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23歳の「家出」の話

「今日から一人暮らし始めるから」

そう言って僕はスーツケースを片手に玄関へと向かう。

状況が理解できず驚いた顔で、何かを問いかけながら、玄関まで追ってきた父親と母親。

その両親の視線と質問に気づかないふりをして、僕は実家を飛び出した。罪悪感を感じなかったわけではない。

でも、もう限界だった。

社会人2年目、23歳の夏でした。

小学生の頃、年に一回行く夏の家族旅行が楽しみでした。

父親と母親、二歳年上の兄。
別に遠出するわけでもない、何かをするわけでもない。関東近郊にある父親の会社の保養所に行ってゆったりと過ごす。

正直、行った地名も、止まったホテルの名前も、味わった食べ物も飲み物も何一つ覚えていない。ただ、楽しかった記憶だけはあります。

中学に入り、毎年恒例だった家族旅行は次第に行わなくなります。兄も僕も中学校の部活や友達付き合いで忙しくなったからで、別に珍しいことではないと思います。

中学以降も遠出はしないものの、時間が合えば一緒に食事をするし、外食に行くこともある。会話もしないわけではない。別に仲が悪かったわけではない、とは思う、たぶん。

いつからだろうか。

家族の思い出はあるかと問われると答えに悩むようになってしまったのは。

たとえ一つ屋根の下にいたとしても、
「今日あったできごと」を話合う訳でもない。
「社会のできごと」を議論する訳でもない。
「悩んでいること」を相談し合う訳でもない。
だから、我が家では家族会議が開催されたことなんて一度もない。

それは、僕の中で「家族」ではなくて「同居人」の感覚に近かった。

なぜなら僕の知っている家族は、
「今日あったできごと」を共有し合い、
「社会のできこと」を活発に話し、
「悩んでいること」を共に乗り越えていくものだったから。

少なくともドラマや漫画で出てくる家族は、そんな感じだったし、友達の話を聞いても、それが「当たり前」でした。

「いつからだろうか」
実は、このことに関して、思い当たる節がないわけではありません。

それは大学生の頃。

大学生になった僕は、自称鮮烈な「大学生デビュー」を果たします。

とはいっても、髪を染め出すとか、夜遊びに繰り出すとか、酒に溺れるとか、雀荘を囲むといった類ではなくて、高校生の自分とは全く異なる路線に走って行ったという意味で、です。

大学一年の頃は、国内を飛び回り、農業体験や東日本大震災のボランティアをしたり。大学二年生になって、バングラデシュやルワンダなどの海外(しかもあまり他の人が行かなそうな場所)に行ったり。

大学三年生になってからは、ルワンダ人を日本に呼んで、家でホームステイをしたり。教育NPOでインターンをしたり。大学四年生になってからは、友人と教育系の一般社団法人を立ち上げたり・・・

僕は中学受験をして中高一貫の学校に入っています。比較的大人しく真面目な校風で、極道の先生も、グレートティーチャーの出番もないような環境。

そんな環境で、中高の間、部活と勉強だけをして過ごしていました。周りの人と同じことをしているのが居心地がよくて、それ以上に何か「変わったこと」はしていなかった。

ところが、大学に入ると同時に、突然色々なことに手を出し始めたのです。

自分でも何でかはわからない。大学でたくさんの面白い人と出会って、このままだと埋もれてしまう、誰かの下位互換の存在にしかならない、と感じたのかもしれない。ある種の生存本能的なやつなのかもしれない。

そんな息子を見て、両親はどう思ったのか。

世の中には、良く分からない新しいことに次々手を出す息子に対して、「いいね」と面白がってくれる親もいると思います。
しかし、僕の両親はそうではなかった。

父親は定年まで一社で勤めあげた会社員。母親は専業主婦。安定、安心、安全、常識・普通・保守的そんな最前線をいくような両親と、他の人と違うようなことをしたいと願う息子が交わるのは難しい。

もちろん、応援はしてくれていたと思います。

一方で、お金と労力をかけて、中学受験をさせて、大学受験をさせて、そこそこの(これ自分でいうの恥ずかしいのですが)大学に入ったのに、何をやっているのか、そうも感じていたのかもしれません。

