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お祭り騒ぎ

お祭りは感謝の祝いだったはずだけれど・・・

田舎に住んでいた時、お祭りがかなり盛大でした。
命がけのようなものもあり、お祭りの日に向けて練習するようなものでもありました。
都会からきた自分達からすると、「なぜそこまでするのか」と疑問符するような感覚もありましたが、「お祭り」は農耕が中心の生活様式が根強くあった日本の中で「収穫を喜ぶ・感謝する」喜びを全身で表現する時だったのだろうなあと思いました。

「お祭り」の日は、桟敷という場所があり、晴れ舞台の神輿の舞のような物をそれぞれの地域が披露して、それをお弁当を持参してみんなで声を掛け合い、楽しみ合うものでした。
みんな嬉しそうで、「ここまで頑張ってきたね。収穫の実りを手にできたのも、家族みんなのおかげだよ」ということがちゃんと伝わってきた場でした。

昨日は近くのお祭りに娘と夕方行きました。
数々の派手なデコレーションをくぐり抜け、お祭り気分を味わおうと、ビール片手に、所狭しとある屋台に手を伸ばし、メンチカツ・唐揚げ・イカなんぞとその場の雰囲気を楽しみたいと過ごしました。

でもでも、あまりにもすごい人混みで、ほんの少しいただけで、クタクタになってしまいました。
田舎で感じたような、収穫の喜びはなく、感謝という感じもありません。たくさんの人が「お祭り」というイベントに参加している感じでした。私たちもその一人なのです。
確かに、いつもとは違う街の様子にワイワイとした盛りだくさんの面白さはあるのですが、なんか違うなあと居心地の悪さを感じました。

そそくさと近くの穴場カフェに入り、ゆっくりと過ごした美味しいカフェタイムで少し癒されました。

年だから若者気分のワイワイが合わなくなってきているのか、
商業ベースの売らんかなイベントが嫌だったのか、
「お祭り」の「騒ぎ」の部分だけの様子が嫌だったのか、
単に人混みが辛かったのか、

もともと、共感力が高く場を感じやすいタイプなので、その場のお祭り騒ぎに合わなかったのですよね。
私が求める「お祭り」があるとすれば、自分達が何かしらの目標を立てて、集団で努力をして、そのお祝いや喜びを人々と分かち合う場として過ごせたらいいなあと思うのです。
顔見知りと打ちとけ合い、懇親をもっと深めあうそんな場を「お祭り」として設けることができたら幸せですね。

きっと今の時代、懇親という飲み会はいとも簡単に出来上がり、職場の打ち上げ会も年に何回も行事のように組み込まれていたりして、人が集まり温めた気持ちでたくさんの人と喜び合い、祝い合うような純粋な場があまりないのかもしれません。

形だけの伝承ではなくて、人と人が心寄せ合い、心から喜び会える「祭り」の場ができたら素敵ですね。

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