自分の役割を探す方法

 おはようございます。3月31日火曜日、今日もradio sufi 始めます。昨日は月曜日ということで一日お休みをいただいたんですが、前回、前々回ぐらいにお話ししました福祉のお勉強行ってますよっていうので、昨日も一日、缶詰でお勉強してきました。

何のお勉強かっていうと、“介護職員初任者研修”って言い方が辿々しいですね。それほどよくわかっていない状態の人間が勉強に行っているっていう感じではあるんですが、昔でいうヘルパー2級っていう資格なんですよね。

日本の少子高齢化に向けて、あと10年経つと団塊の世代の人たち、ベビーブームでものすごい人口が増えた時代の人たち、私たちよりも20歳ぐらい上の方たちでしょうか、団塊といわれている方たちが一気に高齢化社会の方に、高齢化の方に向かい、介護されたり、するようなところに入っていくという時代になっていく。

少子高齢化の時代に、高齢時代に入っていくということで。誰もがなんかこう、今も思っているけど、あと10年したらもっともっと、なんか若い人より高齢者の方が多いなって思うような時代に普通になっていく。これはもう変えられない事実ですよね。そんなところで、何かできることはないかなと。

中富良野町に住んでいても、やはり高齢者の方は多いので、町の課題だったり、そういったものを解決する糸口に何か役立つことがあればなぁと思って、動き出したわけなんですが。ただ、お勉強していて思ったのがですね、実技だとかそういったものは、まだお勉強していないんですが、介護する上での氣持ちだったり、理念だったり思い、そういったものをお勉強していく上で、なんか私、別段新しいことだと全然思っていなくて。

テキストを読んでいると、今までいろんな方々にお勉強をしてきたわけですが、その言ってること、やってきたことが、相手が高齢者になっただけだなっていう感じをすごく感じていて。あぁ、自分がやってきたことって、どこでも役立つ本当に基本の基だったんだなっていうのをすごく実感しています。

やっぱり、ひとに対して尊厳を持つだとか、尊敬の念を持つだとか、依存ではなく自立を促すだとか、全てが一つの線上にあったっていう感じで、びっくりですね。

「あれ、これ昨日私、みんなに言ったことだよな」っていうことが、教科書に書かれていたりとかしてね。「あ、あれ?」って思ったりするんですよね。その資格自体は昔よりは、そのヘルパー2級っていう資格よりは随分と変わってですね。

昔、聞いたことあった時は、「取るのは簡単だ」って聞いてたんですけども、ちゃんとレポートだったり、テストだったり、実技試験だったりがあるという、なかなか深いお勉強になっています。すごく役に立つなぁと、今のところすごく楽しくやっています。週2回でもう少し通うんですけども、頑張って、なんかうまいことね、テストも受かったらいいなと思っているんですが。

ゴールはね、特に設定していないんです。

ただ、その内容を一生懸命覚えて、お勉強できたらいいなと思っていて、その過程の方が大事かなと思っているので、受かることだけを一生懸命考えたりはしていないんですね、実はね。

こういったことって、何でも当てはまると思うんですけども、なにかこう、成功を夢見て一生懸命やっても、なんかあまり実にならないというか、失敗に繋がりますね。結果はもう天に委ねるという生き方をしていないと、過程を楽しめないです。落ち込んだりもします、うまくいかなかったらね。でその、過程を楽しむようにすれば、落ち込んだことで学ぶこともたくさんあるから、失敗を宝物にできるという、いいところもたくさんあるんです。

これを、受かることだけを一生懸命、念頭においてね、なんでもそうなんですけども、やり始めると、ゴールだけを夢見たりすると、

そのゴール本当は自分にとって必要じゃないかもしれないのに

っていうところに氣付けなくなるんですよね。

過程を一生懸命、目の前にあることを精一杯やることによって、自分の本当の正しい道に行けるっていうことになります。もう、結果だけを見て生きるなんていう、無駄なことはしない方がいいんじゃないかなって、私は思っているんですよね。

