Perfumeは「アイドルの未来」ではなく「未来そのもの」を更新する(五百蔵さんとの振り返り②)

2018年のPerfumeとこれからのPerfumeに関する五百蔵容さんとの対談後編です。前編はこちらからどうぞ。


前編ではアルバム『Future Pop』と深く結びついていた「Perfumeの自己言及」問題について話し合った結果、やや辛めの内容になりました。

後編ではそんな流れも踏まえて2018年の活動において大きいトピックだった『Reframe』(3月にNHKホールで行われた「Perfume×TECHNOLOGY」 presents “Reframe”)と全国ツアーについて掘り下げつつ、この先のPerfumeが目指すべき姿に関しても議論しました。

未来に向けて、Perfumeが果たすべき役割とは何なのか?何らか思いを馳せるヒントになれば幸いです。それではどうぞ。


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『Reframe』とMIKIKO、そして「WE ARE Perfume」の希望と罠


レジー 先日アップされた「Reframe解題」、非常に面白かったです。最初はどこに着地するんだろう?と思いながら読んでましたが…(笑)。

五百蔵 (笑)。


レジー あの前段があるからこそ、チームPerfumeが成し遂げたことの意味がより分かったように思います。目次をたどれば前段を飛ばして読むこともできる構成になってましたが、あれはぜひフルで読んでいただきたいですね。内容として特に気になったことが2つありまして、まずはそれに沿って話せればと思います。


①MIKIKO先生が「単なる振付師」というよりは「時代に合わせた舞台表現のアップデートを司る人物」という位置づけで読み解きを行っている、という前提条件の話


レジー 「MIKIKO=Perfumeの振り付け」「MIKIKO=恋ダンス」というイメージが先行している中で、彼女がもう一段高いレイヤーから様々な表現を更新しようとしている人だというのは意外と語られてないような気がします。

五百蔵 確かにそうですね。MIKIKO先生のやっていることを正しく捉えて評価する場、軸、言葉が適切に設定されているとは言い難い状況だと思います。

レジー 東京五輪関連に関わっているのはそういう評価が下敷きになっているがゆえということかもしれませんが、『Reframe』を介して一般的な見られ方がより変わっていってほしいですよね。

五百蔵 先日発表された「文化庁メディア芸術祭」の受賞講評でも「舞台芸術の伝統を踏まえている」という意味の評がありましたが、MIKIKO先生が志向していることを言い当てているなと思いました。

永遠を希求するアートと比してエンターテインメントは古くなることを厭わず新しさを追求するが、その関係はサイエンスとテクノロジーの対比にも重なる。この舞台は非常に明解に、エンターテインメントとテクノロジーの先端部分を直結してみせた。その手法の見事さの一方で、舞台芸術の設定としては既存の枠組みをしっかり踏襲していたが、この作品にとってその点はむしろ重要な要素であると思えた。


レジー 「舞台芸術」というキーワードでMIKIKO先生について語られるケースは少ないですよね。

五百蔵 はい。MIKIKO先生が正当な評価をされていない、というのは正直問題だと思います。彼女は「ステージエンターテインメントの分野における宮崎駿」といっていいレベルの人物だと僕は思っているんですが、宮崎の例で言えば、もう『もののけ姫』の頃くらいの評価の広がり、言葉があっておかしくない水準にあると思うんです。でも、実態としては『カリオストロの城』、良くて『風の谷のナウシカ(映画)』の時期レベルのものしかないなと。マニアは凄さをわかっているし、語ってもいるが……という。

レジー イレブンプレイに関する仕事もそうですよね。

五百蔵 「最先端」であったとしても「好事家だけがわかっている」というレベルを脱していないですよね。この辺は、Perfumeがライブに関して情報統制を続けてきた歴史も負の側面として関わっている気がします。


②Reframeの内容が「Perfumeの物語であると同時に、これから来る全ての夢見る少女達に適用可能な物語にもなっている」という指摘


レジー アイドルというものが「メディアを介したファンとのかかわりあい」によって生成されるものだと考えると、それを正面から扱った『Reframe』がアイドルの未来を描くものになるのはむべなるかなと納得させられました。

