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チャレンジし続ける*柔軟に新鮮にいつも学び続ける事ができたなら、全ての魂はいつまでも素晴らしい*

 若者と高齢者の違いは何なのでしょうか?

 そう思った時に、安住、安心、安定を好んだ時に歳をとるような気がしました。それは、年齢だけではなく、精神的なものが多分にあるような気がするのです。

 学校現場にいた私たち年配組は、パソコンの出現で大きく二分されました。今まで教育の世界は古い目に見えないしきたりの中で、年功序列でした。給料も若い人が人の3倍していても、年配で熟練者である方達がたとえ同じローティションをしていても3倍近くお給料をもらっている不思議な世界でした。それが、この10年の間に、パソコンが出てきた事で大きく変わりました。

 多分どの世界でも同じだと思いますが、特に教育の現場では、年配者は経験豊富で熟練されていて敬われるものとされていたので、企業よりも心のダメージが多かったと思います。早くから、先見の明でパソコンに取り組んできた人は波に乗れました。若者の3倍、5倍かけても努力した人は、何とかなりました。しかし、硬くなった頭にしがみついて、時代の最先端を受け入れられなかった人は、だんだん現場では仕事ができない部類に入り、尊敬をされなくなっていきました。

 とても如実でした。どんなに頑張ってもできない人は、辞めて行かざるを得ませんでした。どんなに教育力があっても、時代の最先端の技術がみんなと同じぐらいまで使えなかった時、道を諦めないという事実が目の前にありました。志虚しく消えていった人をたくさん見ました。

 でも、これは時代の大きな変化なので受け入れざるを得ないと思うのです。若いということは変化にチャレンジしていけるということだと思うのです。歳を経て固まるということは、変化を認めず、過去にしがみつき固定化していくことだと思うのです。

 誰でも変化は未知数なので、怖くもあります。しかし、大自然は常に動き、水の流れはいっときも同じ様相をしていません。春夏秋冬の四季の変容にしても同じです。

 年齢に関係なく、今の時代を感じ、自己変容することを自らが望むものこそ、精神が心が若いチャレンジャーです。

 私は、全ては完璧になんて到底できないけれど、常に移り変わる時の流れを敏感に感じながら、自分の器を変化させながら、学び自己変容することを喜びとできる自分でありたいと願っています。この生が尽きるときまで、柔軟に新鮮に学び続ける事ができたなら、全ての魂はいつまでも素晴らしいのではないかと思うのです。

 新しい時代の若者は、進化した時代の人たちです。全ての全てがというとまた話がおかしくなってきますが、実年齢ではないところの命の輝きで人と交わり豊かになっていけたら素敵だと思うのです。

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