昨日はですね、いろんなお勉強をする中で、心と身体の仕組みとかね、普通に私が勉強してきたようなことではあるんですけども、少し頭の中に余裕があるからなのか、急にこう、お勉強してるはずなのに降りてくる言葉っていうのがあって、つい勉強ノートの横に、降りてきた言葉を書いてしまったっていうのがあって。

こんなことが書いてありました。

私という個は究極はないんだ。

自分のやっていることが間違っていようと合っていようと、波動共有のなかで生まれるものだが、持って生まれた個性や役割的なもの。

そういったものは数秘だとか星の、星座占いだとかそういったものに、自分の個性、役割ということは出てくるので、そういうことを大事にしながら、やっていく。

ただ、「自分がやっているっていう風に思うなよ」ってね、いつも私の見えない和尚さんが言うわけですよ。「自惚れるなよ」って言うわけですね。

どんなに上手に何かができても、なにか褒められるようなことをしても、「お前の物じゃないぞ」っていつも言われるんですよ。

鼻を高々としそうになったら、パチンってピノキオの鼻みたいにね、パチンって折られちゃうわけですよね。自我がメリメリっと出てきて、「私のおかげ」とかって、「私ってすごくない」とか、冗談で言うことはあったとしても、それ本氣で思ったらですね、バッチーンとこうね、天上界から殴られるわけですね。


何でもそうですね、料理だ、服だ、何でもいろんなことを作ったり、生産したり人間はすると思うんです。人助けもそうでしょうし、なにか物事成し遂げたりね。もちろん自分も努力しているけれども、「その努力の後ろには、必ずお陰様があるんだよっていうことを忘れちゃいけないよ」っていうのをね、すごくうるさく言われます。

あ、言われますって言っても、何度かラジオを聞いてくれている方はわかると思うんですけども、人には言われないです。なんかこう、宇宙存在です。私の頭の中で鳴り響くんです、そういう声がね。「自惚れるなよ」って言われるんです。

自分が成し遂げたものなんて、何ひとつないよ。


例えば、デザインひとつとっても、ホームページやったり、なにか家を建てても、いろんなお陰様があって形にすることができたことに、その、お陰様で出来上がったことに感謝をするということを忘れると、本当にうまくいかないです。

今こうやって喋っていることも、何も台本ひとつ用意していないわけですから、どこかのエネルギーと繋がって、喋らせてもらっているから、私がすごいこと言ってるわけじゃないんですね。この身体を使って、その言葉が口から出ているというだけ。だから「いいですね」とか、「よかったです」とか言われても、自分のお陰ではない。目に見えない存在たちのお陰様だということに、自分は感謝しなきゃいけないということをね、常々言われるんですよね。


そこを勘違いするとやっぱり変な方向に行きます。今ちょっと、ブログの方は書いたりしてないんですけども、ブログを読んでくれている人たちも感じるかと思うんですけども、私個人という、自我の方の私っぽくはないんですよね。

書いてるのを読んだことがあるだけの人は、どっかのおじいちゃんだと思って会いに来た人もいますしね。笑

「なんかちょっと、人生いろいろやり切った、悟っちゃったようなおじいちゃんだと思っていました」って言われたこともあるんです。「いやいや、こんなんですみません」と言ってね、そんな話をしたことありますけど。

それも、書かせてもらってる、書かされてるというか、そこのエネルギーと繋がって勝手に指が動き、キーボードを叩くわけですよね。そうすると文字になっていって、形になっていく。だから「自分が書いてるんだぜ、イエーイ」って言って、こう鼻高々になると、一切書けなくなります。

今、私、中富良野町に住んでいますが、富良野といえば富良野塾の方、先生がいらっしゃいますよね。倉本聰さんですね。倉本さんのコラムを何かの拍子で読ませてもらったことがあって、その時に彼が経験したことっていうのが書いてありました。

若い頃、いっぱい書くわけですよね。で、あるとき自分は有頂天になってしまったと。自分が書いてるって、だから「俺すごいんだ」って思うようになった途端、一切書けなくなったって書いてあったんですね。

