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眠れないので語る

「ちはやふる」を読んでいた。心を揺さぶられた。末次由紀さんは私の心を揺さぶる漫画家さんだとずっと思っている。色々な問題があって、絶版になってしまったシリーズも、手に入れられるものは手に入れた。絶版になってしまった理由も知っているし、そのシリーズもその問題を孕んでいると知っているけれど、悪いことはしたのかもしれないけれど名作は名作だから。

深夜で心を揺さぶられた後で、文章を書くことを生業にしたいと思っている人間の心構えとしては最低なのかもしれないけれど、私はまだそれを許されている側の人間だと思うから今から語る。

私はもう何年も、強い睡眠薬を使わないと夜は眠れない状態だ。某歌舞伎役者の人の件で、今でさえそんなに簡単に処方されるような薬ではないはずなのに、処方されなくなったら私はどうやって眠ればいいのか分からないと不安になるくらい私は薬頼みで眠っている。
もちろん、それがいいことだとはまるで思っていない。私の精神状態だって不安定でぐらんぐらんしているまま過ごすより、安定して凪いでいた方がいいと思っている。それでも私の病気は、簡単にそれをさせてくれない。

ゲームセンターの仕事は今まで就いた仕事の中で一番好きな仕事だったと思う。人生の中で就いた仕事は今のところたったの3つだから、4つめが現れたら変わるかもしれないけれど、3つの中では一番好きだった。
ゲームセンターの面接を受けに行ったとき、正直もう保育園の就活中の枠で通園出来るギリギリの時期だったから少し嘘を吐いた。
「ゲーム機の筐体の中がどうなってるか知りたくて」
私はそう言った。そんなの嘘だ。不器用な私は機械の中身なんて知りたいと思ったことはそれまで一度も無かった。

初めて働いたゲームセンターにいた先輩で、とても仕事が出来る先輩がいた。その人が居る間は、私はへらへらと嘘を吐いたままの私でいられた。物覚えも悪かったし、不器用だからメダルの故障機対応は遅いし、クレーンゲーム機のアシストだって、自分が下手すぎるからお客様対応中に「たぶんここらへんを狙ったらいいと思います」とか曖昧なことしか言えない。
でも、とても仕事が出来る先輩は仕事が出来るから社員になって他店舗へ行ってしまった。その先輩以外にも私の先輩にはしごできの先輩が居たけれど、なぜか私はあの人くらい機械に詳しくなりたいなと思った。

そう思ったらそれまで敬遠していたメダル側の対応へよく入るように自然と気持ちが動いた。そうしているうちに、メダルの対応が早くなった。その人ほどはもちろん出来ないけれど、少しずつメダルの人に私はなっていった。
そうなっていったときに、その店舗が閉店することになった。私はその時、アルバイトから社保(契約社員的な奴)に切り替えようとしていた。準備をしていて、書類を準備して提出に行ったとき私は閉店を知らされた。
どうしていいか分からなくて、とても不安になったけれど、私はついていた。次に入る店舗(モール内のテナントだった)もゲームセンターだと分かったのだ。面接を受けようと思った。受けなければとも思った。

そう思っていたら、スタッフはなるべく引き継ぎますとのお話があり、優先的に面接を受けさせてもらって私は次の店舗へ移ることになった。最終日のメダル側の大盛況は忘れない。息つく間もないほどのあの1日は絶対忘れないと思う。
翌日からは次の店舗の研修が始まる。男性陣は閉店作業もしていたけれど、女性陣は店が動いている日までしか勤務出来なかった。だから次の日から私は研修に動いた。次の店舗を引っ張る存在になるんだって。今度は私がいたら大丈夫って思ってもらえるような存在になるんだって思って前を向くことにした。

そこからの日々は怒濤で、新店舗の立ち上げは容易じゃない。私は大半がクレーンゲーム側へ配置される中、大半を他店舗のメダル猛者(男性しかも割と年配)と一緒にメダル側の配置などをしていった。本当はメダルゲームにもクレーンゲームにも興味無くてパチンコとかスロットなんて自分で打ったことなんて無かったし、それに面白さを感じたことなんてなかったし今も無いから、当たるまで打たなければならないという設定作業は地獄でしか無い。
でもそれを経てお客様に楽しんでもらうんだと思ったら私は頑張れた。苦手な電話もたくさんかけた。メーカーに電話をするなんて体験は一度もしたこと無くて、冷たいメーカーあたたかいメーカー色々有ることを知った。

