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三ちゃん町工場

どうも「零細町工場の社長」です。本日もよろしくお願いします。初めましての方は、昨日の記事をまず読んでいただければ…(ナマ言ってすみません)。

前回はなんでこのブログを始めたのか、今後何を伝えていきたいかについて書きました。今日はより詳しく私自身と会社について自己紹介をしていきます。

「零細町工場の社長」とは・・・

41歳、男性、独身、深刻な腰痛持ち。さかのぼること7年前まで東京でまったくの異業種/異職種でサラリーマンをしていました。つまり父が個人事業として営んでいた家業を継ぐ形で、“モノづくりのまち”東大阪に舞い戻ってきたわけです。「舞いあがれ!」ではなく「舞い戻れ!」いうて。自分で自分に。

当時、サラリーマンとしてのキャリアは順調すぎるほど順調でしたし、家業の経営状況も特に大きな問題はありませんでした。なので、何故戻ったのかと周りからよく聞かれたのものですが、いまとなっては何故そういう決断をしたのか自分でもよく思い出せません。でもおじいさんになるまでこうやって雇われの身として組織の歯車のままでいつづけるのはきついなあと思ったのかもしれません。そうだったような気がしてきました。また後日、機会があれば掘り下げます。

「零細町工場の社長」が経営する「零細町工場」とは・・・

創業30年以上の裁断加工をなりわいとする町工場。硬いもの、軟らかいもの、厚いもの、薄いもの、巻きものなどを様々な機械を駆使して、発注者指定のサイズに裁断する(切る)仕事です。得意分野は塩ビなどのプラスチック樹脂の裁断。現在は私と両親、正社員1名、パート従業員1名の計5人で会社を切り盛りしています。

いま振り返ってみると…

私が東京から実家に戻ってきて3年目に、創業以来個人事業だった家業を株式会社として法人化することになりました。そしてそのタイミングで私もいちヒラ社員から社長へと立身出世を遂げたわけです。と言ってもその時点での家族以外の従業員は高齢のパートさん1人のみ。名ばかり“シャチョさん”です。

中学生のころに社会科の授業で「三ちゃん工場」て習ったような気がします。つまり「父ちゃん・母ちゃん・兄ちゃん」で細々と営むしがない町工場のことです。これをさらに押し進めた「じいちゃん、ばあちゃん、おっちゃん」の“リアル三ちゃん工場”で数年は日々舞い込んでくる仕事をただこなしていました(決して楽をしていたというわけではなく一応ちゃんと汗水を垂らして働いていましたが)。

そしてここ数年…

様々な「縁や巡り合わせ」があり、借金→設備投資&工場増設&従業員増員と会社を成長路線(ささやかではありますが)へと舵切ったのでした。何よりその流れの中で、「リアル・三ちゃん工場」で全員がただ年老いていくのを眺めるために、自分は東京から戻ってきたんじゃないよなあと「再確認」出来たことが大きな転機でした。

しかし・・・

というところらへんで本日のところは一度シメて、続きは明日にまた繋ぎたいと思います。具体的には、なんで製造加工一筋だった弊社が、自らオリジナルの製品を企画から製造、そして販売するにいたったか。また製品にかける想いも綴りたいと思います、どうぞお楽しみに


(すみません、以下売名宣伝行為です清々しいくらい完全に)その弊社が製造しているオリジナル製品が切り心地にとことんこだわったカッターマットの「切られ役」です。汗水垂らして作らせていただいております。ご興味あればぜひ手にとっていただきたいです。

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