五百蔵見出し正

サッカー=「陣取り合戦」。ハリルホジッチを理解するうえで必要な視点とは?

『砕かれたハリルホジッチ・プラン』の著者、五百蔵容さんと本を起点にいろいろお話を伺ったインタビュー連載企画2回目です。初回分はこちら。

2回目となる今回は、本の中にも重要な概念として登場する「エリア戦略」「戦術的デュエル」という考え方について深掘りするとともに、そこから日本とヨーロッパにおけるサッカーというものの捉え方の違いにまで話が及びました。キーワードは「陣取り合戦」です。それではどうぞ。

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【エリア戦略と戦術的デュエル】
「フィールド全体の中でどこを使って試合を進めたいか」と「目の前の相手をいかに止めるか」はリンクしている

---『砕かれたハリルホジッチ・プラン』では、ハリルホジッチのサッカーを読み解くキーワードとして「エリア戦略」「戦術的デュエル」の2つが挙げられているかと思いますが、これらの概念について改めて五百蔵さんの方が説明していただけますか。

五百蔵:「エリア戦略」を簡単に説明すると、「自分たちがどのエリアに比重を置いて戦うか」「相手がどのエリアで強みを発揮しようとしているかをいかに読み取るか」ということになります。この考え方を理解するための大前提として、多くのボールゲームやボードゲームに共通することでもあるんですが、サッカーは「戦争のシミュレーション」なんですよね。その発想に立つと、サッカーをある種の「陣取り合戦」として理解することが可能になります。相手の陣地にどこまで進行したかが重要で、ボールの位置がその進行度合いを表すというか。オフサイドラインをコントロールして相手が侵入可能なエリアを制限できるのも、「陣取り合戦」としてのサッカーという側面を強めています。

---なるほど。ボールを持つかどうかというより、相手の陣地にどこまで攻め入っているかという観点で考えると。

五百蔵:そうすると、「ボールがゴールに入った」というのは「相手の陣地を完全に攻め切って支配下に置いた」ということのメタファーと捉えられますよね。双方のチームがその状態を目指して陣地の取り合いをするのがサッカーの本質だとすると、当然フィールド内で「この場所は渡したくない」「この場所を確保することで、敵陣に攻め入る起点にする」「一度この場所に相手を誘導することで、手薄になるエリアを奪い取る」というような駆け引きが絶えず起こることになります。そういった戦い方の設計図、つまり「どのエリアで強みを発揮するか」「そのためにそのエリアをどうやって保持するか」というのがこの本で扱っている「エリア戦略」の要諦です。
その上で、重要なエリアを抑えるためには、それぞれの局面で対峙する相手の選手に少なくとも負けないことが求められます。そこに相手がボールを持って入ってきたら必ず奪い切る、最悪でもその戦術的な意図を妨害できないといけない。でないと、戦略そのものが瓦解してしまう。だから、当初設計した「エリア戦略」をきっちり進めていくためには、選手個々が対人で負けないようにしないといけない。これが「戦術的デュエル」です。

---そう考えると、ハリルホジッチが強調していた「デュエル」というのは単に「フィジカルを高めろ」「ぶつかり合いに強くなれ」ということだけではないんですね。

五百蔵:そうですね。「押し込まれても1対1で勝てば良い」みたいな話では決してないと思います。たとえば相手がミドルゾーンで突破しようとするのを個と個の戦いでひっくり返せれば、逆にそこから反転して攻撃の起点を作ることができますよね。ハリルホジッチがやろうとしていたサッカーにおいては、「フィールド全体の中でどこを使って試合を進めたいか」という俯瞰の視点と、「目の前の相手をいかに止めるか」という局面での勝負は密接にリンクしています。

---素人質問ですが、「重要な相手をきっちり止めよう」とだけ聞くと、いわゆる「エースキラー」的なマンマークと同じことのようにも思えるんですけど、そういうものとは違うんですか?

五百蔵:「マンマークでキーマンにつき続ける」という発想だと、「本来その選手がいないといけない場所に誰もいない」ということが起こり得ますよね。「エリア戦略」の考え方で言うと、その状況になると不利な局面が生まれることになります。戦略的に重要な場所に誰もいなくなってしまうわけですから。ハリルホジッチも基本は人につけているので、そういうことにならないように「ここからは出ないようにしなさい」「ここから押し出したら戻りなさい」という形でチームとしての脆弱性を制御しようとしていました。

