夏フェスは最強の「自己演出コンテンツ」である

『夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』(blueprint)の内容をベースに、夏フェスをモデルケースとして2010年代のマーケティングのあり方について考える連載企画です。今回は第4回目。

ちなみにこんな構成を考えていますが、変更するかもしれません。(ちょっと順番変えました。あと⑦⑧は一緒にやるかも)

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①提供価値の拡張
夏フェス=コンテンツ×エクスペリエンス×コミュニケーション

②協奏のサイクル 
夏フェスは「参加者が主役」、すなわち「ユーザーは事業のパートナー」

③「周辺」のユーザーを取り込む 
“濃い音楽ファン以外”にも支持される夏フェス

④SNS時代の基本原理 その1  ←今回これ
夏フェスは最強の「自己演出コンテンツ」である

⑤「モテ」はビジネスをドライブさせる
「カップルでフェスに来てる奴らは○ね!」

⑥SNS時代の基本原理 その2
夏フェスで理解するスクランブル交差点(ハロウィン、サッカー日本代表戦)

⑦時代に合わせた事業ドメインのスライド
ロッキング・オン社と渋谷陽一氏の何がすごいのか?

⑧ユーザーを育成する
「フジロック型」ビジネスと「ロッキン型」ビジネス

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前回の記事で、フェスの提供価値が徐々に開かれていく過程についてこちらの年表で示しました。再掲します。

今回考えるのは、この年表における2006年ごろまで。音楽以外のインフラが整備されつつあった夏フェスは、SNS文化の萌芽と合わせて一気にその性質を変えていきます。

「SNS映え」「インスタ映え」といった言葉はどこでも聞かれるようになりました。正直軽薄な印象を覚えることもありますが、人間が社会的生き物である以上「誰かに良く見られたい」というのは自然な感情のように思いますし、今はそれが可視化されているからこそ多くの人がその指標を頼りに生きようとするのではないかと思います。

多くの企業が「SNSで話題にしてもらえること」を意識しながら事業を行っていますが、抜けがちだなと思うのは「それは"ユーザーの人格、ライフスタイル、生き様”を表現するために必要なものに本当になっているの?」という視点です。ただカラフルでかわいいからシェアする、というのはあくまでも単発の行動に過ぎず、その先にあるパーソナリティの発露につながっていくものこそが、多くの人のSNSでの発信材料として長い期間浸透していくのだと思います。

夏フェスは、まさにそんな「各人のパーソナリティを発信するための材料」として定着しました。そこから学ぶべき部分は多いのではないでしょうか。

>>以下『夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』より引用/編集

「ライブ以外」の楽しみ方の発見

フジロックがスタートしてから3年後の2000年、ロック・イン・ジャパンとサマーソニックが初めて開催される。1999年に始まったライジングサンとあわせて、「4大フェス」と呼ばれる現代のフェス文化のメインプレーヤーがこの年に出揃った。

再三述べている通り、最初は「豪華アーティストをまとめて見ることができる」というところが唯一にして最大の価値だったフェス。そのような状況を経て、フェスの提供する価値が「ライブ以外のもの」に拡張していったのはどのタイミングだったのだろうか?

そんなことを考えるうえで、興味深い記事を2つ紹介したい。

最初に紹介するのが、『東京ウォーカー』2001年7月 31 日号の「目前!夏の野外フェス2001」(P 57 )。メイン特集は「夏フェスで見たい!いま旬なアーティスト・インタビュー」で、若かりし頃のBRAHMANとBUMP OF CHICKENがインタビューに応えている。 

次に紹介するのが、前述の記事からちょうど1年後、2002年7月 30 日号の『東京ウォーカー』。同じくフェスの特集が展開されているのだが、タイトルは「ライブはもちろん、行くだけでも楽しい 夏フェス天国」(P 70 ) 。この特集には女性シンガーのUAのインタビュー記事もあ るが、メインコンテンツとしては扱われていない。記事の中心に据えられているのは「こんな楽しみ方もあり?夏フェス中毒のみなさん」という参加者にスポットを当てたコーナーで、 20 代前半のフェス参加者5人のこんなコメントがフィーチャーされている。

日常のストレス発散です
グッズを買うのが楽しみ!  
とにかく〝飲み〟は必須かな 
メンバーがそのへんにいるかも !?  
ノリならナンパもアリ !?  

