夏フェス_

「カップルでフェスに来てる奴らは○ね!」

『夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』(blueprint)の内容をベースに、夏フェスをモデルケースとして2010年代のマーケティングのあり方について考える連載企画です。今回は第5回目。

ちなみにこんな構成を考えていますが、変更するかもしれません。(ちょっと順番変えました。あと⑦⑧は一緒にやるかも)

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①提供価値の拡張
夏フェス=コンテンツ×エクスペリエンス×コミュニケーション

②協奏のサイクル 
夏フェスは「参加者が主役」、すなわち「ユーザーは事業のパートナー」

③「周辺」のユーザーを取り込む 
“濃い音楽ファン以外”にも支持される夏フェス

④SNS時代の基本原理 その1 
夏フェスは最強の「自己演出コンテンツ」である

⑤「モテ」はビジネスをドライブさせる←今回これ
「カップルでフェスに来てる奴らは○ね!」

⑥SNS時代の基本原理 その2
夏フェスで理解するスクランブル交差点(ハロウィン、サッカー日本代表戦)

⑦時代に合わせた事業ドメインのスライド
ロッキング・オン社と渋谷陽一氏の何がすごいのか?

⑧ユーザーを育成する
「フジロック型」ビジネスと「ロッキン型」ビジネス

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先週末にサマソニも無事開催され、今年の4大フェスも終了。「夏フェスシーズン」も終盤戦です。

今回取り上げるのは、たびたび紹介しておりますこちらの年表の2008年頃からの出来事。フェスに「モテ」文脈が導入されてきたあたりの話です。

「フェスに恋人と行く」的な話は昔に全くなかったいうわけではもちろんありません。自分もゼロ年代前半に当時付き合っていた彼女とロックインジャパンに行ったこともあります。が、それはともに音楽好きだったからゆえの行動であり、フェスを「レジャー」的に捉えてのものではありませんでした。

そういった「限られたタイプのカップルにとってはデートになり得る場所」だったフェスが、「出会いに彩られたおしゃれな場所」になっていったプロセスには、前回取り上げたフェスとSNSの結びつきがあり、さらにはファッション誌やマンガといった「外野」からの援護射撃がありました。

この時期に、フェスというものを取り巻く空気が大きく変わった印象があります(後述する「自作のしおり」を持ってフェスに来る若者たちなど…)。そしてその転換が、フェスをより巨大な産業に変えるポイントとなりました。「音楽好き」のパイよりも「イベント好き」のパイの方がはるかに大きいわけです。

世間には「草食だ」「恋愛離れだ」といろいろな言葉が踊っていますが、この「モテ」という文脈は様々なシーンにおいてまだまだ強固なもののように思います(絶対的な価値ではなくなるとしても、一つの「流派」としてはそこそこのボリュームを持って残っていくはず)。どんなビジネスにおいても、その視点を取り込むことで新しいチャンスが広がる可能性があるのではないでしょうか。

※ちなみに後述しますが、「モテ」を強調することによる「ハレーション」というのも(レベルはいろいろですが)もちろんあります。「新たに獲得できる顧客や売上」と「そのハレーションによるネガティブイメージ」は天秤にかける必要があります。


>>以下『夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』より引用/編集

ファッション誌の参入、そして「夏のレジャー」へ

ところで、ここで少し時計の針を進めて直近の話をしたい。2017年の夏、「夏フェスにおける服装」を巡ってネット上でちょっとした論戦が起きた。発端は「最近の夏フェス定番ファッション」とでも言うべき「Tシャツにタオルを首に巻く」「下半身はスニーカーにレギンス」というイラストに対して「NG:こんな服装は“わかってない子”」「まとめサイトなどで推奨されているコーデがこちら。確かに過ごしやすそうだけど、“オシャレ”とは言えません!」という解説付きの画像を紹介したツイートである。これに対して「フェス経験者」側から、「わかってないではなくわかってくれ」「周りに迷惑かけず、体に負担をかけないようにするにはこれが一番」という旨のコメントがつき、それに対する同意やこのイラストへの非難(?)が多数寄せられた。 

このイラストの出所は、『 with 』(講談社)2017年8月号の「わかってるって思われたい  外さない夏フェスコーデ   いよいよサマソニ、ロック・イン・ジャパン・フェスなど本格的な夏 フェスシーズンが到来!『興味はあるけど、初めての〝参戦〟、どんなファッションをしたらいいの……?』の声にスタイリストの小山田早織さんがズバリご回答します!」(P 92 〜 93 )という特集である。

(※こちら元記事なんですが、件の「イラスト」はここには載ってないです。そもそもwithのサイトに記事自体掲載されておらず、「炎上」を経て削除されたのでしょうか…)

この特集によると、都市型フェスには「モノトーンシンプル」、野外型フェスには「ボヘコーデ」が良いという。確かにここで紹介されているファッションは「かわいい」が、肌を出したり厚底のサンダルを履いていたりと、「悪天候に見舞われたときの対策は大丈夫かな?」「さすがにこの格好でステージ前方に行ったりはしないよね?」と心配になるようなものであることは間違いない。

