新しいレンズで世の中を見る

”おろしますね”

って、モノマネが得意な女性芸人のネタであるじゃないですか。あれなんか結構深いなって思った。

ドキドキしながら公開した初めてのnoteは私の予想をはるかに超える反響があり、古い友人も昔からの読者さんも、最近知り合ったあの方も、このnoteをきっかけに私を知ってくれた人も。沢山の人から「読んだよ」とコメントをもらう度に、私ったら何度も同じページを開いて「その人の目線で読んだらどんなふうに解釈するだろう?」「誤解を招くような表現なかっただろうか」と心配になって、今度はその人を ”おろして” 読みました。読み終えて、あ、大丈夫かなと思って、ふうって安心する。そんなこんなで自分のnoteを50回ぐらい読んでしまった(とにかく人の目が気になりすぎる)。ものを書く人にとっては、あるあるだと信じたい。

相手の気持ちになって考えよう、とか言われるとどうも説教じみてて「あの人と私は違う」って言い返したくなるんだけど、”おろしますね” ってその人になりきって世の中を見るのは面白い。自分はスルーしていた小さなニュースが妙に気になったり、落ち込むようなことがあったときも、あの人だったらどうでも良いって思うだろうかと思ったり。

身の回りにいるポジティブな人のレンズを借りてみたら、自分にとっての失敗もすごく前向きなものに思えたりする。レンタル無料。妄想が得意な人にとってはお得な対処法だ。

起業家精神とは、今までになかった新しいレンズで世の中を見ること

だと、ティナ・シーリグ先生も言ってた。

普段「自分」として生活していると見えないものや聞こえない声は意外と多くて。架空の誰かのレンズをかけることで世の中の小さな課題に気がつくこともある。息を吸って吐くように、当たり前にこれが意識できている人のことがとてもうらやましい。それともみんな心のどこかで ”おろしますね” って一息ついてるんだろうか。

ちなみに、noteを始めたことも私にとっては新しいレンズだった。それによってなんとなく日常で張るアンテナが一本増えた気がするし、移動中にぐるぐると描く頭の中身はnoteのネタ帳になった。何気ない毎日のことも一歩引いたところから見れば結構面白いのかも、と世界を見る粒度が明らかに変わった。新しい習慣も、新しいレンズになるのね。

まだ2投稿目だけど(笑)。飛ばしすぎないように、ぼちぼちいきます。

さ、バナナと牛乳を買って、今日もお迎え行ってこよ。

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