また、記事の中にも「昼から夜まで開催されるだけに、ライブ以外にもオモシロイ施設がたくさんある。みんなが一番利用するであろう食事では、世界各国の料理を売る店が出るなど、食通も満足( !? )なほど充実している。ふだんなかなか食べられないものまで食べられるところも!」(P 71 )という記述もある。

見比べるとわかるとおり、同じ媒体の同じタイミングの記事で、1年経つと切り口がガラッと変わっているのが面白い。2001年の時点では間違いなく「音楽」と「アーティスト」が主役の特集だったが、2002年では「音楽以外」と「参加者」を前面に押し出した特集になっている。グッズ、飲食、ナンパなど、今のフェスを語るうえで登場する要素が並んでいるのも注目すべきポイントである。

まだインターネットが一般的な情報源としてはそこまで機能していなかった2000年代初頭、『東京ウォーカー』という雑誌は若者向けの娯楽をタイミングよく紹介するメディアとして影響力を持っていた。そんな媒体が、いち早くフェスというエンターテインメントの変容に感づいていた。

この時期は、フェスの歴史において一つ目のターニングポイントだったように思える。2章で述べた通り、2001年のロック・イン・ジャパンにはMr.Childrenとゆずというマスにも訴求できる売れっ子が出演した。また、この年のフジロックは、 Oasis 、Neil Young 、Eminemという例年以上に豪華と言って差し支えないヘッドライナーを揃えたことに加えて、「ライブ以外」の部分への注力をはっきりと進めた。

その成長の方向性をはっきり打ち出したのは、二〇〇一年の第五回だったように思える。夜間には「サーカス・オブ・ホラー」なる、サーカスとミュージカルを融合したエンターテインメント・ショーを上演。さらに、メリーゴーランドを備えたミニ遊園地的なスペース、マッサージ・テントや景品が当たるカジノ・カフェなども設置され、屋台村では大道芸が盛んに行われるようにもなった。これらすべてが、その後継続的に行われたわけではないが、音楽以外にも様々なアトラクションが用意され、来場者が思い思いに楽しめるような仕掛け にも力を入れるようになったのだ。 (西田浩『ロック・フェスティバル』新潮社/2007年7月/P 78 )

ここまでの話をまとめると、2001年から2002年にかけて「コアな音楽ファン以外も巻き込んだフェスというエンターテインメント」のあり方がおぼろげではあるが見え始めたということになる。現代型フェスの歴史が始まって5年足らずで、フェス参加者は徐々に出演者以外の側面に価値を見出しつつあった。ただ、その流れが主流になるのはもう少し先のことである。それでは、参加者はいかにしてフェスのあり方を変えるような影響力を行使し始めたのか。

mixi の登場、そして自己表現と結びつく夏フェス

前章(注:この本の2章)で、「フェス参加者の興味関心が<出演者>から<その周辺のインフラやみんなでわいわい騒ぐということ自体>に移り始めたのは2006年ごろからでは」という話をした。実はその萌芽は2002年ごろからあったというのが前項の内容だが、ではそのような流れが2006年ごろになって明確に顕在化したのはなぜだろうか。

この問いを考えるにあたって2006年ごろに起こっていたこととして着目したいのが、SNSの一般化である。

今では誰もが当たり前のように使っているSNSだが、これが社会の仕組みに明確に組み込まれたのがこの時期あたりである。特にこのタイミングで世の中に影響力を持ち得ていたのが mixi 。「サービス開始から2年強で、約400万人(2006年5月 15 日現在)のユーザ数と1 日当たりページビュー約1億8000万を誇る、 Yahoo! JAPAN 、 Google に続く国内第3位の 人気サイトにまでになったサービス」(根来龍之監修・早稲田大学IT戦略研究所編著『 mixi と第二世代ネット革命』東洋経済新報社/2006年8月/P9)で、2006年にはYahoo! JAPANの検索ワードランキングで2ちゃんねるを抜いて年間1位となった。

今さらの話ではあるが、 mixiに登録した人は登録者間でのコミュニケーションを楽しむことができる。具体的には、日記を書いたり写真を公開したり、おすすめの本やCDをレビューしたりというような使い道がある。それらは「マイミクシィ」としてつながっている友人・知人たちに共有され、そういった投稿を見た側からコメントが返ってくることもある。他にも「コミュニティ」という機能があり、「知り合いか否か」ではなく「同じ興味関心を持っているか」という切り口で人が集まる。そこでは好きな芸能人やテレビの話題、もしくはもっとニッチなテーマで様々な情報交換、意見交換が行われる。

上記のようなことはこれまでもインターネット上では可能だったが、それを楽しめたのは自力でホームページをつくれる人たちだけだった。また、 mixiの登場前にも個人向けのブログサービスが多数存在していたが、そこにも「結局どれを使えばいいのかわからない」というようなハードルは間違いなくあったと思われる。 mixi によって、ウェブにおけるコミュニケーションの楽しみが一般的なものとして開放された。 「これを使っておけば間違いない」というサービスとしてのメジャー感、「招待制」「実名推奨」によって形成された「安全な場所」というイメージなど、mixiには「普通の人たち」が利用し始める条件が十分に揃っていた。