「あ、やっぱりそうなんだなぁ」って。それで、結構スランプに陥ったという風にコラムには書いてあって。そこで氣持ちを改めて、書かせてもらっている、自分が書いているんじゃないんだって思い直したことによって、また小説が書けるようになったっていう風にコラムに書いてありました。

「あ、やっぱり同じだなぁ」って思ったんですよね。やっぱり、そういうすごいことを成し遂げる方も、お陰様っていうことをしっかりと意識されている。「あぁ、すごいなぁ」と思ったわけですよね。

だから、何にしてもそうだと思うんです。自分の身の回りでやっていること、自分が行っていることって、「自分だ」と思っているとそれまでです。すごく小さい。人間て、めちゃくちゃ小さいじゃないですか。飛行機乗って、上から見たらすごい小さいでしょ。アリの様に小さい存在なわけですよね。で、そのアリの様な存在である私たちが、なにかをやるっていうのは、アリで終わるのか、無限の宇宙のエネルギーを出すことができるのかっていうのは、自分の心の思い次第。だから、俺様になっちゃいけないんですよね。

自分という個、というものは究極ないんだよっていうのが、私が昨日、勉強中に降りてきてしまった言葉なんですけども。なんで急に書いたんでしょうね。他のノート、版書をノートに写していただけだったんですけども。急にね、それを思い出して書いていました。だから、

自分の役割って何だろう

って悩む人もいると思うんですよ。私だってそうでした。10年くらい前、こういうことをお勉強し始めたばかりで、何が自分の役割なんだろう、一体何なんだろう、自分が進むべき道なんて何なんだろうって。

10年前の私が、今この中富良野町でこんなラジオを配信してるなんて、まったく想像できないわけですよね。でも今、これが今の自分の役割だという確信があるんです。

10年前は何をやってても、それが自分の役割かどうかなんていうのはまったくわからず、「本当にこれでいいんだろうか」っていう、「本当はもっと違う道があるんじゃないか」とかね、そういうこと考えて生きてたはずですね。

じゃあ、どうやってここまで辿り着くことができるかっていうと、その、確信を持って生きるってとこまでですね。今が、ゴールだとも思っていないです。究極のゴールなんて、最初の方にも言いましたが、ないんです。ずっと生徒さんにも言ってきたことなんですけども、今、目の前に与えられていること。

仕事でもいいです、行為でもいいです、何でもいいんですけども。自分が住んでいて、環境だったり、土地のことだったり、自分の体力のことも見ながら、与えられたことを、もう本当に努力して精一杯行うっていうそれだけ。

その繰り返し、しかないんです。自分の役割を見つけるっていう方法は。「えぇ、そんなつまんないの」って、まぁ、若い頃の私なんかは思ったし、もしかしたら聞いている方にも、思っている方もいるかもわからないですけど。本当にそれしかないです。

未来のことなんて、今の波動の状態じゃ見えないんです。例えば、視野のことを考えてみると、山の5合目とか登った時の眺め。5合目からの眺めって、まぁ、そこそこの土地しか見えないですよね。これ、頂上まで登ったとき、ものすごく広く視野が広がるでしょ。

それと同じで、自分の波動が低い時は、低い、そこから下しか見えないんです。視野がそれだけしかない。5合目ぐらいしかないとかね。これが、自分の波動が上がって、頂上ぐらいまで行ったら、その視野を乗り越えてすごく広いところで、広いところまで視野が広がるのと同じように、心の感じ方や、心の器っていうのがどんどん広がっていくっていうことになるんですね。

なので、今、悩んでいるということは、1合目くらいかもわからないわけですよ。1合目、2合目だったら、その先のずーっと広い視野というのが見えないんです。だから、目の前のことを精一杯行うっていうのは、山登りをしていくのと同じです。一歩一歩上がらなきゃ、3合目、5合目に辿り着けないじゃないですか。

それと同じように、一歩一歩上がっていくことが、目の前のことを精一杯行うこと。そうすると、視野が少しずつ広がる、心の器が広がる、そんな中で感謝の氣持ちだとか、お陰様で登れたんだな、ここまで来れたんだなっていうことが、少しずつ心の器が広がることによって身についてきます。