実際によく言われた言葉がいくつかあります

ひとつめ。「騙されていないよね?」

「何に対して?」と思うのですが、急に息子が旅行に行くとか言い出すと、怪しい団体に入り出したんじゃないかと、不安になったのかなとは今になって思います。

ふたつめ。「そろそろ何か一つに絞った方がいいんじゃない?」

今でも副業をしていると、本業が疎かになる。何か一つのことに集中してこそ良い、という方はいらっしゃいます。

一つに絞るのか、色々なことをするのか、別にどちらが良いとか、良くないとかはないと思いますし、個人の考えでしょう。少なくとも僕の両親は、何か一つのことに捧げる、中途半端を嫌う、そんな性格だったのだと思います。

考え方が異なるだけ。異なるだけなのだけれど、異なるから話が合わない。そして口論になる。

口論になると良く言われるのが「あなたのためを思って言っているのよ」という言葉。
本当に僕のためを思っているのなら放っておいてくれよ、と何回思ったことか。

そして最後に言われるのが
「大学の学費を誰が払っているのか」
「毎日の食事したり、洗濯したりしているのは誰か」

それを言われると、何もいえない。確かに学費を自分で払うことはできないし、洗濯も食事も全部してもらっている。その通りだし、その部分は純粋に感謝はしている。感謝はしているけれど。

僕はこの頃から価値観の違いを何となく感じていて、話していても噛み合うことがないとテキトーにはぐらかせてしまうようになってしまいます。

自分でも「こども」だと思いますが、もうそれしかできない、諦めや面倒くささを感じてしまっていたのです(非道な息子だとは思います...)

大学生活をどう過ごすか、については「騙されてんじゃないの?」とか言われつつも、そこまで強く何かを言われることはありませんでした。

一方で、大学生活終盤に差し掛かり迎える例のイベントでは、価値観が真っ向から対立することになります。

そう、就活です。

先ほど話ししたように、僕の両親は、安心・安全・保守的、そして常識人。会社員でクラシック音楽をこよなく愛する父親。専業主婦でピアノやフルート、ハープなどの楽器をこよなく愛する母親。

そんな両親が育てる子どもに願うのは、「安心・安定」になるのは当然かもしれません。僕は中学受験をして私立の中高一貫校に通えたのも両親の教育方針です。

学費の高い私立の中高、そして大学に通わせてもらったこと自体は、とても感謝をしています。

僕も高校までは、両親の考えるような「良い子」でした。
しかし、大学に入ってから少し変わってしまった。世界中、日本中で会う人、見る人、聞くこと、それらひとつひとつの経験に影響されたのかもしれません。

当時の僕は思いました。もっと挑戦的な環境で働きたい。不安定でも、不安定だからこそ揉まれて成長ができるような環境に行きたい。

選んだのは人材系のベンチャーの企業でした。

両親に相談をせずに決めたこの選択に、両親は異論を唱えます。

当時よく言われたのが、またしても、この言葉。「あなたのためを思って」

偽りではない、本心だとは思う。でも結果的に、それは「僕のため」にはならなかった。

普通であれば、話あって理解してもらうように努めるのが多いと思います。しかし、僕はそれを避けてしまったし、逃げてしまった。
そもそも未成年でもないのに、何で相談をする必要があるのか、僕にはわからなかった。

今思うと、結果よりも相談をして欲しかったのかもしれないと思います。頼って欲しかった、意見を聞いて欲しかった、寂しかったのかもしれません。

しかし、当時の僕はそこまで考えられるほどできていませんでした。

実際に、入社する会社を告げた時、そして実際働き始めてから、夜遅く帰ってくる日が続いた時に、「ほら、やっぱり、もっと安定した会社の方が良かったんじゃないの?」と言われたり(実際はシフト制で遅番だけだったのですが)、その一つ一つを説明していくのも何だか手間で、そもそもそう言われること自体も嫌で、次第により遠ざかって行ってしまいました。

