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家庭科5 *子どもの味覚の危機*

 調理実習が終了しました。
どのクラスの授業もいろいろありましたが、たくさんの人に助けてもらって、無事終わりました。安全に、時間内に、それなりの満足感をもてることは最低条件として、ゴールにたどり着いた感じです。

 今日の調理実習後の試食の時、子どもたちのテーブルを回って、感想を聞きました。自分の手作りに満足げで、「美味しい、美味しい」とほとんどの子が嬉しそうにつぶやくてくれました。いろいろな個々の目標達成はあるものの、「自分の作ったものを美味しく食べることができる」この喜びを味わって欲しかったので、「よかったね。」と母心で嬉しくなる時間でした。

 今回人参、ピーマン、ハムを炒める料理でした。油でそれらを炒めて塩、胡椒の味付けで、各自手早く一人分を仕上げます。包丁使いはまだまだ慣れない手つきで四苦八苦していましたが、それでもそれなりの形になり、美味しそうに仕上がっていました。人参を油で上手に炒めるのがコツで、しっかりと火が通り丁度良いタイミングになると固すぎず、柔らかすぎず、油のおかげで甘みがしっかりと出て美味しく仕上がります。

 とても美味しく仕上がっているのですが、
「人参が甘すぎて食べられない!」
という声が上がります。
「????」

 美味しく仕上がっているのに、一口食べる前から、大量に胡椒をかける子がいます。聞くと
「味がなさすぎて食べる気がしない。いっぱい辛いのかけないとダメなんだ!」
「????」

 人参の本当の美味しさを知らない生活習慣をしているのを感じました。野菜の本来持っている美味しさを十分に味わうような暮らしをしていないということがうかがわれた瞬間でした。きっと、出来合いの惣菜や、インスタント食品、冷凍食品の味に慣らされているのでしょう。大量に胡椒をかける姿もきっと家庭で同じことがされていて、辛味が美味しいと刺激物を大量にとる食生活をしているのでしょう。ストレスが多いとだんだん刺激物を多く摂取するということもありますが、味覚がかなり歪んできているのを感じました。

 小学生までの食生活は本当に大切だと思っています。これから何十年も生きていく上での土台になる味覚を作る時期だと思っています。私はそんなに豪華な料理ができるわけではありませんが、できるだけ手料理にと心がけてきました。
現代では結構当たり前感覚がありますが、何十年も前に家ではホールのブラックペッパーを挽いて使っていたり、お砂糖はブラウン系を使っていたので、子どもたちがよそ様の家で使っているものと違って友だちと喧嘩になったこともありました。
食は生きていく基本だと思っていたので、調味料にこだわっていました。心込めて食だけは高価ではなくとも体にとって大切なものを丁寧にと頑張っていましたが、上の娘が高校生の時、あまり家で食べなくなって、いろいろと理由をつけてごまかしていました。
気にはなるものの、本人の気持ちもあるしと見守っていましたが、後から聞くと私に隠れてコーラとポテトチップス大量食にハマっていた時期があったらしく、今まで身体に良い食事でずっと来た、人と一緒ではなかった反動が一気に来たようでした。
それを通り越して、二十歳を通り過ぎたあたりから、私が大切だと思っている食を引き継いだように、丁寧な食、自然の恵みをちゃんといただく食に戻り、「やっぱりこれが一番いい」と言うようになりました。
紆余曲折ありましたが、小さい頃に丹精込めた本物の食を身体の土台に染み込ませていたおかげで「良いものはやっぱり良い」という原点に帰ることができてよかったなあと親心としては胸をなで下ろしています。

 現代の子どもたちの味覚の危機は、共働きの親の忙しさもあり、スーパーで手軽に出来合いのものが手に入ることもあり、簡単でスピーディがもてはやされるところから手作りの良さが懸念されていますが、人間は生き物で、自然で美味しいものを美味しいと感じられる味覚を大切にする必要があると強く感じています。五感が大切
その中の一つの口を使った味覚。一日に何度かこの感覚を使っていくのに、ここに日々ごまかしの感覚を育てていて、他の感覚を良い方向へ伸ばそうと思っても無理があると思うのです。
全てはバランスです。知能優位の考え方ばかりでなく、人間の一生と考えた時の土台作りとして、食の大切さ、味覚の大切さを感じられる子に育って欲しいと願うばかりです。

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