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PTA副会長時代を振り返って思う。PTAって必要なのか?

普段、ここでは推しへの愛を叫ぶだけで自分の日常のことを書くことはほとんどないんですが、PTAのことで悩んでいる方が今の時期多いと思うので、副会長経験者として思うことをつらつら書いてみます。

PTAの本部役員選挙、日本中の母親の皆様(父親もちょっとは?)お疲れ様です。
いやですよね。あの威圧的な、「選挙には必ず出席して下さい」「仕事は辞退理由にはなりません」「委任状を出しても選出される場合があります」「選出された場合は電話に必ず出て下さい」っていう、あの感じ。
かくいう私も、「私は働いてるし、そんなの専業主婦の人がやってくれるんじゃないの?」(専業主婦の皆さんごめんなさい)という甘い考えが災いし、見事に小学校のPTA本部役員に選ばれてしまったのが2018年のこと。
うちの場合、本部役員は2年制で、1年目はヒラ役員、2年目は自動的に副会長に、というシステムで、実に2年4ヶ月もの間拘束されたのでした。

まずいきなり、仕事とバッティングする行事が3つくらいあって。
仕事を理由にPTAの方を休むのが性格上申し訳なくて耐えられず、半泣きになっていたところ、
「本当に出ないといけないのは総会だけだから。あとは出られる人でカバーするから。今年は働いている人も多いし」とみんなに慰められたのですが、
「本当に出ないといけないのは総会だけ」なんてことはなかった。 
地域のお祭りだって「本当に出ないといけない」レベルだし、地区別懇談会、見守りのお年寄りとの交流会、地域パトロール、地域安全会議だって、やっぱり「穴をあけるとまずい」行事ではあるわけです。
結構あるやん、本当に出ないといけない行事……。

PTA副会長、もちろん仕事、忘れちゃいけない主婦業、さらに2020年のコロナ対応という大波をも乗り越えて、という壮絶な日々。
今みたいに推しの音楽聴いてnote書いてピーヒャラしてるのが申し訳ないくらい、ほんっっっっとうに大変でした。

当時、読んでたのが、加納朋子「七人の敵がいる」「我ら荒野の七重奏」というPTAを舞台にした小説。
あとがきに
PTAって、人が思うほど恐ろしい所ではありません。
もっと恐ろしい所です

とあったんですが、この言葉がぴったりの、前近代的で時代錯誤で自己犠牲的な、そういう場ではありました。

「PTAの何が嫌? トップ3」というのがあるとするなら、以下のような感じでしょう。
1.仕事を休まなければならない(「またPTAで休みか……」「なんで役員なんてなったの?」などと嫌味を言う上司も)
2.ボランティアのわりにやるべきことが多すぎる(日給5,000円くらいは欲しいくらいの仕事量)
3.やる人とやらない人の負担感の差が大きすぎる(不公平感半端ない)
4.「子どものために」やっているはずが、自分の子どもを犠牲にしている(PTAの業務のために子どもに学童に行ってもらうとか、なんかおかしくないですか?)
5.実働部隊は母親ばかり(父親が出てくれる家庭もあるけれどまだまだ十分ではない)
6.地域の各団体との付き合いに忙殺され、本当にPTAとしてやりたいこと(「子供とゲーム」「いじめ」「不登校問題」「学級崩壊問題」などを保護者みんなで話し合って解決に導く、など)がまったくできない 
7.自治体や地域のおじさま方との認識のズレ。「ヒマな専業主婦の自己実現の場」といまだに思われていて、働きながらじゃとてもさばけない量の業務を押しつけられる。これはジェンダー平等問題とも大きく関わってくる
……「トップ7」になっとるやんw

とまあ、こういうことを人づてに聞いたり、ネットで見たりして、なんとなく怖そうなイメージができてしまい、仕事などを理由に役員から「逃げ」たり、PTA自体に加入しなかったりという(実は加入は任意であるということがネットで広まっていることもあり)保護者が増え、担い手が少なくなり、毎年の役員選出は困難を極めました。
けれど当時の我々役員側にも問題があって、嫌々やってるからついつい顔も怖くなり、すんごい負担が多いからそれを隠しておかないと誰も引き受け手がないだろうという恐怖から業務内容をひた隠しにし、引き受けてほしいからとはいえ威圧的な「選出会には必ず出席して下さい」みたいな文言をついつい書いてしまい、私たち自身も「PTA=怖い」というイメージを助長してしまっていたところがあります。

とはいえ、やっぱりしんどいもん。緊張もするもん。失敗したら責められるもん。笑顔ではできませんよ。
各方面と協議の上で少しずつでも業務を減らしていったり、業務の「見える化」を進めていったり(せめて時間的な拘束がどれくらいかくらいは公開してもいいはず。午後とか夜とか土日とかも業務があると思ってる人は多い)など、少しずつ負担を減らしていけば、役員の笑顔も増え、どんな状況下にいる人でも無理なく参加できる「持続可能なPTA」ができていくのではと思いながら業務していました。
PTAが消滅しちゃってもいいのなら私も何も言わないけど、実際、困るんでしょ? 地域のお祭りができなくなるんでしょ? 登下校の見守りをしてくれる人もいなくなるんでしょ? 子どもたちや学校や地域のためにPTAが必要なのであれば、存続可能な状態にしていかないと……。
なんてことを、実際の話し合いの場ではなかなか発言できず、モヤモヤしたまま任期を終えました。

中学校でも役員に選ばれてしまったらどうしよう……と悶々としていたある日。
仲の良いママ友(中学校PTA役員経験者)「中学はPTAあれへんで。消滅してん」
私「ないの!? 消滅って何!?」
いわく、
誰も役員になりたくない→さりとて誰かに投票しなきゃいけない→選ばれても業務ができないであろう事情がある人にわざと投票する→その人が当選しても業務ができない→できる役員に業務が集中する→疲弊する→もうPTAなんてやめや!!と悲鳴が上がる→消滅……
というルートをたどったのだとか。
ひえー……。
とはいえ、地域との関わりとか最低限やらなきゃいけないことはあります。
そこで、本当に時間とやる気がある数人の母親を軸に、行事があるたびに手伝ってくれる保護者を募るという、ゆるーい組織が出来上がり、現在に至るのです。
ちなみに子どもの中学入学後、私はその組織には加入しませんでした。
ゆるーいとは言いつつも、加入したらそれなりのしんどいことをやらされるんじゃないかという恐怖(トラウマですね)から、金輪際そういう団体には入るまい!と決めたのです。
子どもは3年生になりますが、特に不利益はこうむっていません。

PTA休止・廃止・外注という道を選ぶ学校が増えているといいます。
地域によっていろいろ事情もあるでしょうし、一概に「PTAなんてやめたら?」とは言い切れない問題だとは思いますが、
「女性を本当に輝かせる社会」
「本当に子どもたちのためになる活動」
「地域や保護者が本当に心から楽しく交流できる場所」
ってどういうものなのか、そろぼち考えてみた方がいいし、考えた結果、日本中で少しずつPTAを取り巻く状況が変わりつつあることを実感するこの頃です。
難しいですけどね……。少なくともこの国における一番のネックは「同調圧力」「自己犠牲」てな概念が根強いことですかね……。


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