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ゲストハウスを辞めるまでのこと

2020年の振り返りを書こうとした結果、書き出したら結局ゲストハウスでの勤務のことを書かずにはいられなかったので、今回はゲストハウスで働いていた頃のことを。

ゲストハウスで働くようになってから、自分の話をするのが極端に苦手になってしまったので、リハビリも兼ねて。。


ゲストハウスで働くようになるまで

私が働いていた萩ゲストハウスrucoを初めて訪れたのが2015年9月頃。そして大学4年生の最後の冬休み、2016年1月〜3月にヘルパーとして2ヶ月滞在させてもらい、その間に萩に魅了され、東京で就職したものの1年半で退職。萩に舞い戻り、ゲストハウスのスタッフとして働き始めたのが2016年10月頃。

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「よく山口まで引っ越したね」なんてことは繰り返し言われてきたけれど、私は思い立ったら動かないと気が済まないタイプだったから、その辺りは深く考えられていなくて。でも引っ越す前にヘルパーとして滞在していた期間、地域の人たちによくしてもらった経験が大きいなあと。

英語も全然話せないし、社会人としてもまだまだペーペーだったけど、それでも飛び込んだら受け入れてもらえて。スタッフとして働き始めてからしばらくはオーナーと意思疎通が難しいこともあったけど、その山を越えてからは、信頼関係が築けていると感じていたし、絶大な安心感の中で働けていた。

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「間合いを読む」こと

ゲストハウスのスタッフは本当に誰でもできると思う。迷っているんですって相談をもらうことも多かったけど、何も難しいことはない。ただ、ゲストハウスの接客は接客業の中でも最もプライベートに近い部類(だと思う)から、なんというか、気を抜いているとやられてしまう。
「ああ、距離感間違えちゃったな」、「不躾なやつだと思われたかな」…そんな風にへこむことはたくさんあったし、逆にぐいぐいと踏み込まれて、精神的にすり減らされることも少なかった。常に人と人の関わりだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。

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ゲストハウスのスタッフとして働いている中で一番気にしていたのは、「間合いを読む」こと。人によってここち良い空気感は違うから、ゲストさんごとにちょうどいいと思ってもらえる対応を心がけてた。理想の接客まではしきれなかったけど、いつも自分らしく身の丈にあった人との向き合い方、rucoに合った距離感でいられたなあと。

ゲストハウスの辞めどき

そんな感じでここち良く働かせてもらっていたけど、じわじわと感じていたのは、私は現場に向いていないということ。。いい状態でいたかったからいろんなところに気を張りすぎていたんだと思う。プツッと切れることはなかったけど、そろそろ潮時だな…という気持ちが大きく膨らんでいった。そして、もっと仲間と働きたいな、その中で成長を実感していきたいな、とも。

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ゲストハウスでは人生に影響を与えるほどの衝撃的な出会いもあったし、人生をかけてつながっていきたいと思える友人ともたくさん出会えた。全然連絡は取っていなくても、大切に思う人がたくさんいる。そんな人たちの存在のおかげで、人間としてとても成長させてもらったと思う。あんなにも人として成長できると感じられたのは、常に人と人として向き合っていたからだとも思う。ただ、20代の今のうちにもっと色々な人と働いてみたい。別の種類の成長がしたい、と思うようになったのでした。

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そして、ゲストハウスを辞めたのが2020年4月。

ゲストハウスを辞めてどこへ行く?

私がゲストハウスで働き始めた2016年頃から、少しずつ「ゲストハウスで働いていたけど、辞めました〜」という人に会うようになって(それでもまだ全然少なかった)、そういう人は大体、自分でゲストハウスを始めるか、何かしらのお店を始めていた。
その後、年々ゲストハウスの数は増えていって、もちろんゲストハウスで働く人も増えていって。。その人たちはどこへ行ったんだろう?

私はサラリーマンに戻ることにしたけど、それは多分少数派。ゲストハウスで働く人って気質的に商人肌な人とか個性的な人が多いんだと思う。私もゲストハウスで働く間、ライターや古道具屋など、色々経験させてもらったけど、結論、小さなベンチャー企業で働きたいなってところに行き着いた。

やっぱり人と働くって楽しいし、知らないことをたくさん知りたいし、見たことない景色を見ていきたい。(この感情は旅人と通ずる部分があるようにも思う)

今でもゲストハウスは大好きだし、あの場で働いていた時間を恋しく思わないわけではないけど、おかげさまでしっかりと今を楽しめています。

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