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語り合える友

 私の人生の中で今、友との語らいのひと時はとても豊かな時間で大切な時です。長年ずっと人にはなかなか理解されず、友達はいても深いところまでちゃんと話せなかったり、誤解を生じたりしていました。

アドレスを知っている友達はたくさんいましたが、心の底から本当に分かり合える友達という人はほとんどいませんでした。そんな人がそうそういないことがだんだんとわかり、みんな”ほどほど”のところで人と付き合っているのだということを理解して、人生とは、そんなものなのかもしれないと思っていました。

それでも、心の学びをしている途上で何人かの心に響く友との出会いはありましたが、時の移り変わりの中で、距離ができたり、疎遠になったりしました。私の中で、友というのはその程度なのねと半ば諦めてもいました。
ほどほどに話せる友人はいたので、ひとりぼっちではありませんでした。
でも、いつもどこかで心が満たされない何かを感じてはいました。

 心の勉強を深める為に学びの中にいた私に一人の女性が現れました。
私と同い年の女性です。同じように二人の娘がいます。同じように心の探求をしていました。彼女は50歳を過ぎてから、心身の学びの為に再度大学へ通うほどの熱心な人でした。

 5年前のある日。私は現実にかなり疲れていました。思うように進まない目の前のことに八方塞がりな気持ちでいました。いつもだったら心の学びのワークショップでは何かしら自己表現をするのですが、そんなことをする元気もないほど低迷していた時期でした。
彼女とは、ワークショップ後のお茶会で巡り会いました。彼女が私のことを気に留めてくれて偶然の偶然が重なって話すことができました。話せば話すほど、お互いの考えていること、それぞれが人生の歩の中で真摯に求めてきたことの共時性を感じました。

 その日以来、週に1回ないしは3日に一度は会う人となりました。
心友です。どんなに忙しくとも時間をやりくりして、語らいの時を生み出します。よく学生時代に一生の友ができると言いますが、私には50歳を超えてからでした。まさかこの歳になってここまで心が通じ合える人と巡り会えるとは思いませんでした。

お互いがそれぞれに学んだことをシェアしたり、日々の中で気づいたことを語り合ったりしています。とてもポジティブで実践的で、励まされ癒され生命満たされる思いになります。それでいて、どっぷりと依存関係をする訳ではなく、助け合いますが、個人の自立を尊重し合っています。お互いの違いも認め合いながらも、一人では自己盲点になってしまうことも客観的に言ってもらうことができ、またそれを素直に耳を傾けることもできます。

 人生の中では、決められた成長段階という一般常識的なことはなく、本当に人それぞれなのだと思うのです。私の人生にとっては50歳を過ぎてからの友との語らいがとてもありがたく、自分の成長の中で本音を話せ誤魔化さず、日常遣いで大切にできることを日々学び合えるひと時です。

人生っておもしろいですね。

ありがとうございます。サポートいただいたお金はワークショップ開催等の費用に充てさせていただきます。