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スチームパンク

Instagramでずっと追いかけていた作家さんにようやく会う事が出来た。

スチームパンクスタイルの紙粘土細工を製作される方であり、存在しそうで実際は存在しないファンタジックな動物達は静謐な美しさを携える一方で幼少期の夢が暴走するヤンチャさも持ち合わせていて、僕のような偏執的な愛情の持ち主にとっては垂涎ものなのである。

少し前に発売されたフクロウのガシャポンが近隣のお店ではどこにも扱いがなく、運良く個展会場でご本人に出会えた時の第一声が「ガシャポンが手に入らないんです!」というクレームになってしまったのは何とも失礼な初対面挨拶であったとしても気さくに応じて下さるお人柄に助けられてその後は色んなお話をすることが出来た。

デザイン系のお仕事に長年携わっていたが仕事の手段がアナログからデジタルに移行していく中、自分の存在意義に疑問を持ち続け一念発起して人形作家の道に飛び込んだ、というお話にはろくすっぽ会社員経験が無い僕には敗北者に突きつけられた刃のようで酷く居心地が悪かったが、「もう逃げるなよ」というかつての上司の一言と共に今後も背中を押してくれる蒸気機関となるだろう。

ダンスを生業としている者だと身の上を明かすと、「身体一つで後に残らない芸術を生み出せる人に強烈に嫉妬します」と仰って下さったが、いやいやそれはこっちの台詞ですよと気恥ずかしくなった。音楽や絵画や彫刻など形として残せる芸術家を僕はとても尊敬するし強い嫉妬心も抱いている。

無いモノねだりの二人にも嬉しい共通点はあって、創っている瞬間と世に放った瞬間では気分がまるで変わってしまっていて、作品を観たり手に取ったりしてくれた相手から告げられる感想や評価は割と他人事、という点。作品に愛情が無い訳ではないのだが、作品と感情や気分が非常にリンクしている作家のあるある体験だろう。

そういうズレをどうやって解消しているのか聞いたところ、一つは個展を無理矢理でも開催することで其処をゴールとして間に合わせる、というもの。まだまだ個人的には納得がいってなくてあれもこうしたいこれもああしたいと考えていても個展というパッケージに納めなければならない状況に自分を追い込むことで作品に未練がありつつも商品化する、そうすれば愛着は自ずと湧いてくる。

振り返ってみると最近の自分も同じようなことをよくやっている。サイズの大きなものは百万円越えの作品を世に出している方とは比べようも無いが、少々危なっかしい動画をSNSに載せてはその後のレッスンで自分の改善点も含めて受講者の皆さんと共に成長するようにしている。もし、完璧な動画を撮ってしまったらそこで満足してしまって作品に対する愛情というよりは鼻高々の変なプライドみたいなもので汚染されてしまうし受講者の意気消沈を招きかねない。

聞けば同年代。ちょうどバブルが弾けアナログとデジタルの端境を生きてきた世代である。恵まれていたようで実はロストジェネレーション世代よりも失ってきたものは多い気がする。そんな僕らでも少年期を振り返ってみると無数の愛しいモノがあった。現役の蒸気機関車はほんとにカッコよくてアホみたいに口をあんぐりと開けて夢中で見ていたものだ。

松岡ミチヒロ氏の作品

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