 約20 年かけて蓄積されてきた「フェスに丸腰で行くと危ない」「周りのため、自分のために、安全な服装を」という文脈をぶった切るかのようなこの手の「フェスコーデ指南」は、主に女性ファッション誌を中心に展開される。こういったコンテンツは、「フェスは夏の野外で楽しく遊べる場所」「フェスは夏の野外であるがゆえに日焼けや悪天候などのリスクと隣り合わせの場所」というフェスに存在する正反対の側面のうち、後者の存在を意図的に後退させているものが多い(日焼け止めや帽子に関する記述ももちろんあるが、フェスに長く参加している人からすれば気休め程度にしか見えない解説も含まれている)。

では、このような記事が登場し始めたのはいつごろからだろうか?「 Web OYA-bunko 」で「夏フェス」という単語を検索し、その結果を辿っていくと、フェスにおけるファッションコーディネートを大々的にフィーチャーした記事が女性ファッション誌に最初に登場するのは2008年の夏だと思われる(ちなみにアウトドア誌にはもう少し前からフェス会場でのファッションスナップなどが掲載されている)。

この年の『non-no 』(集英社)の7月5日号には「LMSレングス別!浴衣、ビーチ、夏フェス…  『何かある日』のヘアアレンジ」という特集が展開されており、 その中で夏フェスについて「『ラフ毛先』&『タフ』でいく」「動きやすいカジュアル服をほどよくかわいく見せる『ラフ』感と、どんなにリズムにのっても崩れない『タフ』さがフェス髪のポイント!」(P 50 )という記述がある。

この記事には、おそらくフェスに長く参加している人たちからすると「こんな髪型で前の方に来ないでほしい」「周りの迷惑になるからしっかりまとめてきてほしい」と集中砲火を浴びそうな写真が掲載されている。ここで着目すべきは、花火や夏祭り、海といった夏らしいレジャーの並びに「夏フェス」が名を連ねていることだろう。

続く2009年8月5日号の『 non-no 』でも、「フェスに、海に、恋に、3人のおしゃれパワーは止まらない!  真夏のイベントラッシュ着回し10Days 」(P 30 〜 31 )という特集が組まれており、「Day2  野外フェス 3人一緒だと雨降りのフェスでも楽しいね! 3人ともタンク・Tシ ャツ+パンツで思いっきり動きやすく、でもそれぞれおしゃれも抜かりなし!」(P 32 )という記述がある。ここで紹介されているファッションも「おしゃれ」だが、もしも本格的な雨に遭遇したらひとたまりもないだろう。そして前年と同様、「夏フェス」が「真夏のイベントラッシュ」の一つとしてラインナップされているのが興味深い。

翌年の2010年、今度は『with 』の 10 月号「女子会も! 合コンも! ゆかたデートも! 夏フェスも!ぜーんぶこれで完璧♥   『夏ヒット服×ヘア』キメたい日の必勝ルール」(P126 〜127)という特集があり、「もはや夏の風物詩的存在! 夏フェス つまり……いつもより〝ア クティブ〟に見せたい!」という解説と「〝フェス服=機動力〟でしょ。汚れを気にせずガンガン動けるおしゃれが好印象♪」(P129)という 23 歳商社勤務の女性のコメントが掲載されている(このコメント自体は多くのフェス参加者が納得するであろう妥当な内容だが、ここに掲載されているコーディネートは「マキシワンピ×おだんご」「白シャツ+水着×キャップ」「コンビネゾン×ポニーテール」というどうにも場違い感が否めないものである)。

どうやら、フェスは2000年代の終わり際において「夏の定番レジャー」としてのお墨付きを女性ファッション誌から得たようである。 mixiによって自分の日々の行動がコンテンツとして流通する仕組みが作られ、そんな構造の中でフェスは「みんなで楽しいことをする場(=自分をいい感じに見せてくれるコンテンツ)」として市民権を得ていった。「自分をいい感じに見せる」ために「おしゃれ」という観点が入ってくるのは自然な流れである。流行を生み出す役割も担う女性ファッション誌は、そんな空気を着実に記事に落とし込んだ。

ちなみに、2010年9月号の『JJ』(光文社)にはこんな記事もあった。

夏フェスコーデ feat. 西野カナ  可愛くハシャげるスタイル、教えて♪  夏のクライマックスといえば、フェス!  
野外のものも多いから、いつのもおしゃれじゃハシャげない!   そんなときは自身のツアーも控えたカナちゃんにおまかせ。 (前掲誌/P120)

2010年の夏の西野カナと言えば、<会いたくて 震える>というフレーズで世間の話題をさらった『会いたくて 会いたくて』のリリース直後である。フェスの出演者としてはそこまでポピュラーではない彼女がこういう記事に登場しているというのがなかなか面白い。

