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作詞への憧れ

作詞はしないんですか?と言われる。

できるならしてみたい。
中学生の頃、友達と一緒に遊びでオリジナル歌詞を作ったことがあったが、ハンバーガーを食べたらどうのこうのという、意味不明な詞だけが記憶に残っている。おそらく当時は歌詞と日記の区別もつかなかったのだと思う。
なげかわしいことです。

昔は歌詞にあまり関心が無く、J-Popを聴いても洋楽を聴いても歌手の言葉が頭に入ってこなくて、音楽を聴くときは単に音が気持ち良いかどうかで判断していた。だから10代の青春時代に聴いていた懐かしい名曲の数々も、アレンジや音色の記憶はあれど、歌詞の内容を理解したのはつい最近だったりする。

「あの曲のあの歌詞、めっちゃ切ないよな〜」などと同級生が言っている傍らで、僕は「あの曲の間奏終わりのフィルインのベースの音色が気になるんだよな」・・・みたいなことばかり考えていた。

時は流れ、現在。相変わらず僕は「この曲のサビ前のドラムのリバーブがいいんだよな」・・・みたいなことばかり言っている。幸か不幸(?)か、作詞のプロフェッショナルが大勢周りにいるので、詞の原案やイメージ作り、ディレクションをすることはあっても、仕事として作詞に取り組んだ経験は未だない。

僕にとっては文字を並べるより音符を並べる方が圧倒的に気楽だと思う。
こう書くと「作曲家ぶっちゃって・・・」と眉をひそめられそうだが、実際のところ、音符はオクターブたったの12音。対して文字はひらがなだけで46文字、カタカナや英語も交えたら・・・と考えると、どうも奥深すぎて足を踏み入れるのがためらわれてしまう。

なにより、言葉(文字)で直接的に表現することの気恥ずかしさがあるのだ。昔書いたラブレターを回し読みされるようなゾワゾワ感が。

一方で、曲名を考えるのは楽しい。似て非なるもの。

最近は歌ものの楽曲を制作する機会も増えて、そんなことを考える機会も多くなりました。詞先とメロ先、比率は半々か前者(歌詞が先にあって、メロディをつける)の方が少し多いくらいでしょうか。それぞれに違う楽しさがあります。

良い歌詞ってなんだろう。言葉少なく、受け手の想像に委ねつつ、一貫したメッセージと色合いがあるもの、リズム、フロウとライム、象徴的で個性的なワードセンス。懐かしさ、新しさ。時代性・・・うーん、やっぱり奥深い。

ああそうだ、僕の祖母は生前に短歌を詠んでいた。歌集も出している。
俳句や短歌は韻文詩の極み。ミニマルに宇宙が詰まっていて美しい。

僕にその血がうまく受け継がれているのなら、急に秘めた能力が覚醒して作詞家デビューする日も近いのかもしれない。その場合は近い将来、ハンバーガーを食べた云々の歌が世に出るかもしれませんが、どうか生温かく見守っていただきたいです。


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