プロなら「占いは統計」とか言うな。

統計学レベルの占いは、天気予報に等しい。

「占いは統計学ですからね~」
などと言いながら結果を語る占い師を見たことがあります。

腕が悪いと白状しているに等しい。
素人が言うならわかるけれども。
金とっといて統計ですとか言うなよ。

もしあなたが病院で、担当医師に
「あなたの病名は統計上がんです」
統計上、病巣がこのあたりにありますから、開腹しましょうか」
「医学は統計ですからね」
などと言われたら、安心してお任せできますか?

「占いは統計学ですよ~、怪しくないですよ~」
「統計上のお話をしているだけですから、はずれていても怒らないでくださいね~」
ということを遠まわしに言っているように聞こえます。

「占いは統計学」と言う占い師がやっているのは「天気予報」のような占いです。当たるか外れるかはギャンブルです。それでは全く役に立ちません。
少なくとも、私は天気予報みたいな話はしませんし、「統計ですから」とは絶対に言いません。

私は、雨の確率が何パーセントかという話ではなく、天気図を読みながらも、晴れるタイミングの読み方や、急な雨に対処できる方法など、その人が、晴れようが大雨だろうが、天気に左右されずに力強く人生の旅を歩むための知恵と知識あふれる話をいたします。

それこそが本当に役に立つ力となるのです。

紫薇推命術を勉強中、自分の命式を立てて、読みましたが、かなりへこみました。
「怖いほど良く当たる」
というやつです。当たりすぎて怖い。痛い。受け入れられない。


どういう怖さかというと、職場で同僚の会話を盗み聞きして、自分の率直な評価をきいてしまった時のような気分です。
「あの人、仕事は良くできるけど、高圧的だよね~。お高くとまってるしさぁ。」

こんな感じのことが命式にでている。
しばらく、へこみました。
心当たりがありすぎて言い訳もできない。本当のことを知るって痛いことだなあとつくづく思いました。

私の先生は「占いは当たって当たり前」と言いましたがその通りだと思う。
当たらない占術は、そもそも道具として役に立たないから論外
当たる占術しか使うに値しません。
でも困ったことに、そういう占術は、結果をそのまま目の当たりにするかなりへこんでしまうくらいに、当たってしまうのです。

使える占術、本物の知識は、人の運命や心に切り込む、手術用のメスのようなものです。
切れすぎるメスを片手に、医師免許もない素人が、生半可な気持ちや技術で人の運命や心を切り刻むのは恐ろしいことです。
だから紫薇推命であれ四柱推命であれ、「秘伝」「口伝」とされてきたのでしょう。

もしプロの占い師なら、いいわけしたらアカン。
アマチュアで占いの勉強中なら、むやみやたらと人を占ってはいけない。
速やかに腕を上げてプロになり、真剣に占いにあたらねばならない。
いつまでもプロになれないならば、向いていないと悟って、早めに占いから手を引くべきです。医師免許を落第続きで病理解剖ばかり繰り返しては、検体が気の毒です。
占いは魔術です。占う側、占われる側相方にリスクがあると心得るべきです。

名医に必要な資質は医術だけでなく、人間性でしょう。
それと同じように、占い師に必須の資質は、人生経験と人間性と、占い結果をどのように相手に伝えるかの能力。占術の知識ではない。(それはあるのが前提)。

そして、当たる占術を使った結果は、そのまま伝えると痛いだけ。

鋭いメスを使うに値する、腕前が求められます。今の相談者に役立つ指針を、占い結果から見つけ出し、本人にスムーズにインストールできる安全な形に変換して伝えるのが占い師の腕です。それを見つけ出すには人生経験と人間性が必要なのです。

占術は使えるものを使う。つまり占いは当たって当たり前。
占いの知識を持っている人はただの「占い師」。
腕がいい占い師は、「当たる占い師」ではなく、「ピントが当たる占い師」であり「相談者の心が晴れる話ができる占い師」。

占いは人の運命と心の深い部分に踏み込むことであり、命をかけた真剣勝負です。
もしあなたのかかった占い師が、
占いは統計ですからねえ~~
などと言ったら、即打ち切るか、天気予報を聞くつもりで、その話を聞くべきでしょう。


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