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16)子育て中心の毎日に旦那から「俺の面倒は誰が見てくれるの?」と言われたら、どうする?

産まれてきた娘は、標準よりも大きめサイズだったこともあり、あまり泣かずによく寝てくれ、よくミルクを飲んでくれて、すくすくと育ってくれた。
本当に手がかからない子で、レイナは、娘の泣き声を聞きたくて、わざと足の裏をくすぐったりしたものだった。

目の中に入れても痛くないほど可愛い、とはよく言ったもので、産まれてきた我が子は、ミルクの甘い良い匂いがして、本当にいつでも抱きしめていたく、いつまでも、この子のこの笑顔を見ていたいと思えるほど、愛おしく、愛すべき存在だった。

旦那も、愛する娘に会いたくて、比較的早い時間に帰宅する日が増えたが、それも、数ヶ月が立つと、元の午前帰りに戻ってしまった。


レイナは、子供が生まれるまでは、夫の帰りが遅いことにヤキモキする日もあったが、子供が生まれてからは、全く!!いや、これがまた本当に驚くぐらい全く気にならなくなった。


とはいえ、退院後、1ヶ月ほど、実家で過ごそうと思っていたレイナだったが、実家に帰って5日目に、夫から「俺の面倒は誰が見てくれるの?俺の親のことも考えてくれよ」と、衝撃的な言葉を聞かされることとなる。

お分りいただけただろうか…?

産まれたばかりの赤ちゃんを抱いて、初めての子育てに戸惑う妻が、自分の実家で子育ての仕方を、母親に教えてもらいながら、サポートして貰いながら、頑張ろうとしているところに、「俺の世話はどうするんだ?」と言えちゃう、この神経!!

結局彼は、いつだって自分中心、自分のことしか考えていなかった、ということになる。

いやいやいや…、良い歳した大人が「俺の世話は?」なんてよく言ったもんだよね。

しかも、この時レイナは、実は重たい赤ちゃんの抱っこにより、両手首が腱鞘炎になってしまい、授乳のために鎮痛剤を使えずに、両手首、ギプスをしていた。
それだけに、実母のサポートは不可欠だったし、仕事が忙しい夫は全く頼ることもできないため、里帰りは必然だった。

にも関わらず、出産したばかりの妻を労わるどころか、自分の心配や、自分の親の心配しかしない旦那に対して、レイナは失望の色を隠せなかった。

結局、レイナは里帰りを1週間で切り上げることとなり、まだギプスも取れていない状態で、生後10日あまりの娘を抱いて、義両親の待つ、旦那の実家へ戻ることになった。

当然ながら、旦那は何かを手伝うわけではなく、義母も仕事をしていたため、レイナは完全にワンオペ育児をしなくてはならない環境の中で、子育てをスタートさせる。
レイナの手首のギプスは、本来完治するまで外せないものだったが、それがあると、沐浴もできなかったため、早々に外して貰い、痛みに耐えながら、レイナは娘の沐浴をし、おむつ替えや着替えなどの子育てを1人で頑張っていた。


元々子供が好きだったレイナだったし、望んで望んで、やっとの事で授かった、可愛い愛娘に、毎日レイナは癒されながら、2人の時間を楽しく過ごしていた。時折、仕事途中の旦那が、自宅に立ち寄り、娘に会いに来たりしていたが、やがてその回数も減り、帰宅時間も遅くなり、昔の生活に戻ってしまった。

娘には持病があり、レイナは生後間もない娘を連れて、2週間に1回、遠くにある大学病院へ治療のために連れて行った。
そんな時も、旦那が付き添ったことは一度もなく、いつもレイナが車を運転して、娘を連れて行っていた。
治療の後の娘は、大抵機嫌が悪く、泣き喚きながら帰路についていたため、片手で授乳をしながら運転することもしばしばだった。

子育てに、一種の憧れのようなものを抱いていたレイナは、離乳食が始まってからも、レトルトなどは一切使わず、すべて手作りの離乳食を用意して、娘に食べさせ、成長の記録も日々、記入して、娘の成長を日々感じながら幸せに過ごしていたが、急にレイナは喘息の症状が出てしまい、ステロイド吸入を余儀なくされてしまう。

それによって、娘を完全母乳で育てようと思っていたレイナだったが、断乳せざるを得なくなり、そのタイミングで、凍結保存していた受精卵を移植することを決意した。

不思議なもので、あんなに子供ができないと大騒ぎしていたレイナだったが、1人目を出産した8ヶ月後には2人目を妊娠することに成功した。
もちろん、日々の注射のための通院や、投薬治療を行い、いわゆる不妊治療はしたのだが、ホルモンのバランスが取れていたのか、子宮内膜が厚くなっていたおかげか、受精卵はスムーズに着床し、2人目を妊娠することができたのだった。

まだ1歳に満たない娘がいる中での妊娠は、想像を遥かに超える大変さで、お腹が張りやすいレイナは、2人目妊娠中、上の子を抱くことも許されず、1人目妊娠の時と同じように、安静にして過ごすことを強いられた。



しかしそれは、動きたい盛りの上の子がいる状況の中では、かなり難しく、抱っこをしない、というのも無理な話だったので、上の子を抱き上げては、お腹が張り、慌てて体を横に休める、というのを繰り返していたが、安定期に入る前に、やはり、切迫流産で入院をすることになってしまった。

入院中、娘はレイナの実母に預け、娘はレイナの両親の愛情を注がれながら、言葉を覚え、仕草も増えて、入院中のレイナの元に毎日会いに来てくれた。


会うたびに、話す言葉が増えたと行っても過言ではないほど、娘の成長は著しく、レイナは娘が会いに来るのを、毎日毎日楽しみにしていたが、旦那は数日に1回会いに来る程度で、レイナは少し寂しさを感じながら、入院生活を送っていた。

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