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未来がすでにわかっているように、今予感する

今日、人に会いに行きました。
小雨模様の中、ふと気になった花屋さん。なんとなく感じがよくて、誘われるように入りました。ふと、手土産にお花を買いたくなりました。
色とりどりの花があり、中には季節柄紫陽花の花束などもありましたが、
私を呼んだのは、満開ではないこれから咲く白いバラの花束でした。

 今時の花束は、咲ききって今が満開というのが多い感じがするのですが、確かにもらった瞬間綺麗なのですが、花の命があっと言う間に終わってしまって、もらった側としては楽しむ時間が少ないのです。
そんな思いもあって、今も楽しめるけれど、しばらく花束たちと過ごせる時間を味わって欲しいなあと思いながら求めました。

 花束をもらって嫌な顔をする人はほとんどいないと思うのです。
喜んでもらえるだろうなあとちょっと期待しながら、会う時はドキドキしました。

 そしてお会いしたときに花束を渡したのですが、渡した瞬間の喜びようが私の予想をはるかに超えてとても嬉しそうでした。全身で喜びを表現してくれ、そんなに喜んでもらえるなんてこちらこそ「ありがとう」と言いたいぐらいでした。

 そしてその方が語り出したのが、またまたびっくりです。お母様が花の仕事を生前されていたとのこと。舞台などの装飾的な大掛かりな花を活けるような仕事をされていたそうです。ですから、花は小さな時からとても身近で大好きだったとか。そしてまた、お母様の他界後、いつもお母様から当たり前のようにもらっていた花をもらう回数が減って、いつも花に包まれて愛されていたのだと深く思っていたそうです。

 そんな深い意味が花束にあるとも思わず、誘われるままに花束を求めてgiftすることができて、私の方こそ、幸せな気持ちでいっぱいになりました。なんとなく気になることは、頭で考えてすぐに意味がわからなくても出来るだけ行動するようにしています。そうすることで、後からその行動が特別の意味をもってくることが多いのです。未来がすでにわかっているかのように、今、予感するのです。素敵な出来事は、こうした小さな予感を大切にして行動してみることで、少しずつ形になっていくのだと感じます。

 とても素敵な小雨模様のひと時でした。

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