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丸ごとの幸せ*自分のちょっとしたきっかけから、大切な事が想い出され、心の宝に触れる*

 久しぶりの天気に恵まれての夕方の散歩。

 自然の風や川の流れる音、生い茂る木々の揺れる葉音、黄昏時のちょっといい時間。

 いつもの散歩の折り返し地点は、地元の安い八百屋さん。夕方ある時間からは、ちょっとお得になっていたりして、散歩におまけが付いてくる感覚で立ち寄ります。

 今日は、そんなつもりはなかったのに、特大なスイカを丸ごと一つ買いました。散歩に出る時、「今日はあんまり買う気がないけれど、一応リュックを持っていった方がいいような気がするのよね。」と思ったのが大正解。しっかりとリュックが助けてくれました。

 まさか、特大丸ごとスイカを自分が重たいのに買うとは思っても見なかったのです。先日友人からもらったスイカのパッケージが心に残っていたのでしょうか。特大スイカに包丁を入れながら、ふと、ここ何年も丸ごとスイカに包丁を入れた事がないことに気づきました。そして、もう一つ、昔祖母が小さい自分の目の前で大きなスイカを包丁を上手に使って嬉しそうに切ってくれた光景を思い出しました。そんなこととうに忘れていたのに、思い出にスイッチが入ったようです。

 私にとってのスイカは特別の意味があります。先日書いたように、バースディケーキの代わり。今でこそ世の中は豊かになっているので、果物は当たり前感覚ですが、昔は特別な事がある時にたくさん食べるみたいなイメージがありました。スイカを丸ごとから食べられる、「いくらでも満足するまで」というのが嬉しかったのでしょうね。

 今日は流石にいくらでも・・・とはいかず、半分冷蔵庫に、少し食べた後のほとんどをカットして冷凍庫に入れました。きっとシャーベット状になって、暑い日が来たら喜んで食べそうです。

 自分では思ってもいなかったことだけれど、気になったことを行動してみることで、次の心の扉が開かれていくのが面白いのです。小さかった頃の思い出が湧いてくるように出てくるというのも素敵です。きっと、何か丸ごとキャッチしたい私もいるのだと思います。それはもう少し時間をかけて感じていきたいところですね。

 食の勉強を進めていくと、「一物全体食」という学びにたどり着いた事があります。魚なら、部分をいただくのではなく、全体丸ごとということです。いいとこどりではなく、その生命の全てをいただく、無駄になるところは一つもなく、感謝していただくということです。栄養的にも理にかなっているという事でした。

 今、書きながらもう一つ思い出しました。スイカを切ってくれていた祖母は、戦争を生き抜いた時代の人だったので、全てを無駄にしません。スイカの皮を上手に使ってお漬物を作ってくれていました。それがなぜか美味しかったのです。そんなこと、忘れていました。

 こうして、書いていくことで、自分のちょっとしたきっかけから、大切な事が想い出され、心の宝に触れるという事がとても素敵です。「人生はそのものから語りかけてくる」とよく言われますが、きっとこんな事なのでしょうね。こうしたちょっとのことに気づけて深めていける事が実は人生で大切な事だなあと思う今です。

 誰でもできる事なのだけれど、あんまりしていないようで、ちょっとセンサーを立てて動いてみて、自分のハートに繋がると素敵ですよね。

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