五百蔵 前回の話ともつながりますが、『Reframe』は「自分たちのため」ではない形で活動を続ける今のPerfumeのあり方とリンクする問題設定だったと思いますね。

レジー そのストーリーの中で彼女たちが掲げてきている「WE ARE Perfume」というメッセージが立ち上ってくる構成は見事だったと思いますし、それをテクノロジーを援用しながら視覚的にも体現した「願い」のパフォーマンスも見事でした。一方で、あえてのまぜっかえしではありますが、「WE ARE Perfume」的な概念は、距離感を間違えるとそれこそ昨今の「悪い意味でのアイドルとファンの一体化」につながりやすい側面もあるのかなと感じましたがその辺どう思われますか?「WE」と言っても、本来は引かれるべき一線があるわけで。


五百蔵 「Reframe解題」の前置きは自分でも長すぎると思っているんですが(笑)、あそこにあれだけボリュームを割いたのは、「frame」という自他の結節装置が歴史的な経緯を見ても簡単に「悪い一体化」「ファッショ」「プロパガンダ」といったものに応用される可能性がある、という読みができるようにしておきたいといった意味もありました。だからこそ、そのリスクを抱えたうえで「frame」の本来的な機能を甦らせようとすることに『Reframe』の意義がある、というのは僕があの文章を通じて言いたかったことです。

レジー なるほど。そう考えると、『Reframe』の取り組みの崇高さや、次代につなごうとする意思みたいなものがより伝わってきますね。

五百蔵 でも、そうやって開かれた展望を表現した『Reframe』に対して、『Future Pop』のツアーには、アルバムがそうであったように自己言及的な色合いが強かった部分がありました。それはつまり、レジーさんの言う「悪い意味での一体化」になりかねない構造を孕んでいたということではないかなと。


Perfumeのライブとは「照明」である


レジー これは僕もなんですけど、なぜか『Future Pop』に関する話になると辛口な展開になりがちですね…

五百蔵 せっかくなので、『Future Pop』のツアーに関してはよかった部分から話しましょう(笑)。まず、何と言っても3人のパフォーマンスですね。今回のツアーは長野2日目、横浜で2回、あと振替公演の大阪の2日目を見ましたが、このツアーを通じてPerfumeのダンスはネクストレベルに到達したと思います。「ぐるんぐるん」(2014年のツアー)あたりから彼女たちは女性ならではの身体性の追求に重きを置いてきた印象があるんですが、そういったトライを通じて、身体そのもののやわらかさとそれによって生まれる動きのやわらかさをほぼ完ぺきに見つけたんじゃないかなと。「ついにモデルチェンジ完了!」という感じです。

レジー ツアーごとにパフォーマンスレベルはどんどん上がっていきますよね。ちょうどこの前Perfumeの過去のライブDVDが一部劣化してきていたので思い切ってブルーレイで全作買い直したんです。それで久しぶりに『GAME』ツアーの映像を見たんですけど、当時あれだけ衝撃を受けたはずのダンスを見て「うわ、なんかバランス悪いな…」と思ったんですよね。当時は力任せで踊ってたんだな、曲線的な表現はあまりなかったんだなと。

五百蔵 動きのスムーズさ、そしてそれが3人の間で同期するクオリティ、いずれもどんどん増していってるのは間違いないです。従来のきびきびした感じや力強さは残しつつ、波のようなしなやかさまで獲得して、ほんとにどこまでいくんだろうなと。単に非常に美しいだけでなく、彼女たちの身体の中心から外側、振った腕の肩口から指先に向かって力が流れるように伝播していく様子が実感できるようになっています。今までのパフォーマンスであれば指先でとどまっていたエネルギーが、その先の空間にまで広がっていくような、そんな表現を3人は獲得しました。「新次元」としかいいようがない。

レジー 力強さとしなやかさ、美しさを体現するパフォーマンスが可能になったからこそ、「スパイス」や「575」、「575」はきっちりダンスがあるわけではありませんが、そういった10年代初頭のポップ路線の楽曲もより映えるようになりましたね。当時の曲に関しては今改めて3人の表現力が追い付いてきていると言えるのかもしれません。


五百蔵 今改めてやってほしい曲ってたくさんありますよね。

レジー 僕今「ファンデーション」見たいんですよ。

五百蔵 あー、見たい(笑)マイクスタンド立てる曲は、今の彼女たちにむしろ映えるかも。僕は「plastic smile」、「Kiss and Music」あたりですかね。

レジー いいですね!

