言葉より心が大事な時もある

本日もお疲れ様です。毎日更新、今日があと少しで終わってしまうので駆け足で記事を書かなければ…!(現在22:40)こういう時にああストック記事があればなあって思ってしまう。今度の休み絶対書く。

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今日は言葉遣いについて思ったこと。仕事柄司会業の方とお話する機会があるのだけれど、その方が「職業病だと思うけど細かな言葉遣いが気になってしまう」と言っていた。

例えば「召し上がりください」とかを「お召し上がりになられてください」と言う人がいる。とか。

召し上がるですでに尊敬語なのにそこに「お」と「なられる」をつけるってもう逆にバカにしてるんじゃないかと思うけど。でも慣習的にそういう言葉遣いになっている業界ってあるのではないか。

私自身も言葉遣いが気になってしまうことがある。

例えば「1000円からお預かりいたします。」とか「ホットの方でよろしかったでしょうか。」などなど。これだってたぶん「え、でもみんな遣ってますよね?」というレベルの話である。

慣習からそれが当たり前になっていく、時代と共に変化していくことはあると思う。経験・慣習からの言葉と、正しい日本語の言葉遣い、絶対にどちらかが正解だとは言えないのかもしれない。


ただ一つ確実に言えることはある!

それは、敬語は難しいということ。

言葉遣いが難しかったり、間違えがちな言葉だったりはほぼ丁寧に言おうとしてむやみやたらに丁寧語を付けたりへりくだったりすることが原因なんじゃないか。

また、上下関係を作ってしまう要因になっている気もする。英語では敬語がないから、年功序列が出来にくく年次が上だから役職も上!ということがない、そんな話を聞いた時すごく納得がいった。人がその人本来の能力で見てもらえる=能力が高くなければ見てもらえない=自分で自分の能力を認めて伸ばそうとする=自己肯定感が高い、らしい。

たしかに日本だと能力を見て!ってなりにくいし、認められても謙遜する文化だから。「いやいや私なんて滅相もないです…」みたいな。ここでもへりくだって自分を低く見せようとする。

敬語を使うってことは敬っているということを示すということで、敬語を使われた人間は自分の方が偉い気になると思うし、敬語をつかっている人間は自分の方が下という気になってしまうのでは。敬語があることで人間的にも上下が生まれやすいかも。人間に上下なんてないのに。


あと、敬語さえ使えばいい、という感じはだめだと思う。敬語を使っていても本当の意味で尊敬しているかわからないよね。本心では相手をどう思ってるのか。そんなこと誰もわからない。

でも尊敬している人と接する時は、たとえ敬語を使用していなくても態度にあらわれる気がする。

そう思うとやっぱり敬語はいらない。言葉より心だ。心があれば態度にあらわれる。言葉だけ敬語にしたって尊敬できなければ態度に出てしまうだろう。

言葉に囚われずに態度でしめしていきたいものである。


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これで約1200文字。だいたい50分くらい。

考えたことをただ書くのは楽しい。まとまっているかは知らない、あとただ自分が気持ちいいだけの文章になっている気はする…

時間がある時はもっと読んでる人が楽しくなるような文が書きたい!練習あるのみ?精進します。


毎日note9日目

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