私の巻きスカート、あの子のネクタイ。

 大島あきらは相変わらずあの巻きスカートを履いた。自転車から降りる時も学校の廊下を走る時も、赤をベースにしたタータンチェックの巻きスカートがひらりと舞う。身長が180㎝を超えるあきらがこんなスカートを履いても、生徒たちは誰も気にしなくなった。
あきらが教室に入ると、唯一こちらをじっと見てくる人がいる。神田ひろみ。私服での通学が認められているこの学校で、毎日ネクタイを結んでくる。でもいつも曲がっている。ひろみが毎朝じっと見てくる時にそれを指摘しようとするが、その前にふん!とそっぽを向かれてしまう。こんなやりとりも、今日で最後だ。

 あきらは担任から配られたコサージュを紺色のブレザーの胸ポケットにつけた。卒業おめでとう───こんな田舎と、やっとサヨナラできる。あきらは卒業後、東京の服飾専門学校への進学が決まっている。あきらの口元は思わず緩んだ。視線を感じ、あきらは左を見た。ひろみと目が合った。また目を逸らされた。
「ねぇ、ネクタイ」あきらは小声で言う。
「あん?」
ひろみは睨んでくる。あきらは自分の首元に手を持っていき、ネクタイを締める仕草をした。ひろみは顎を引き、自分の曲がったネクタイを見た。バツが悪そうに、ひろみはネクタイをきゅっと結ぶ。ひろみはそのままあきらを見ずに、窓の外に目を向けた。

 あきらは、卒業式が行われる体育館に向かおうと廊下に出ると、英語教師の浅野景子が声をかけてきた。
「今日こそそのスカートを脱ぎなさい」
あきらは入学したときから景子から目をつけられていた。自由な校風で、ひと昔前から「多様性」を重んじてきたこの学校で、景子は枠にはまった考え方をする。
いつもイライラしていて、生徒たちには「更年期ババア」と陰口を叩かれている。
「いや、脱いじゃったらどうやって卒業式出るんですか?」
「神田さんのズボンと交換すればいいじゃない」
「いやいや、身長が違いすぎて短いです」
「誰が短足だとコラ」ひろみは後ろから顔を乗り出して言った。ひろみはあきらより20㎝も小さい。でも短足とは言ってない、とあきらは思った。
「ほら、神田さん。そのネクタイも大島さんに貸しなさい」
景子はひろみのネクタイに触れる。その瞬間、ひろみは「触んな!」と景子の手を振り払った。景子は「キャッ」と小さく呻きながら倒れ、床に頭を打った。

 あきらの右耳に、体育館から漏れ出た校歌が入ってくる。左耳からは保健室のベッドで眠る景子のいびきが入ってくる。
「入らねぇの? 体育館」ひろみは、保健室の先生の席に置いてあった耳かきを手に取りながら言った。
「出なきゃ卒業できないわけじゃないし、いいよ」
「そうだけど」
「あんたは出ていいよ。私、見とくから」
「そんなわけには。俺のせいでもあるし…」
「…俺って言うんだ。初めて聞いたかも」
「今そこ?俺は俺なんだから、俺でいいだろ」
「いつから俺なの?」
「…生まれたときから、かな? お前は? いつから『私』?」
「生まれたときから」
「ふーん…」
「ねぇ、また曲がってるよ」
あきらはひろみの元に行き、ネクタイを結び直した。
「このネクタイ、かっこいいね」
「死んだじいちゃんのなの」
「へぇ。形見なんだ」
「じいちゃんだけは俺を男として見てくれた。だから死ぬ前に譲ってくれたんだ」
あきらはふっと笑った。
「私と一緒だ」
「え?」
「このスカートね、死んだおばあちゃんのなの。『あきらに似合うよ』って言ってもらったんだ」
「だから毎日履いてきてんのか。洗ってんだろうな?」
「洗ってるわ!」
あきらの大きな声が響き、景子が「う〜ん」と言いながら寝返りを打った。あきらとひろみは顔を見合わせ、シーっと人差し指を口の前で立てた。シンクロしているのが可笑しくて、あきらはぷっと笑った。
「まさか卒業式の日に仲良くなれるなんて」
「俺は別に仲良くするつもりねーよ」ひろみは耳まで真っ赤にして言った。
「ねぇ、LINE教えてよ。これから仲良くすればいいじゃん」
「でもお前、東京行くだろ」
「何で知ってんの? キモっ」
「き、聞こえてきたんだからしょうがねぇだろ。隣の席なんだから」
ひろみの首元は真っ赤になった。「茹でタコ」と表現する人がいるけど、本当にそう見える、とあきらは思った。あきらより20㎝も小さい茹でタコはポケットからスマホを出してLINEのアプリを開いた。んっと差し出しQRコードを見せてくる。
「いいの?」
「断る理由がないだけだよ」
あきらはQRコードを読み込み、ひろみを「友だち」に追加した。ひろみのアイコンは白い肌の男らしいひろみの横顔だった。あきらは胸の奥にある実が、パチっと割れたような気がした。

 体育館からGReeeeNの『遥か』が聴こえてくる。もうすぐ卒業生の退場だ。すると、景子が目を覚ました。保健室の天井を見渡し、あきらとひろみを見つけた途端、起き上がった。
「早く体育館に行きなさい!」
「はいはい、わかりましたよ! ほら行こう」
ひろみはあきらの手を取り、保健室を出た。二人は廊下を走り、体育館に向かった。あきらの巻きスカートがひらりと舞い、ひろみのネクタイが揺れる。
あきらは、体育館への道のりが少しでも長くなるように、歩幅を小さくしながら走った。

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