そうすると究極、

自分というものがなくなるという頂上に行くんです。


なんか、不思議なこと言ってますか。ぜひ、やってみて欲しいんですけども。精一杯行うっていうとこで氣をつけて欲しいのは、日本人て一生懸命っていう言葉が好きですけども、

自己犠牲で身体ボロボロになるまで、ど根性でやらなくていい


と思うんです。自分の力量を知るっていうことがまず大事だと思うんですね。力量って、小さい人もいれば、大きい人もいるじゃないですか。よく見せたい人もいますよね。見栄が大きい人とかね。でも、もしかしたら、もうちょっと小さいかもしれないんですよ。そこを見栄とかそういったもの関係なく、自分のできる範囲を見つけて。だってやりすぎたら、短距離走で息切れしてハァハァとか言ったりして、それ以上走れないとかってなるわけですから。自分の力量を、小さくても大きくてもそれを知って、認めるっていうことから始めないと難しいですよ。


なので、自分の力量を知って、自己犠牲することなく、怠けず、目の前のことをできる範囲で精一杯行うということ。それが、周りから見て失敗とか、成功とかあるかもわからない。究極そんなものは聞かなくていいです。自分のことは自分で認めてあげて欲しいんです。精一杯、頑張ってやってきたんだなって思えれば、それでOKです。人の評価なんて氣にしちゃいけません。

「じゃあ、あなたがやってみなさい」って言ってあげてください。もし、なんか言われたらね。そのぐらいの氣持ちで、自分のできる範囲で精一杯行うこと。

それで時々、感謝できてるかな、なにか与えられること、自分が与えることができること他にはないかなって考えて、見ながらですね。最終的には見えない周波数や、お陰様、ご先祖様だったり、神様とか宇宙とか、そういう話したら嫌う人もいるかもわからないけども、見えない存在たちっていうのはたくさんいる。見守ってくれてるし、いつも助けてくれています。

自然や、空気や太陽、そういったものは無限に私たちにエネルギーを与えてくれていますので、それをこう、ただ当たり前のように受け取るんじゃなくて、感謝をする。どこへ行くにもエネルギーが必要です。誰かの助けも必要です。そういったことに、常に感謝の氣持ちを忘れず、なにかこれを受け取るだけじゃなくて、お返しできないかなぁと。前にもお話ししましたが、お返しをするっていうのは、エネルギーの循環ですから、もらいっぱなしじゃエネルギーが腐りますよっていう、お話をしました。

そういったことを思いながら、精一杯の努力をしていくっていうことを続けていくと、氣付くと高みに登っているわけです。5合目に氣づいたら行っていた。「あら、振り返ってみたらずいぶん登ってきたなぁ。そして視野や、心の器や感謝やっていうものがずいぶん心の中に増えたな。」

もちろん愛の感情、その愛情とかいうドロドロしたものじゃないですよ。無条件の愛です。森羅万象に対する愛の氣持ちが増えたな、穏やかだな。日々優しい氣持ちで生きていれるなっていう状態が増えていくんですね。で、頑張って一歩一歩、精一杯やっていたら、どんどん上に上がっていく。

そういう風にやっていくと、「あ、これが私の役割なんだな」っていうところの氣持ちに辿り着くことができると思います。


今日は何だか、セミナーみたいになってしまいましたね。まぁ、いいか。生徒さん、たくさん聞いてくれていると思いますので、お勉強タイムっていうことでした。こんなことをいつも講座ではお話ししています。最近はちょっと、お店のこともあったり、メンバーのこともあったり、いろんなことで時間がたくさん使われていくので、なかなか本業の方に力が入らないんですよね。

それも、ひとつの流れなのかなとも思います。自己犠牲しているつもりは私もないし、目の前にあること、目の前にいる人に対して精一杯やっているっていうのが、今の生き方なので、それもありなのかなと思います。ぜひ、今日一日、毎日その繰り返しなんですけど、目の前にあることに対して、感謝しながら精一杯行うっていうことを続けてみてください。

それでは、今日も良い一日を。

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