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「セーラー服と機関銃」

長回しは鑑賞者を発狂させる。
その圧倒的な情報量によって。
同時多発的に何かがそこかしこで起こり、スクリーン内では何もかも平等で、悲しみや喜びも、生や死も平等で、血などただの赤い絵の具に過ぎない。
機関銃が火を噴く時のスローモーション、「カイカン」という音と薬師丸ひろ子の開ききった瞳孔がスクリーン前景にせり上がってきてゾッとする。
紛れも無い暴力だと思った。
長回しのゆったりした時間の流れを遮って、時間を先鋭化させてしまうスローモーション。
時間はゆっくり流れるが、その分時間は濃密になる。
濃密になった時間は、純粋な凶器として私たちを襲う。
エンドロール、赤いハイヒールと口紅をしたセーラー服の少女、都市を歩く。
子どもが飛び出て銃を撃つ真似をする。
少女も機関銃を撃つ真似をする。
地下鉄の通気孔の上で、街ゆく人たちを片っ端から撃つ。
撃たれていることも知らず、街ゆく人は"薬師丸ひろ子"を見物に来る。
"薬師丸ひろ子"は撃つ。
撃ち終わった後の少女の真顔。
長回しが、鑑賞者に起こってしまっていることを傍観することを強いるように、私たちは変わっていく彼女をただただ傍観するしかない。
それなのに、この清々しさはなんだ。
穢れなき変容。成長とも言い難い「穢れなき変容」としか表現しようのない現象。
肯定も否定もしない変わっていくことを。
少女が少女でなくなっていく過程のちょうど中間。
口紅をつけたセーラー服と赤のハイヒール。
ハイヒールだけが街を歩いているように見える。それなのに"薬師丸ひろ子"が銃を手にした瞬間少女が立ち上がってくる。
変わりゆく少女が、スクリーンに立ち上がってくる。
撃たれていることに気づかない大衆は、呆然と"薬師丸ひろ子"を眺めるしかないのだ。