苦手なことは他にもあった。曖昧だった昇給の基準が明確になった。きちんと自己評価をして、上長からの評価も込みで昇級と昇給していく。1回目は簡単だった。すぐに上がれた。でも2回目が遠かった。私にとっての遠いの間に、他の人が上っていく。

どうして、どうして、どうして、どうして

私は先を行く人を妬み嫉んだ。そうしていくうちに、結婚してからは落ち着いていた病状が悪化していった。仕事中に呼吸が出来なくなったり、涙が止まらなくてフロアにでられなくなった。
1回目の休職。復職出来るギリギリの期間休んで、復職した。上長は私をアルバイトへ降格させるつもりだったけれど、私はまだやれると言った。
でも私はもう自分を信じられなくなった。常に反省して、前じゃなくて後ろを向くようになった。上長は人をよく見ている人で、私がふざけているふりをしながら、もう立っていられないから裏に引っ込んで水を飲んでいると「もう立てないんでしょ? 裏で出来ることしなよ」とか言う人だった。あの人は本当にエスパーだと思う。全部見透かされてた。だからあの人は私を次の級に上げなかったんだと今なら思う。

次の級に上がれる目が見えてきた頃、私はまた大崩れした。自分でもびっくりしたし、1度目より辛くて入院もした(病院が合わなくて1週間くらいで退院した)そうしたら、2度目は復職は厳しいと判断されて戻れなかった。私も戻れる気なんて全く無かったけど、戻ってきて欲しいと後輩に言われると戻りたかった。でも今はもう、誰も私を求めない。

私の存在を求める人はあまり居ない。友達は少なくてもきちんと居るけれど、私のことを一番の友達だと思っている子はきっと居ない。結婚して子どもも居るけれど、夫とは恋愛結婚でも何でも無いから別に私のことを一番好きだと思ったことなんて一度も無いと思う。子どもは、言葉もはっきりとしないうちからお父さん子で、一番しんどい時はお父さんを呼ぶ。
夫と結婚するまで、まともなお付き合いをした人は居ない。夫ともまともなお付き合いはしていない。だから私は誰かの一番好きな人になったことがきっと一度も無い。
当たり前のように好き合って結婚した人たちのことを妬ましいと思う。私もそれが欲しかったと思う。でも、もう私はそれを手に入れることは出来ない。今さら私のことを一番の友達だと思ってくれる人も見つからんだろうと思う。

私はずっと誰かの一番になりたくて生きてきた。でも私はずっと誰の一番にもなれずに生きてきた。なりたいものがすり抜けていく、欲しいものが手からこぼれ落ちていく。それを実感することはとても辛かった。生きていくことを手放したくなるくらい私にとっては誰かの一番になることは欲しいものだった。

でも最近は違う。私はもう誰かの一番になんかなれなくてもいい。そのかわりに、「ちはやふる」みたいに末次由紀さんみたいに誰かの心を揺さぶる物語を書きたい。私は物語を書いて、描いて、誰かの心を震わせたい。私はもう、誰かの一番になるために生きている私じゃない。これまで一番欲しいと思ったものを手放しても惜しくないくらいに、私は物語を書くのが好きだ。

だから私は取りにいく。スタートラインへ立つための切符を。長々とここまで支離滅裂に書いたものを律儀に読んでいる人はほとんど居ないと思うけれど、もし読んでくれている人が居るなら私はその人に届くように物語を書きたい。震わせたい。はっきりと書くのは怖い。言い切るのは怖い。声に出したら、そこに無いと思ってしまう自分が怖い。手に入らないと思う自分が怖い。

でも私は強欲だから、欲しいものは取りにいく。スタートラインに立つ。それは今年にする。

欲しいから言う。私はここから全てを懸けて挑む。少し出遅れた。でもここからだ。前を向く。私はきっと今「ちはやふる」を最後まで読んで良かったんだ。過去じゃなくて、今。きっと全部に意味がある。去年出会えたことも、今年出会えたことも、去年だけじゃ無い過去の自分にもたらされた、全ての出来事にきっと意味がある。辛いこと、苦しいことの多い人生でした。でも私、自分が大器晩成だって信じてるんで。手相占いとか信じるタイプなんで。私は天下取りの線はっきり持ってるから、成瀬じゃ無いけど取りに行く。挑むのは嫌いじゃ無い。

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