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親を責めるのをやめよう/子育ての責任を負うのは親? それとも社会?

インターネット上に無料で公開されているデンマークの雑誌『児童/生徒』が本当に素晴らしい内容なので、要約して紹介したいと思います。

はじめに紹介するのは2018年8月号。「親を叩くのはやめよう」という文字が目をひきます。

子ども社会省の大臣、Mai Mercadoが「きちんとしつけされていない子どもを教育するのは非常に困難です。ですから、集団生活をきちんと送れるよう、子ども達をしつけるのは、家庭がすべき大きな任務なのです」と発言しました。大臣はそう言い残し、研究者達の反論を聴きもせずに教育会議の席をたってしまいました。研究者達の多くは、学校での子ども達の態度、振る舞いは親の責任とすることで、問題解決が遠のくという意見でした。

デンマーク教育大学で長年、学校と家庭の連携について研究をしてきたHanne Knudsenは、学校が親に向かって上から目線で「もっとしつけをしなさい」と言うことを疑問視し、親の意志やモラルの問題とするのではなく、社会的、教育的、心理的観点から専門的知識を用いて問題を分析する必要があるとしています。授業を集中して聴けない子がいると、親に問題があると考え、親にどうにかしてください、あなた達のしつけがなっていないからこうなるんです、と親を問題視する学校はデンマークにもたくさんあるようです。

Hanne Knudsenは1814~1950年までは子ども達がきちんと学校に来さえすれば、それで親は責任を十分果たしていると見なされたと言います。1950年代になると、学校から言われた通り子どもを支えるのが親の責任とされるようになりました。その時に論点とされたのが愛情でした。親がたっぷりと愛情を注ぎさえすれば、それでいいんだ、と。2000年代に入ると、家庭と学校両方における子どもの福祉と学習への親の責任の度合いが増したのです。学習までをも親が一部責任を負うようになりました。

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またEva Gulløvは歴史を振り返って見ても、今程、親が学校での子ども達の行動に大きな責任を負う時代はないと言います。今は子どもがいることは社会的ステータスでもあると彼女は言います。そのためその人の親としてのあり方が大きく問われるようになってきています。子どもの面倒をよくみることは、よい人間である証とも考えられます。また子どもをともに育てる社会は、よい社会と見なされます。

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また人類学者の Dil Bachは、子どもの幸福や未来は親にかかっているという認識は近年生まれたものだと言います。それにより親が過ちを犯してはならない、よい親でいなくてはならないという恐怖を以前より強く抱くようになりました。Dil Bachは妊娠が判明してから親が専門家の助言にきちんと従わないと子ども達に悪影響が及ぼされるといかに刷り込まれているかを調査しました。例えば家庭で子ども達の運動神経を刺激しないと、社会性を欠いた子になるとか。

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デンマークでは子どもの成長、発達に親が責任を持つという見方は、小学校に上がるとより度合いを増すのだと言います。

Maria Ørskov Akselvollは、学校は、よい児童に育てるのは親の義務とし、また親は学校に多く関わることを理想とします。それをしない、できない親は親失格だと。そして悪い親は悪い人間とまで見なされます。なので子どもが学校でうまくやれているか過度に心配する親が出てくるのもある意味、当然なのです。

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Maria Ørskov Akselvollは言います。もちろん親は子どもに大きな影響を与えます。ですが、全ての親が毎日子どもの勉強を何十分もみてやるのは現実的に難しい。多くの学校、保育所は親にどれぐらい時間や心、お金の余裕があるのか、きちんと把握した上で、それに合った要求をすることができていません。親ばかりを責めるのではなく、教師、保育士の教育、保育の質が十分なのか、その理想を現実にするのに必要な制度、組織などの枠組みが十分に整えられているのかに注目すべきだとMaria Ørskov Akselvollは述べています。

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