一つ屋根の下に住んでいても家族ではなく、同居人に近かった存在。

しかしその同居人も、もはや「他人」のような感覚を抱くようになってしまうのです。

価値観の変化や、価値観の相違は珍しくないでしょう。

たとえば恋人関係であれば、お互いが話して歩み寄るか、厳しければ別れることになるでしょう。

たまに聞く、カップルのどちらかが海外に行って、帰国後に別れるケース。
あれは、よくある言葉でまとめると「価値観の変化」なのだと思う。

しかし、家族関係では一般的には、歩み寄るのみ。価値観の相違があったからといって、そう簡単に「家族関係をやめる」ことなんてできない。

一方で、歩み寄れない場合、どうしたら良いのでしょうか。

世の中の親子は、なんであんなにうまくやっているのか。
本当に分からなかったし、今も分からない。

だから僕は距離を置くために、「家出」をすることにしたんです

一人暮らしを始めてから、心は穏やかになりました。

一人で家にいても誰からも何も言われないこと
お風呂の時間を気にしなくていいこと
ご飯を好きなタイミングで食べられること

こんな世界があったんだと、ストレスフリー。

一方で、その間も「罪悪感」は消えることはないし、距離が縮まることはなかった。

母親からくる大量の安否確認のメールと電話。それにすら応えられなくなっていった。

友人との会話の中でも、居心地の悪さを感じます。親の誕生日にご飯に連れて行った。プレゼントをした。母の日や父の日にお花を贈った・・・そんな話を聞くたびに、あぁそうだよな普通は、と内心思う。

思うだけならいいのですが、「君はどうなの?」と聞かれた時が返答に困る。てきとうにはぐらかすか、嘘をつくか。そしてまた罪悪感を抱える。

一番居心地が悪かったのが初任給。会社の同期の人や友達の多くが、「初任給、何に使った?」という質問に対して、「親にプレゼントを買った」と答える。

距離を取れば前に進むのではないか、その考えは甘かったと思い知ります。

なんでこんなことを考えたのか。

実はきっかけがあります。

それは、一人暮らしを初めて数ヶ月経った後、「仕方なく」実家を訪れた時のこと。

引越し業者を使わずに身一つで始めた一人暮らしだったので、実家に忘れ物を多くしていました。本当は帰りたくなかったのだけれど、仕方なく荷物を取りに帰ったのです。

幸いなことに、両親は家に居らず帰ってこぬうちに用事を済ませようとする。

ふと、ピアノの上にある青い色の封筒に目が留まる。それは私が当時勤めていた人材派遣会社のものでした。スタッフとして登録をしていたのです。

おそらく興味を持って知ろうとはしている。

その時だけではない。
思い返せば、「知ろうとしてくれたこと」は色々とありました。

高校最後の大会に応援にきてくれた。
大学の時入っていたルワンダの団体の活動報告にきてくれた。

両親は、何だかんだいいながらも、ずっと興味を持って、知ろうとはしてくれているのかもしれません。

お気づきかもしれませんが、この文章で述べていることは、「事実」と僕の勝手な「憶測」です。両親にこう言われた、このような態度だったというだけで、それ以上に深く、その背景や理由の想像はしていないし、ましてや知ろうともしなかったし、興味も持たなかった。

文章的には、そういう「やさしさ」に気がつき、歩み寄って、「初めてお酒を一緒に飲みました!」「まだまだですが、第一歩です」みたいなのがハッピーエンドだと思います。

しかし、そこまでにはたどり着いていないし、まだ時間もかかりそう。

ただ、
両親が何を考えていきてきたのか。
どんな学生生活をしているのか。
どこで出会ったのか。
なぜ結婚したのか。
教育方針は何だったのか。
なぜ、安定を求めていたのか。
・・・一つ一つには、背景や理由があるのかもしれません。
(そんなことも知らないのか、と思われるかもしれません。そうです、なんにも知らないのです。)

その背景や理由を聞いて、
「やっぱり自分とは違って理解できないか」
と思うか
「あ、案外似ている部分あるじゃん」
と思うか
「違う部分あるけれど、気持ちはわかる」
と思うかはわかりません。

そういったものを積み重ねていった先に、散々言われた「あなたのため」も、もしかしたら、違った意味合いになっているのかもしれません。そして、それを「やさしさ」と感じられる時がくるのかもしれません。

きっと、僕の番なのかもしれない。
家出先の一人暮らしの部屋の中で、感じるのです。

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