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プロゲーマーへの憧れ

ゲームがとても下手なので、プロゲーマーに憧れる。

「近藤さんってゲームするんですね」などと意外がられることもたまにあるのだが、もちろん大好きだ。好きでないと通用しない世界にもいるし、そもそもゲーム、映画、ドラマ、アニメなどに触れるのは仕事の一環であると同時に、貴重な栄養源でもあり、また尊い余暇でもある。

幼少時代より音楽と映画、機械いじり、そしてゲームが(数少ない)友達だった僕のような人間にとっては、その原体験のクリエイティブへの影響は大きく、映像音楽の作曲家というのは天職だったと思う。来世でも作曲家になりたいと強く思う。

ただ、残念なことに僕はゲームが下手なのである。近くで見ている人に大いなるストレスを与えてガチギレさせるレベルで下手なのである。来世ではもう少し上手くなりたい。

よくゲーム開発会社様にお呼ばれして開発中のゲームを試遊プレイさせて頂く機会があるのだが、大変嬉しくワクワクする反面、常軌を逸したプレイをして迷惑をかけるんじゃないか・・・かっこいい操作をして場を盛り上げなければ・・・という無駄に自意識多めの緊張感で汗いっぱいなのだ。

自分の携わったゲームを頂いて遊んでみても、自分の音楽が流れる場面まで辿り着けないこともままある。なんならチュートリアルの時点でキャパオーバーしている。

どうしてこうなったのか。小学生時代(スーファミ世代)はもっと上手だった。魂斗羅スピリッツだってハードモードでクリアしていたし、マリオサーキット1で1分切りだってしていた。しかし栄光はつかの間で、その後のゲームの3D化(3D酔いしやすい)とコントローラーが進化(ボタンが多くて覚えられない)するにつれて、僕のプレイスキルは徐々にポンコツと化していった。諸行無常である。それなのに最近まで自分の能力を見誤っていたようで、「自分、そこそこゲーマーっすから!」みたいな雰囲気を装っていたのが恥ずかしいかぎりである。

カメラをぐるぐる回しながら無様に空中を殴り、すみやかに崖から落ちていく日々を繰り返す。

かろうじて得意といえるのはブロックを並べたり、薬とバイ菌を揃えて消す系のゲームや、街を作って発展させる系のゲームだけだ。このあたりであれば、街ゆく人と出会い頭にバトルスタートしたとしてもそこそこ勝てる自信がある。それ以外は、レベル1から成長の兆しがみられない。

しかし好きこそものの上手なれ、である。僕は決して諦めない。ゲーム好き=ゲーム上手とは限らない。ゲーム下手なゲーム好きだっているのだ。

あらゆるジャンルのゲームを楽しんでいる。オープンワールド系も好きだし、死にゲーもFPSも大好きだ。身の程などわきまえない。ゆえに道に迷って延々とクエスト達成できないし、延々と雑魚で死に続ける。今日もエイムはブレブレだ。モンスターは一向にハントできない。シミュレーション、タクティクス系ゲームにいたっては、何の戦略、作戦も立てずにゴリ押ししようとして全滅する。根本的なゲーム性への冒涜スレスレである。本当に、ディレクターの皆様のお怒りの顔が目に浮かんでつらい。

周囲の人たちは優しいのでこう言ってフォローしてくれる。「近藤はゲームが下手な分、作曲能力にステ振りされてるんだよ」と。お心遣い大変ありがたいことです。

うーん、延々とクエスト達成できず延々と雑魚で死ぬのは作曲でも同じ・・・ぐるぐる回しながら無様に空中を殴り、すみやかに崖から落ちていくだけ・・・と心の中で思いつつも、つまりは何事も折れない心が大事なのだなと自分を鼓舞する。チュートリアルが手強くても、心を折らず楽しむに勝るものはない。必要なのはただただ、経験値だ。

何にせよ、プロゲーマーへの道は遠い。

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