---「エリアを管理する」というような概念は、なかなか日本におけるサッカーを語る言説にはあまり登場しない印象があります。

五百蔵:そうかもしれないですね。一方で、ヨーロッパのサッカーは少なくともこの2、30年はこういう考え方をベースに進んできているのかなと思います。
グアルディオラがやっていることも基本的にはこの発想が根底にあって、「ミドルゾーンでボールを回す」こと自体が重要というわけではなくて「ボールを維持することで自分たちがいたい場所にいる」ことこそを大事にしてるんですよね。さらに、「ミドルゾーンでボールを奪われたら、そのまま大事なエリアをとられて一気に脆弱性が顕在化する」という問題を「もう一度そこでボールを奪い返せば、脆弱性を隠すことができる」と捉え直して、ゲーゲンプレッシングを自分のサッカーに取り入れていったと。グアルディオラのバルセロナを「華麗なパスサッカー」という切り口でばかり持ち上げてしまったのは日本のサッカーの進歩においてかなりいろいろな影響を及ぼしていると思うのですが、その裏側には「エリア」という概念の欠如があったのかなというのはよく考えるところです。
ただ、日本代表がこういう考え方とこれまで全く無縁だったかと言うと、決してそういうことではないんですよ。たとえばザッケローニはアジアカップの韓国戦において、朴智星に長谷部をマンマークでつけていました。それだけだとさっき話に出た「エースキラー」的な話でしかないんですが、このときは「朴智星が長谷部を引き連れて動く」「そのサポートに韓国のボランチがついていく」「そうすると中盤が空く」「そこを韓国は右サイドバックを絞って埋める」「そうすると韓国のウィークポイントである右サイドが空く」「そこを長友で叩く」というように、こちらのアクションを起点として韓国側の陣形を動かしつつ、それによって韓国側の右サイドが常に空いている、という状況を生み出し、試合を完全に支配しました。実際にこのスペースで、長友を使った形で得点も奪っています。
ザックのチームははまるとこういうことができたんですが、それをうまく表現できるシチュエーションがすごく限られていたというのはブラジル大会ではっきりわかったことです。また、南ア大会ではザックのチームとは逆に、後ろのエリアで戦って、あとは何とかロングカウンターで、というやり口でした。いずれのチームにも「特定のエリアでしか戦えない」という問題があったので、今度はそれを一歩進めて「状況に応じて戦えるようにしよう」「単に守備的、攻撃的ということではなくて、相手によって試合ごとに変わる管理すべきエリアを、きっちり読み取れるようにしよう、抑えられるようにしよう」ということが、ロシア大会に至る強化では意識されていたんだと思いますね。少なくとも、原さんと霜田さんが協会に関わっている間は、ということになりますが。

【サッカーを捉える視点の違い】
ヨーロッパだとサッカーは「ゲーム」、日本だと「体育」

---ちなみに、日本で「陣取り合戦」「エリア戦略」といった考え方が浸透していかない現状について、何か理由として考えられるものはありますか?

五百蔵:これは僕のオリジナルの意見ではないんですが…以前Twitterで話を聞いて個人的にこれは言い得て妙だなと思ったのは、ヨーロッパだとサッカーは「ゲーム」で、日本だと「体育」なんじゃないかと。

---「ゲーム」と「体育」ですか。その違いは何でしょうか。

五百蔵:先ほどサッカーは戦争のシミュレーションでもあるって話をしましたが、国同士が地続きのヨーロッパでは、何かあったら戦争になって自分の地域が危うくなるというのが現実的な問題として捉えやすいんだと思います。そんな中で、「いざという時に備えて」という意識も含みつつ、ボードゲームや陣取り合戦の性格をもつボールゲームを生み出した人たちにとって、サッカーはリアルな戦略ゲームになります。一方で、海に囲まれた日本ではなかなかそういう意識が生まれづらいうえに、学校で「教育の一環」としてサッカーを習う。そうなると、「教育」である以上はみんながちゃんと参加することが求められる。サッカーはボールを使うゲームなので、「参加する」というのはそのまま「ボールに触る」ということになりますよね。ゲームで勝つためにこのエリアを押さえるという発想じゃなくて、みんながちゃんとその授業に参加するためにボールを持とうと。こういうところに、いわゆるパスサッカー幻想の根っこがあるんじゃないかなと。こじつけっぽい話ではありますが(笑)。

---仮に本当にそういうものがあるんだとすると、このずれを解消するのは決して簡単なことではないですよね。地政学的な問題すら孕んでいるのであればなおさら。

五百蔵:そうですね…きついのは、「自分たちが置かれた環境に合ったサッカーをオリジナルに作っていけばいいんじゃないか」とどんなに言ったところで、「サッカーのルールやゲームシステムとしての要件は、サッカーを戦略ゲームとして捉える文化の中で定義された」という事実は変わらないところですね。自分たちらしさというものを考えるにせよ、その前提を織り込まないことには話にならないと思います。

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第2回はここまでです。

途中出てきた「ザックのチームからの一貫性」という話については、『通訳日記』を今改めて読むといろいろ見えてくることがあるのでこちらもおすすめです。

次回は、じゃあ実際にハリルホジッチのサッカーって理解されていたのかな?その裏側にある問題は?という部分についてさらに深掘りしていきます。近日公開予定です。


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