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「平和ボケ」の自分に気づかされる

広島、長崎、終戦記念日

8月が来ると、必ず、テレビのニュースや新聞で取り上げられる話題だが、

子どもの頃に見たり聞いたりしていたのと、

大人になった今、見たり聞いたりするのとを比べると、

その「重さ」に少し変化があるように感じる。

時が経過するにつれて、戦争を体験している人は少なくなっている。

経験に根付いた言葉で語ってくださる方も少なくなっている。

時間が経つにつれて、実際に起きた出来事が遠くなっていく。

次々と新しい出来事が起こり、新しい情報が頭の中に入ってくる。

祖父母やもっと上の世代が経験した「戦争」の情報が、頭の隅へ追いやられてしまう。

記憶が次第に薄れ、子どもの頃、最初に見たり聞いたりした時に感じた「重さ」も変わってしまっている気がする。

どうしたら、いいか。

大人になっても、大事だと思う情報は、繰り返し、頭の中に入れ続けることかもしれない。

何度も、何度も、過去に思いをはせることかもしれない。

「戦争」で、命を奪われた人。それまでの生活を失った人。家族を奪われた人。人生が大きく変わってしまった人。誰かを傷つけなければならなかった人。

もし、自分が、その人だったら、どうしたか。どんな思いをしていたか。想像だけでもしてみるべきかもしれない。

情報を得たり、考えるきっかけをくれる方法が、読書だと思う。

最近、読んだ本の中から、お勧めをご紹介。

「天皇の戦争責任」について、自分の意見を述べなさい。

そんな課題を与えられた時、対応できる学生がどれだけいるだろうか。

米国の高校に通っているマリは、この課題に、どう答えたのか。

「赤坂プリズン」は過去と現在を行ったりきたりしながら、読者に考えさせる。

元号が変わった年でもあり、「天皇」の在り方や権限などについて、改めて、考える時かもしれない。


「不死身の特攻兵」は、実際に特攻兵になった人が、特攻という戦略についてどう捉えていたかを知ることができる1冊。軍隊という組織の中で発生した理不尽さも浮き彫りにされている。

「へいわとせんそう」

平和と戦争。何が、両者を分けるのか。

並べられた言葉から、平和と戦争は背中合わせ、紙一重だと実感する。


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