僕らは評価されなかったお話
人生において人に評価されることが全てといっても過言ではないじゃないですか。
誰かに認められたくてなんかしらの努力するじゃないですか
僕はそれがハンドボールとお笑いだったんですよ。
もともと小学校は6年間サッカーやってたんです。
でも努力しても努力してもまったく評価されなかったんですね。
それどころか6年生のころに、4年生がレギュラーでぼくは
晴天の下、声を荒げることしかできなかったんです。
セミの声が聞こえないほどに声を荒げても、風が砂ぼこりを巻き上げる音だけがグラウンド上に響きわたるんです。
その中に監督の「交代」という声は聞こえないまま審判の試合を終わらせる笛が鳴り響いて、僕の青春の1ページは幕を閉じたんです。
後日談でいうと、その後チームのみんなが泣く中、泣く資格のない僕ただ一人がみんなを励ましてたんですけど
後輩が泣きながら「お前に俺らの気持ちがわかるわけない」といわれて、その青春を謳歌したものだけが許される空間と僕の間には大きな大きな越えちゃいけない壁があることに気づいたんです。
みなさんは今思う最高のサッカー選手って誰ですか?
メッシ?ネイマール?クリロナ?
僕はそんなだれしもが頭に思い浮かべるような選手を目指してたんです。
でもそんな果てしなく果てしなく遠い遠い夢はそこで幕を閉じたんです。
中学生になってもサッカーを続けようと思ってたんですけど、僕の中学はサッカー部の治安が悪くて、そんな中でも自分を保ち続けることができるのか…
どこかで黒い自分が白い自分を染めてしまうのではないかって考えたらその輪に入ることはできなかったんです。
だから一番規律の厳しい、ハンドボール部に入りました。
あの時は新しいスポーツをはじめることにたいするこの胸のきらめきは、誰にも止められないと思ってたんです。
でも現実はそんな甘くなく、そこに待ち受けていたのは先輩の果てしないいじめでした。
誰が悪いわけでもなく、理不尽な暴力は後輩へと向き
圧倒的な上下社会というものをたたきこまれました。
片付けをしていたら後ろから突き飛ばされ、別の先輩からは、さぼっているといわれ消火器の角に頭をたたきつけられ、監督が来る前にまだ新しい新鮮な血を止めるようなこともありました。
それでも頑張ったんですよ。
誰かに認められたくて、逃げて後ろ指をさされたくなくて…
でも僕が2年生になったころでしょうか。
僕以外みんなユニフォームをもらうなか、僕だけまた青春の外で声を荒げていました。
監督からは未だに名前を覚えてもらえず、なんで僕はこんな暑い中
頑張っているのか。
みんながエアコンの効いた部屋で、アニメを見ている中でこんな苦しい環境で努力することに何の意味があるのか、
毎日毎日自問自答を繰り返していました。
僕が3年生になったころ初めて監督は僕の名前を知り、
そのころ十分な試合に出られる能力がついた矢先、いままで優勝常連だった僕のチームは県大会ベスト8という誰も納得しない形でまたしても幕を閉じてしまいました。
監督、保護者、OB誰もが目をそむけたくなるような現実に
一番大人だったのは、練習でケガをしてしまったキャプテンでした。
一番泣きたい自分をこらえて、
中学生という、これから大人になる。まだ何の武装もできていない男が、目を真っ赤にしながら一人一人に声をかけ最後の挨拶をさせたのです。
終了のブザーとともに終わるはずだった僕の青春がまだ、
お前は誰にもみとめられていないといわんばかりに
後ろの人生という真っ白なページを見せてきたのです。
僕は必至に誰かに認められたくて努力しても誰も認めてはくれないのです。
認められ、ほめられたのは最後までチームのことを考えたキャプテンだけでした。
僕はまだまだ子供だったんでしょうね。
まだまだ僕のハンドボールの人生も、お笑いの人生も続きますが
本日は一旦ここまで
ではまた逢う日まで!!!!!!!
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