね合いなど様々な観点から)、という問いが頭の片隅にこびりついて離れない1年だった。 

 そして、ここ数か月ずっと気がかりだった妻の出産が無事(と言い切るにはあまりにも壮絶な光景が繰り広げられていたが)に終わり、なんと自分が「父親」という立場になったことで、これらの問いがいよいよリアリティを持って迫りつつある。

 夫のプライベートに関心を示さない妻のおかげでここまで自由にCDを買い自由にライブに行く生活を送っていたが、子どもの存在はそういった自由を圧倒的に制限することになる。そしてその状況はすでに今月から始まっていて、くるりとバインの対バンという超魅力的なライブも(友人に誘われたにもかかわらず!)出産予定日だったため行けなかった(結局その日には生まれなかったが)。パスピエのツアーファイナルも、女子流の渋谷公会堂昼夜公演も、参加した人たちのツイートを眺めながら羨ましく思っていた。経過良好につき年末は多少遊びに行っても大丈夫そうだということでCDJとトライセラの追加公演に行こうと思ったら、当たり前のようにチケットが売り切れていた。たぶんこういったことはどんどん増えていくだろう。 

 一方で、生まれた日と翌日ですでに全然違う顔つきになっている赤ん坊を見るにつけ、今までの自分の人生にはなかった楽しさや喜びがこの先広がっていくだろうなという予感もひしひしと感じている(同等の苦しさやしんどさももちろんあるんだろうけど)。いろんな人から「娘を溺愛するに違いない」と言われているけど、実際そうなるような気がする。 

 「新しい楽しみと向き合いながら、これまでの楽しみとも折り合いをつける」という自分の人生の新しいバランスをどうやって作るか。2015年からの数年はそういう試行錯誤の年になりそう。まああまり気負わず、適度に目の前のことに流されながらやれることを一つずつやっていきたいなと。子どもがいないと触れなかったであろう世界に対して好奇心をもって接していきたいし、いずれは家族で音楽を楽しめるようになればいいなと思う。

33年間生きてきて、ここからは父親として0歳からの再スタート。わくわくします。

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