五百蔵 前者は初期のMIKIKOスタイルのショーケースみたいな振りが楽しめる曲、後者は「Take me Take me」と同じく、MIKIKO先生心の師匠、ボブ・フォッシーのスタイルが取り入れられています。今やったらすごいと思うなあ……この妄想はとりとめなくなりそうなので話を戻すと(笑)、今回のツアーでは特に照明の使い方が素晴らしかったです。正確に言うと、今回のツアー「も」なんですけど。僕はPerfumeのステージの肝、要はMIKIKO先生の舞台演出家としての資質が存分に発揮されているポイントが照明である、とずっと思っていて。

レジー 照明ですか。なるほど。 

五百蔵 Perfumeのステージはデジタルテクノロジー面で語られることが多くて、僕自身もそちらに注目しがちではあるんですが、彼女たちのステージが「舞台芸術」として極めて優れているのはその照明の技術的な精緻さ、およびその構想に合致した質と量だと思っています。MIKIKO先生もそこにかなりの配慮と時間を投じているはずだと思っていますし、実際に時間が一番かかるところなんじゃないかなと。

レジー 照明の話で真っ先に思い出したのが、幕張メッセで行われた2017年の「Perfume FES!! 2017」のオープニング、「TOKYO GIRL」で細い光の線がカーテン状に出てくる演出です。あれは素晴らしかった。

五百蔵 ソフトウェア制御で大量のライトを同時に、音に同期させて動かしていたやつですね。今回のツアーの「TOKYO GIRL」では、同じ方向性の下にさらに複雑な表現が志向されていました。Perfumeのステージは、ビデオで確認可能な時期だけでもかなり早いうちから「アイドルを際立たせるのに最適化された照明」ではないやり方を取っていると思います。簡単な例を挙げると、Perfumeの表情や姿がしばしば見えなくなる、見えづらくなるというシーンがたくさんありますよね。主にキーライトを落としたり、逆光を使ったり。

レジー 照明ではありませんが、SMAPが「アイドルなのにアルバムジャケットに顔を出さない」「でもかっこいい作品として成立する」みたいなことをやっていたのともつながるように思います。


五百蔵 本来的には成立し得ないことがほとんど問題にされないできたのは、そういったひとつひとつのシーンが全体的な舞台表現としてあまりにもセンス良く素晴らしくできていて、Perfumeの3人の姿、表情がほとんど見えなくてもそれがアリなのだとほとんど全ての観客に感じさせることができているからですよね。ポップミュージックのコンサートは基本的に「全体の一貫性以上にシーンごとのエンターテインメント性を優先する」という原理で構成されていると思うんですけど、Perfumeのライブはオープニングから終幕まで舞台全体の明暗や色合い、光の動き、静止のコントラストが一貫性のあるものとしてコントロールされています。

レジー なるほど。そこに五百蔵さんが「舞台芸術としてのPerfumeとMIKIKO」という視点を持ち込む所以がある。

五百蔵 はい。ポップミュージックのコンサートである以上に、古典的でストイックな舞台芸術、オペラとかと追求しているものが近いなと。最近は他のアーティストのライブにそこまで頻繁に足を運んでいるわけではありませんが、この方向性はすごく稀有なものなんじゃないかと思います。

レジー Perfume3人のパフォーマンスと同様に、照明という観点においても彼女たちのライブは進化を続けているという理解でいいですか?

