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バーチャルと現実

自分の世界はどこにあるのだろうか?

本を読んでいて、気になることがあるとすぐにスマホを片手にネットで調べることができる時代です。
「そういうことか!」と理解して、もっと知りたくなったらそれに関連していることをどんどんと繋げて行ったならば、気になることから扉がいくつも開いていって、思いもよらなかったところへたどり着きます。
知ることは知識欲で人間の本能の中にあるものなので、その欲求が満たされて行くことに喜びを感じます。

ひと昔前だったら図書館いっぱい調べても辿りつかなったことが、今の時代はいとも簡単にわかってしまうところがすごいです。
ちょっと美味しいものを食べたいと場所を調べればわんさか出てくるし、
お店側の与えたい情報ばかりではなく、実際のお客さんの口コミでサービスを受ける側の情報すら届けてくれます。

旅に出たいと思ったら、飛行機だってホテルだってスマホ一つで予約も管理もできるし、旅の場所の情報もわんさか出てきます。
現地にいってからもwi-fiさえつながれば、マップから場所も交通手段も値段までサクサクとわかってしまう時代です。
それをまた瞬時にカメラに切り取り、 SNSに上げていきます。
私一人ではとても使いこなせないけれど、娘世代は本当に上手に使っていて、旅の終わりにはちゃんと思い出アルバムまで出来上がってしまうのですから、すごいです。

ただ、このバーチャルは本当にすごいと思っているけれど、どこかでそれだけではやっぱりダメだよね。と思っている自分がいます。
今日も隙間時間に心友と少し語り合いました。自分の気づいてる今の感覚を言語化することで、それが自分の狭い世界の中だけでよしとして収まるのではなく、話すことで、自分が掴みかけた感覚をより確かなものにしたり、相手の反応から自分の語っていることを振り返ったり、また、リアルタイムで相手が話すことが加味されてまたさらに深まったりします。
また、自分ではよしと思っていた感覚が話すことで、未消化だったところに気づいたり、新たな問題点がわかったりします。

バーチャルなところでのある一定の力は若い人にはだいたい付いてきているのだと思うのです。
年配にはこのサクサク感は付いて行くのがやっとで、常に新しい感覚のものが出てくるので、古い頭を塗り替えるのに四苦八苦している感じです。
私はたまたま、娘たちがちょうど変換期のときに成長していたので、身近でわからないながらも聞くことができて細かくサポートしてもらえたから、
今でもこうして書かせてもらえてありがたいと思っています。

バーチャルがある程度出尽くしたら、その中の情報の羅列をしたり、ハウツウものに頼ったりしても限界が来るような気がしています。
バーチャルはあくまでツールに過ぎないので、いつも自分感覚を人と関わりながら現実の中で育てて行く感覚を大切にすることがこれからの時代とても大切になってくると思っています。

バーチャルでは成功することは案外容易いのかもしれないのですが、現実の中では自分のネガティブな部分が出てきたり、自分の触れたくない部分が出てきたりするでしょう。誰になって苦手な部分はあると思います。
ただバーチャルにいきすぎるとそのバランスが崩れてくるような気がします。

スピリチャルも同じような感覚で、その特殊な世界に浸りすぎると目に見えないことばかりがよしとなります。目に見えない素晴らしい源泉は認めつつも、人間という生身の体を持った自然である生き物である現実の自分をしっかりとバランスよく保ち育むことが、一歩一歩確実なあゆみになって行く気がしてなりません。

ありがとうございます。サポートいただいたお金はワークショップ開催等の費用に充てさせていただきます。