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【生きるかなしみ】生きることは、なぜ、かなしい?

山田太一・編の「生きるかなしみ」(ちくま文庫)は、このテーマに基づいて選ばれた作品が収録されている。1995年に初版が出されている本だが、巻頭に収められている山田太一の「断念するということ」というエッセイの指摘に、頷かされる。

山田氏は、
『いま多くの日本人が目を向けるべきは人間の「生きるかなしさ」であると思っている。人間のはかなさ、無力を知ることだという気がしている』
『大切なのは可能性に次々と挑戦することではなく、心の持ちようなのではあるまいか?可能性があってもあるところで断念して心の平安を手にすることなのではないだろうか?
私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか?
本当は人間の出来ることなどたかが知れているのであり、衆知を集めてもたいしたことはなく、ましてや一個人の出来ることなど、なにほどのことがあるだろう。相当のことを成し遂げたつもりでも、そのはかなさに気づくのに、それほどの歳月は要さない。
そのように人間は、かなしい存在なのであり、せめてそのことを忘れずにいたいと思う』
と綴っている。

初版発刊当時と比べると、高学歴、高収入、優良企業への就職などを目指す上昇志向を持つ人ばかりではなくなったかもしれない。
しかし、インスタ「映え」を目指し、SNSでの「いいね!」の獲得を気にする人がいることは、「他人に対して自分をより良く見せたい」「他人から評価されたい」という願望に縛られていることの現われだと思う。
また、自己肯定感を持てないと悩むこと背景には、「他人に話して恥ずかしくないような何か好きな事、得意なことを持っていなくてはならない」というような観念に縛られていることがある気がする。山田氏が指摘しているように、暗部を見つめることから目をそらしてしまうゆえに、「自分が出来ることなどたかが知れている」「自分の成し遂げたことなど、はかないもの」だという考える方向に、吹っ切れず、もやもやしてしまうのかもしれない。

山田氏が編んだ作品は、一つひとつ、それほど長いものではない。
著者の背景や、書かれた時代、社会もさまざまで、そこに描かれた「生きるかなしみ」も多様だ。人には様々なかなしみがあり、それぞれのかなしみを抱えて生きているのだと教えてくれる一冊。



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