五百蔵 そうですね。私見では、PerfumeとMIKIKO先生のステージにおける照明術は、2008年の武道館で勘所が掴まれ、2009年の「直角二等辺三角形TOUR」でその後のレファレンスになるクオリティが達成され、2013年の東京ドームでネクストレベルに移行し、その後さらにレベルアップしていると思います。そういった流れを経ての『COSMIC EXPLORER』のレギュラーツアーは、特定会場の一部の席では照明が目に入って見づらい設計になってい他という部分はありつつ、現時点で最高レベルの照明術が駆使されていました。そしてその「最高レベルの照明術」は、『Future Pop』のツアーでも存分に活かされています。「センターのPerfumeと巨大LEDにほとんどの表現リソースを投入する」というシンプルな発想がベースになっていた今回のツアーにおいて、「センターからの移動が最小限」「常に3人の背後で連動して動いている高輝度LED」といったライティング的な悪条件をものともせずに、もしくはそう状況を逆手に取るように、光量や色彩、ライトの配置の動きが緻密に設計されていてとても見応えがありました。これは推測ではありますが、こういった「ステージの構造をシンプルにしたうえで、照明のテクニックでバリエーションを出す」という見せ方であれば、『COSMIC EXPLORER』のツアーのような「山盛りの装備」を必要とすることなく、複合的なゴールが組み合わさった『Future Pop』のツアーを破綻なくこなすことができると考えていたのかもしれません。


『Future Pop』ツアーは停滞か?未来への助走か?


レジー 今五百蔵さんからも「複合的なゴール」という指摘がありましたが、今回のツアーには達成しなければいけないものとして課されていたテーマがいくつもありましたね。

・『Reframe』で手ごたえを得た「MCを挟まない形」でのステージ構成を応用する
・『Reframe』の延長線上にある「Perfumeの歴史」を描き出す
・最新作『Future Pop』の楽曲をパフォーマンスと合わせて魅力化する
・紅白歌合戦およびカウントダウンライブでの中継に必要なパートを盛り込む
・上記すべて踏まえたうえで、海外ツアーにも転用できるプランニングをする


五百蔵 今回のツアーはこれらを実現するために考え抜かれたものになっていたと思います。一方で、「作り手の側の狙い、事情」は達成できていたとしても、席によって見え方にかなりの差が出ていたことも含め、目の前の観客にそれが十分に伝わるステージに本当になっていたのだろうか、というのはちょっと疑問だなとも感じています。『Reframe』のパートの最後に触れた「自己言及的な色合いが強かった」「悪い意味での一体化」という話ともつながってくるんですけど……正直に言うと、今回のライブのオープニングは本当に退屈だったんですよね。何も「おお!」と思うものがなかった。

レジー なるほど。

五百蔵 ああいうセンスの良いタイポグラフィの連打自体で「すごい」と思わせることはできるのかもしれないですけど、技術的にもアイディア的にも既にやったことの繰り返しでしたし、何よりライブのアタマからPerfumeの歴史を当然のことのように垂れ流して振り返られるのがキツかったです。既存のファンからすると勝手知ったるグループの歴史をそれっぽく並べ立てられても……という感じですし、そこまで知らない人たちや一見さんには何のことやらという映像だったんじゃないかと。

レジー 「席によって見え方に差が出る」というのはオープニングに限らず今回のツアーを振り返るうえで大きなポイントですよね。僕は名古屋1日目で花道の正面比較的近く、横浜2日目ではスタンド正面のわりと後ろの方でしたが、だいぶ印象が違いました。幸いにも2回ともステージ正面と言っていいアングルではあったんですが、「これはちょっと角度がズレるとほんとに何が何だかわかんないんじゃないか」と思いました。

五百蔵 WOWOW放送版、つまりセンターアングルを観ると、このツアーは実に素晴らしいんです。オープニングに関しても、やりたかったのは「年表垂れ流しみたいな情報の渦の中からPerfumeが現われる」ということだったんだなというのはわかるんですが……それでも自己言及の度合いが過ぎてぱっとしないアイディアだなと思いますし、何よりレジーさんもご指摘の通りセンター以外のエリアからはただゴチャゴチャした絵にしか見えないので、その狙いすら伝わらない視覚演出になっていました。あえて悪い言い方をすれば、「自分語り」「自分押し」さえできればセンター以外のお客さんの見え方はどうでもいいと言わんばかりの「ストイックな割り切り」「引き算」というのもどうだったんだろうなと。もちろん今Perfumeがやろうとしていることは単なる自分語りではないというのは『Reframe』で十分に証明されていると思うんですが、『Future Pop』のツアーは残念ながらそこまで昇華されたものにはならなかった。