『モテキ』で描かれた「恋愛の舞台」としてのフェス

「おしゃれ」と「恋愛」の距離はとても近い。もちろん「異性の目線に関係なく自分の好きなものを着たい」というタイプの「おしゃれ」もあるが、「モテるためのおしゃれ」という考え方はいつの時代にも厳然と存在する。

2000年代後半にフェスは女性ファッション誌において花火や海と並ぶ「夏のレジャー」として取り扱われるようになった。「花火」「海」ともに、夏の恋愛における重要な舞台装置となるイベントである。それらとフェスが同列で語られているわけで、フェス参加者がフェスに恋愛に関する要素を持ち込むのはある種当然のことであった。

先ほど女性ファッション誌でフェスに関するコーディネートを大々的に取り上げ始めたのが2008年の夏だと述べたが、そのタイミングで発売された『TOKYO ★1週間』(講談社)2008年7月1日号の記事をここでは紹介したい。個人的にこの雑誌には「『東京ウォーカー』と同じタイプの雑誌、でもこちらのほうがより下世話」というイメージを持っていたのだが、この記事はそんなイメージに確信を持ってしまうような内容のものである。記事タイトルは、「いま、一番〝デキちゃう♥〟のはフェスデートらしい !?  夏フェスでめちゃモテ!の真実」。

照りつける太陽が身も心も解放的にさせる夏は、恋の季節。そんな時期に全盛期を迎える音楽フェスは、新しい出会いや気になる相手と〝お友達〟から脱出するチャンスの場に!
全国各地で行われるフェスの中から6つをピックアップして、それぞれのフェスでのモテの 傾向を教えちゃいます。     (前掲誌/P 56 〜 57 )

この記事でピックアップされているフェスは、 a-nation 、Augusta Camp 、フジロック、ロック・ イン・ジャパン、サマソニ、ライジングサンの6つ。フジロックに関しては「キャンプも可能で、テント設営時には男らしさをアピールできるかも !? 」、ロック・イン・ジャパンについては「会場内には観覧車があるので、恋人未満の気になる相手と2人きりの時間を作ることも可能だ。ライブ前の待ち時間をうまく利用して、さりげなく誘ってみよう!」(P 58 )と書かれている。

そのフェスが行われる環境に着目し、そこから「モテ」が生まれる瞬間を切り取る。「音楽を楽しむ場」としてフェスを捉えている人には決してできないであろう斬新な解釈である。そういえば、この年のロック・イン・ジャパンの会場で「夏フェスのしおり」と書かれたレジュメのようなものを持って入場列に並ぶ男女のグループを見た記憶がある。彼らもこういった雑誌記事に触発されていたのだろうか。

「フェスと恋愛」という徐々に前景化し始めたムードを作品に反映させたのが、同じく2008年の 11 月から連載が始まった久保ミツロウのマンガ『モテキ』(講談社)である。

各話のタイトルにポップソングのタイトルが使われるなど音楽との親和性を押し出したこのマンガの第1話は、フジロックの会場を舞台に展開された。

主人公の藤本幸世は当初1人でフジロックに参加する予定だったが、その直前に職場で同僚の土井亜紀から自分もフジロックに行くことを告げられる。会場で亜紀と合流した幸世は彼女の職場では見せない一面を知り、また成り行きで手を繋ぐことになり、彼女に対して恋愛感情を持つ。ここでは結局亜紀の彼氏と遭遇して一瞬にして失恋するという流れになるのだが、「恋愛のスタートの場としてのフジロック」が印象的に描かれている。

『モテキ』は2010年にテレビ東京『ドラマ 24 』枠で、2011年に映画で実写化された。テレビシリーズの1話の冒頭はマンガ版の1話の内容を概ねトレースしたものになっているが、そこにはマンガ版の1話にはない幸世の心の声が表現されている(なお、マンガ版で幸世が参加するフェスはフジロックだが、テレビではTAICOCLUBに変更になっている)。

どいつもこいつも楽しそうにしやがって!
大して音楽なんて興味もないくせに……
大体なんで友達とつるんでフェスに来るんだよ!
特にカップルで来てる奴ら!
死ね!
死んでしまえ!

フェスに「音楽を聴きに行く人」からすると、カップルや友人同士で楽しそうに過ごしているフェス参加者は「音楽に興味のない人」に見える。本書の整理で言うと、提供価値の「①出演者」に関心を持ってフェスに来ている人は、「②出演者以外の環境(衣食住)」「③参加者間のコミュニケーション」こそを重視しているフェス参加者に対してどうしても斜めな目線を向けてしまう。

この分断は、特に何か深刻な問題を引き起こすようなハレーションを生んでいるわけではないが、2017年時点においても冷たく存在しているように思える(ただ、そういった違和感を覚える人は今となっては少数かもしれない)。『モテキ』のテレビシリーズで追加された幸世のこのモノローグは、フェスが多様な価値を包含するようになったこと、およびそれによって疎外感を覚える層が生まれていることを的確に示す鋭い批評となっていた。


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次回はSNSによってその意味合いを変えた渋谷のスクランブル交差点とフェスの関係性について検証したいと思います。

※詳細は拙著(下記リンク)にて


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