2006年の検索ワードランキングの変動は、ウェブ空間の覇権が「2ちゃんねるという物騒で怖い空間を生き延びていく人たち」から「 mixiというクリーンな場所で遊ぶ普通の人たち」へ移行したことの証左と捉えることもできる。そう考えると、真の意味でインターネットが市民権を得た年(インターネットが特別な人向けのものではなくなった年)が2006年と言えそうである。

2006年あたりに顕在化してきた「コアな娯楽だったフェスがマスに開かれたものになっていった」という潮流と、同じ年に浮上した「2ちゃんねるからmixiへ」という流れには、符合する部分が非常に多い。では、 mixiの広がりはフェスのあり方にどのような影響を与えたと言えるだろうか。大きく分けて2つの方向が考えられる。

1.ゆるい繋がりの可視化が(間接的に)フェスへの敷居を下げた
日常的にコンタクトのある友人だけでなく、学生時代の古い友人などリアルではあまり繫がりのない人の行動も見えるようになったことで、単純に近況を知る人の母数が増えた。その中には、昔からフェスに馴染みのある人も1人くらいはいるかもしれない。「知っている人がフェスに行った」という情報が入ってきやすくなったことで、「今まで行ったことはのなかったけど今度フェスに行ってみよう」という気持ちになった人は間違いなくいるはずである。

2.「フェス」が「自己演出」のために活用されるようになった
mixi が生み出したのは、「自分のステータスが絶えず周囲の人、しかも実際の知り合いに見られる」という状況である。そういう環境において、「自分がどういう人かちゃんと表現したい」、もっと言えば「自分のことをいい感じに見せたい、演出したい」という感情がドライブさせられるのは当然である。

野外でライブを見ながら1日を過ごすフェスという娯楽は、そんな気持ちにぴったりはまるもの、つまり自分をより魅力的な人にしてくれるものなのではないか。mixiを介してそういった気づきを得た人たちが、新規層としてフェスに流入していったという構造があるように思える。

これに関連して注目したいのは、前述したコミュニティとの接し方である。コミュニティに加入すると、自身のページ(マイページ)には「そのコミュニティに加入している」ことを証明するアイコンが表示される。複数のコミュニティに参加していると複数のアイコンが表示されるわけだが、 mixiにおいてはこのアイコンの並び自体が自己紹介代わりになる。

mixiには「夏フェス友の会」「フェスでハイタッチ!」など、フェスに関連するコミュニティも複数存在しており、これらに加入することで「ぼく・わたしは夏フェスが好きな人です」ということを気軽に表明することができる。こういった「カジュアルにフェス好きを名乗る行為」が、「音楽が好きというよりフェスが好き」とでもいうべきタイプの人間の登場に寄与したのではないだろうか。 

mixi で自分が何者であるか表現したい(それをしたいと思わずにはいられない環境が mixiには用意されている)。そのために「フェス好き」を名乗り、フェスに行ったことを積極的にアピールする。それに感化された人がフェスに行く。そして、それを自己表現に取り込むために「フェス好き」を名乗る。そして……こんなサイクルを通じて、フェスは「自分が何者か」を示すための使い勝手の良い道具となった。

mixi を使うことを覚えた日本人は、多くの娯楽を「○○している自分」という自己演出に奉仕させる傾向が強くなった。この大波にさらされたのは、決してフェスだけではない。ただ、この転換はフェスにとって非常に大きいものだった。SNSはフェスにおいて一番大事なものを「ステージに立っているアーティスト」ではなく「そのアーティストを見ている自分、もしくは見ていないけどその場を楽しんでいる自分」に変えた。それはつまり、フェスが当初から掲げていた「参加者が主役」の具現化ということになる(図表3 -2)。

mixiは、ある意味ではフェスを「フェスの作り手側が目指していた形」に進化させた。一方で、それによって「出演者」、つまり「音楽」は主役の座から引きずり下ろされたとも言える。現在mixiは全盛期に比べるとすっかり下火となっているが、SNSというフォーマット自体は相変わらず社会の中心に鎮座しており(むしろその影響力を増していると言っていいだろう)、mixi によって作り上げられたフェスにおける参加者と出演者(音楽)の関係性もいまだ温存されている。この関係性については価値判断を挟みたくなるところだが、この段階ではあくまでも仮説の提示というレベルにとどめたいと思う。

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次回は、この「自己演出のためのフェス」という世界の先に生まれた「フェスと恋愛」の関係について触れたいと思います。

※詳細は拙著(下記リンク)にて


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