レジー 『Future Pop』というアルバム自体が自己言及的というか、Perfumeの歴史とセットじゃないと深く楽しめないものになっているのでは?という話が前回の主題の一つとしてありましたが、ツアーについても同様の課題があったのかもしれないですね。

五百蔵 もともと僕自身が自己言及型の表現をあまり好まないので、そういう空気の感じられるライヴや映画に対して「お前(アーティスト)の身の上話など知ったことか」「もっと色んな人が関心を持てるような面白い話はないの?」と言いたくなってしまうということもあるんですが……一方で、ライブ冒頭の「Future Pop」から「エレクトロ・ワールド」という流れはすごい良かったと思うんですよね。これは「Perfumeは原始から“Future Pop”=未来のポップミュージックだったんだ」ということを示すには最高の入りでしたし、そのコンセプトでライブ全体を作り上げるという選択肢もあったはずです。ただ、そうやって達成すべきポイントを限定するのが今回のツアーでは難しかったというのは先ほど触れたとおりですし、それらがうまく融合されずに食い合う形になってしまったように感じました。


レジー プロジェクトとして目指すものが多重構造になりすぎている、というのはここ数年のPerfumeの課題ですよね。『Reframe』仕様をツアーに盛り込もうというのも、あの感じを東京以外の人にも見せたいというファン思いの発想あってのことだと思いますが、結局それによってライブの軸がぶれる、というのは「2015年に武道館で3569コーナー(セットリストをすごろくで決める)をやる→それを2016年にツアーに盛り込む」という際にも起こっていたことだと思います。海外展開に関しても、これはライブに限ったことではありませんが、例えばK-POPのアーティストのような「グローバルでの戦い方とローカリゼーションを使い分ける」といった戦略を設計するでもなく、もしくはワンオクのような「既存のファン層を切ってでもグローバルのトレンドに合わせる」という大胆な手法を採るでもなく、「これまでの延長線上で頑張れば国内でも海外でも評価される」というちょっとぼんやりしたやり方になっているようにも感じます。この辺は外野から見ていてすごくもどかしいですね。


Perfumeは世界で唯一無二の存在になれる


五百蔵 ここまで話してきて、Perfumeが「自分語り」「自分たちの歴史のナルシスティックなディスプレイ」のようなところに帰着してしまうのってある意味当然の帰結だったんじゃないかなと気づいてきました。と言うのは、彼女たちはそもそも「表現者として語るべきもの」を何も持たないからです。北米のフェミニンなパワーを発する女性アーティストたちのように人間的、社会的、政治的な強い主張があるわけでもないし、アンチプロテスト的な、弱いけれども美しい表現を通して語るべきものを持っているというわけでもない。

レジー むしろそういう表現者的な語りのエゴを持たないことこそがPerfumeの魅力でもあったわけですよね。

五百蔵 はい。そんな巫女的な力が強みの源泉だった。けれども成長の段階として、「より踏み込んだ、成熟した表現に向かわなければ」という地点に来た。そういう地点では、表現者は通常なにかを語ることが求められてしまう。でも、Perfumeにはそれは無い。そこでPerfumeにあるのは「Perfume自身であること」そのものであり、それを打ち出すことがPerfumeにしかできない表現であると同時に成熟への橋頭堡になるという判断があり、それらを踏まえたアウトプットとして「テクノロジーでも壮大な装置でもなく、Perfume自身を見てほしい」「Perfumeの物語を聞いてほしい」というところに帰結しているのかなあと。仮にそうだとすると、それは論理的だし、正当性もある。一方で、ナルシズムの罠に囚われたまま立ち止まってしまうリスクもある。そんな「筋は通っているけど危うさもある」というのが今のPerfumeが置かれている状況なのかなと。そして、今の段階を経て、普遍的で肯定的な「未来」の表現を手にするにはかなり強いアイディア、パワーが必要だろうと感じます。

