子育て①妊娠~出産当日2

陣痛室に豪華なお昼ごはんが運ばれてきたものの、私は痛みによる吐き気もありほとんど食べられなかった

朝ごはんも食べていなかったのでおなかはすいていた

14時ごろからはもう尋常じゃない痛みに気が狂いそうになっていた

何度も何度もナースコールを押し助産師さんや看護師さんを呼んだ

そのたびに、

まだ6センチだ

まだ7センチだ

と言われ心が折れて泣きそうだった

いや、すでに泣いていた

母が大丈夫?と声をかけてくれたり、手を握ってくれたり、腰をさすってくれたりしたけど

それすらも痛みが増幅するような気がして、

離れて

と力なく言った

私の苦しむ姿に、母は部屋の隅に置かれた丸椅子に小さくなって座り

悲しそうな、今にも泣きだしそうな顔をしていた

母は私と兄をとても大切に育ててくれた

そんな娘が、声をあげて苦しんでいるのをみるのは辛かったんだと思う

視界の片隅に入ってくるそんな姿を見て、一瞬我にかえり

申し訳ないな

と思った


どんどん強くなる痛みに、せんせいを呼んでもらい

もういいからお腹切ってください

と頼んだ

傷跡が残ってもいい

術後大変でもいいから

今すぐあの苦しみから逃れたかった

今思えば安易なことを言っていると思うし

先生や看護師さんたちも

切っちゃうとあとから大変だからがんばろうね

と言っていた

陣痛は強いのに、どうにも赤ちゃんが降りてこないということで

時間は過ぎていった

やっと子宮口が全開になって分娩台に移動した

移動して台に乗る時も、私は痛すぎて大騒ぎした

いたいーーーー無理ーーーやだむりいたいーーーー!

もう痛すぎてパニックでどうでもよかった

やっと分娩台にのり、先生の手で人工破膜され

温かい水が流れ出たのがわかった

そこからはもう、陣痛のたびにいきんだ

くるよくるよ~はい!今だよ~ と

助産師さんたちの掛け声に合わせて、何度いきむもダメ

赤ちゃんの頭が大きくてなかなか出てきてくれなかった

いきんで赤ちゃんの頭が少しはさまる感じはあったものの

体力が続かず、いきむのをやめると逆戻り

その、一回はまりかけて戻るのがまた強烈に痛かった

痛い痛い!と叫びながら私は片手で分娩台をドンドンと叩いていた

痛みと疲れとパニックで過呼吸になっていた私は

口元に酸素のカップのようなものがあてられていた

陣痛の少しの合間にも一瞬眠ってしまうほど

意識もうろうとしてきていた

もう、自分の意志では目もあけていられないくらい

体が重くて思考も停止しかけていた

妊婦の死亡事故ってこんな感じなのかもなと

自分が死ぬかもしれないな 

とその時薄れゆく意識の中で思った


分娩室が騒がしくなり

先生と看護師さん、助産師さんたちの慌てる声が聞こえ始めた

私と赤ちゃんの状態が悪くなりはじめていたのだろう


先生が何かを指示し、看護師さんたちが準備し

トイレのつまりをとるときに使う、カップのようなものが見えた

先生が、

おかあさん、これから少し赤ちゃんの頭引っ張ってお手伝いするからね

といった

私はもうなんでもいいから早くやってくれと思い頷いた

その吸引カップのようなものを付ける時も痛くて

薄れかけていた意識がもどり

いたい!!と叫んだ

次で頑張るよ~お手伝いするからね!!

と言われ最後の力を振り絞った


ドラマで見るのと同じように

オギャーーオギャーー!!と大きな産声が聞こえた

出てきた瞬間、

うわー赤ちゃんでっかいんだこれまた!!

と先生が言っていた

看護師さんたちも大きいですね~!と言っていた

3600g越えの大きな赤ちゃんだった

産後、感動して涙が出るというのをよく耳にするが

私は感動の涙なんて出なかった

よくもこんなに大変な思いをさせてくれたな。。

とさえ思った気もする

とりあえず、よかった

おわった、解放された

素直な気持ちはそんなもんだった


カンガルーケアをするため

胸元に赤ちゃんがきた

でかっ!!

でも出てくるのに本人も相当苦労したのだろう

全体的にもちろん赤いのだが、顔の一部が内出血のように特に赤くなっていて

それを見て

君も出てくるの大変だったんだね、、ごめんね

ありがとう

と思えた

でも痛みと疲れで体がまだおかしくて

吐き気がした私は

すみません、吐きそうなんで赤ちゃんよけてください

と看護師さんにお願いした

看護師さんはすぐに赤ちゃんを連れていってくれ

私にガーグルベース(病院などでよくあるうすピンクの嘔吐物などを受ける容器)を手渡してくれた

グルグル視界がまわる感じと共に私はそこに吐いた

足りない、1個じゃ足りない

もう一つのガーグルベースを受け取り、すでに入っている方を看護師さんに渡して、私はもう一度吐いた

その後は猛烈な寒気に襲われ、がくがく震えた

全裸に病院の手術着のようなものだけを着た、ほぼ裸のような状態で、今度は寒さで死ぬかと思うほど寒気がしていた

看護師さんに

寒い、寒い、、と伝え毛布などをかけてもらい、いつの間にか眠っていた

17時過ぎに長女を出産し、目が覚めた時は20時を過ぎていた

分娩室の分娩台の上で1人ポツンと寝かされていた

近くに作業している看護師さんがいて、気づくと声をかけてくれた

出血多量だった私は、ストレッチャーのまま病室に運ばれ、ベットに移された

母は

頑張ったね、赤ちゃん大きかったね、お疲れ様

と言ってくれた。

母から、夫に連絡してくれたようで、夫からは感謝のメールがきていた

お疲れ様。二人とも無事で本当によかった。頑張ってくれてありがとうね。これから二人のこと守っていけるように俺も頑張るから。本当にありがとう。

みたいな内容だった。

普段、不器用で無口で、メールも短文だった夫からの、めずらしく長めの文章だった。

うれしかった。頑張ってよかったと思った。

体の痛みで眠れず、痛み止めと眠れる薬を出してもらった

あとは産後の子宮の収縮を促す薬も飲んだと思う

その日はもちろん夕食も食べ損ね、私の長い1日が終わった。













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