レジー なるほど。この流れで、ここまでの話を踏まえて「未来のPerfume」のあり方についてまとめてこの対談も終わりに向かっていければと思います。『Reframe』についての「Perfumeの物語であると同時に、これから来る全ての夢見る少女達に適用可能な物語にもなっている」という評は、これまでPerfumeが自然と果たしてきた「アイドルという存在の更新」ともぴったりリンクします。一方で、たとえばNegiccoがある種Perfumeの先を行く形で「完全に新しいグループアイドル像」を定義することになりそうですし、前田敦子や小嶋陽菜といった元AKB組も女性としての人生のあり方をちゃんと示していたりもする。そう考えると、Perfumeがやるべきことは「アイドルの更新」だけじゃないのではないか。じゃあそれが何なのかということなんですけど、彼女たちが示すべきものは「女性アイドルの未来」だけではなくて、「未来そのもの」を映し出す存在になることこそがPerfumeとしての使命なんじゃないかなと。

五百蔵 うん。それはすごく思いますね。アイドルとして、女性として、というのは「彼女たちがその性であるからに過ぎない」程度の話で。それよりも大きな概念を体現することによって、それが結果的に、そして逆説的に「21世紀の女性としての肯定的な一形態」になるんじゃないかと思います。

レジー 『Reframe』であ~ちゃんが最後に語った「私たちPerfumeを通して、テクノロジーがもっと身近で温かいものだってみんなに知ってもらえたらうれしい」という言葉はほんとに名言だと思っているんですけど、あれこそがグループのあり方を示唆するものなんじゃないかなと。「テクノロジー」と「ヒューマニティ」の接点においてどんな未来を社会全体として描くことができるのか、そういうものを提示する存在であってほしいなと思います。海外メディアのPerfumeに関する取り上げ方を見ると、その辺が関心事になっている雰囲気もありますよね。


五百蔵 テクノロジーとヒューマ二ティを結節する「巫女」という立ち位置は「それしかないんじゃないか」という気がやはりしますし、現状の「自分語り」を巡る難しさを突破できるほとんど唯一の在り方でしょうね。そしてそれはPerfumeにしかできないだろう、という思いもあります。

レジー それは本当にそう思います。

五百蔵 21世紀の初めの20年がもうすぐ終わるわけですが、ここから次の10年間っていうのは、人類がテクノロジーを介して手にする未来が「否定的」なものになるか「肯定的」なものになるかが明白になるタイミングなんだと思います。前者の道の先には「マイルド1984」「マイルドホロコースト」的なものが待っているでしょうし、後者であればテクノロジーとの共生の結果として人間の新たな可能性が開花することになるはず。もちろん社会全体として目指すべきものは後者だと思いますが、それを目指すためには何らかの「ロールモデル」「グランドデザイン」が必要になります。Perfumeはおそらく、そういった未来の絵姿を非政治的なスタイルで打ち出せるポテンシャルを秘めた表現者の一群に入っているはずですし、その中でもかなり有力な存在だと思うんです。グループの成り立ちやここまでの活動を考えると彼女たちは「社会の次の姿を描き出すためのルートに最初から乗っていた」とも言えるわけで、そういう意味ではひょっとしたら世界を見渡しても唯一の存在かもしれません。

レジー そのポジションを突き詰めれば、きっと海外展開における展望も開けてくるはずですよね。

五百蔵 はい。「あるべき未来」をしっかり作品やその他の活動にちゃんと落とし込めれば、世界でも熱狂的に受け入れられる余地があるんじゃないでしょうか。マッチョでもセレブでもオルタナティブでもラディフェミでもない、緩やかで包括的なフェミニン、肯定的な女性性、そしてそれとリンクする社会の未来、というものを表現できるポテンシャルが今のPerfumeにはあると思うんです。それが実現されれば、メインストリームにおける数多の女性アクトが実は掬い切れていない、でもボリュームとしては分厚いはずの層にアプローチできるものになると思います。

レジー 「Perfumeが描き出す未来の姿」というのは日本の未来、というよりは世界共通の目指すべきものにきっとなるはずですよね。Perfumeの3人には、そしてチームPerfumeには、そんな壮大なことをやり遂げるパワーがあるはず。そういう期待をもってこの先も追いかけていきたいですね。


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そんな「世界で唯一無二の存在になれる」かどうかの試金石となりそうな4月のコーチェラ。やってみないとどうなるかわかりませんが、コーチェラ向けの特別セットで臨むという期待せずにはいられない情報も入ってきています。


4月の中頃には、世界中で「Perfume、やばい」の声があがっていることを楽しみに待ちたいと思います!

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