1年半で見つけたSFTの本質 SFTは助演男優賞、助演女優賞を狙え。

SFTの活動をしていく中で、こんな質問に困ったことはないでしょうか?

「SFTってどういう団体なの?」

「えっと、教科書を寄付してもらって、それを半額で販売して、それを途上国を支援するNPOに寄付して。。。。」

実に長いですし、工程が多くて聞いてる側からしたらこの活動の本質を見抜くことはできません。

いえ、この言い方は間違っているかもしれません。
活動の本質を見抜けていないのは外部の人だけではないでしょう。

活動をしている私たちですら、この活動の本質を理解し一言で説明できる人はいないと思います。

少なくとも私は、9月末までは説明できていませんでした。
1年半活動をして、その中で合宿係でリーダーをしても支部長をやっても
私はこの「STUDY FOR TWO」を理解することはできていませんでした。

そのため、私がなぜSFTを続け、なぜSFTに熱中しているかを
聞かれている時に説明するのはいつも人ベースの説明になっていました。
活動の本質を理解するのは難しくても、人に対する感情は
誰もが持つものであり、あたかもそれが本質とも思えるからです。

初めに述べておきます。
これはあくまでも私のSFTの再定義です。

きっとこれを読んでいる人には全く理解できない人もいるでしょう。
もしかしたらこの再定義に憤慨すらする人がいるかもしれません。

それはなぜか。
これから再定義するのはSFTメンバーを国際協力から一度離して考えることだからです。

SFTの活動を理解する上で私たちを本質からブレさせるのが
「SFTは国際ボランティア団体である」という常識でした。
多くの人は前提としてボランティア団体に入るつもりで
SFTに入ってきますから、この常識を疑うことをしていません。

ですが、私は国際協力にもボランティアにも興味ありませんでした。
だからこそ、この「ボランティア」という言葉にこだわりつづけ、SFTとボランティアの繋がりについて考えました。

流石に起承転結の起の部分が長くなってきたので
ここからは端的に述べたいと思います。

私はSFTをこう再定義しました。
「STUDY FOR TWOは全ての大学生と勉強をしたいと願うすべての子どもたちをつなぐ団体である」

これを考え出したのは、SFTにいる人の思考力について話している時でした

「なぜSFTの人は自分から考えて課題を作り出し、解決しようとする人が少ないのだろう。」

俗にいう当事者意識というものです。
ボランティアに興味のない自分ですらこんなにSFTについての課題意識を持っているのにもかかわらず
多くの国際協力を望む人はこの活動に課題意識を持ちそれを改善しようとするように見えません。

それはなぜか。
そもそも、入って来る団体を間違っているからです。
既存のSFTメンバーの本質からずれたSFTの定義により入ってきているから
入った後に、その本質を掴めずに自分のやりたいこととのずれに気付き
SFTに対しての主体性を持つことができないのです。

SFTに入って来る人は例外を除き主に3つのセグメントに分かれると考えます。
①ガチでボランティアをしたい(ボランティアをすることが目標)
②なんとなくボランティア団体に入りたい(ボランティア団体に入ることが目標)
③人経由で新歓にいったら楽しそうだった

まず、①についてですが
きっとこの団体では少ないでしょう。
私の知る限り、これほどの熱意を持った人は
学生代表ぐらいしか見られません。
それは、先ほどから述べているように
この団体の再定義するボランティアは
世間一般の持つ、汗水流して行うボランティア像とは離れるからです。
高校から大学にきて、ガチで国際協力したい!
と思っている人は新歓の段階で違うかな?となったり
第1回mtgで、本質を理解できないにしても
SFTの活動と自分の考えるボランティアとのズレで
ここは違うなと思っていなくなるからです。

ただ、本質に気づき、コミットした人は変異をおこし
突然変異的にSFTでの影を強めるでしょう。
今の学生代表のように。

次に②についてです。
こちらは②、③どちらがとは言えませんが
私のこれまでの経験上メンバーのボリューム層になっていると思います。

SFTという活動はこれらの人にとって、とっても居心地のいい場所です。
それはなぜか。
SFTにはこれまでのボランティア像にある辛い労働がないからです。
しかも、ボランティア団体に入ることを目標としているこれらの層の人は
週一で集まって話すだけでボランティアをしている気分に慣れますから
とっても居心地のいい場所でしょう。
そしてこれらの人はボランティア団体に入るという目標を達成した以上、そこで生み出されるタスクをこなすことはしても、それだけですでに満たされているためここに課題感を持つことはありません。

最後に③ですが、これは言わずもがなです。
人が好きだから、とか友達が行くと言っていたからついてきた
みたいなことを言っている人は流されて入って来る人であり
主体性の低さについて述べる必要すらありません。

ただ言えるのは、③の中には偏見を持たない人が時々います。
そしてその偏見を持たない③の人は突然変異を起こし
SFTという団体を好きになり、コミットをする人がいます。
これは私でしょう。

少々(かなり)攻撃的な言い方になってしまいましたが
別にこれで入って来るメンバーが悪いとは一切思っていません
つまりは、新歓の時点でこういう人しか取り込めない
内部ブランディングの弱いこの若い団体だからしょうがなく生まれて来る
ある種自然の摂理とすら言える構造が悪いのです。

こういった、そもそもコミットを呼び起こしづらい新歓が
団体について真に理解できていない現状が、
この課題意識の希薄で主体性の低い団体を作り出したのです。

だから私は考えました。
「じゃあ、SFTの本質ってなんだろう。」
「SFTを端的に示し、そして確信をつくコピーはないのだろうか。」

正直私は当時これについて考え出した時、手も足も出ませんでした。
SFTとボランティアを切り離すという考え方のベースは持ち合わせていたのですが、でも実際に国際協力を行っていないわけではない。

堂々巡りの思考の中で雲が晴れたのは起業部の人との話からでした。
ご縁があり、北大起業部の方とSFTについて話している時に
その方が
「SFTは素晴らしい活動。教科書を買ったら”いつの間にか”国際協力してる」
このように仰ってくださりました。

そして、私は当たり前のことに気づけたのです。
「国際協力をしているのはSFTではなく教科書を買ってくれた、寄付してくれた大学生」
私はそれまでこの活動を
SFT→子どもたちの二つの次元でしか見れていませんでした。
確かに、教科書を大学生に寄付してもらったり買ってもらったりしていましたが、そこについて深く考えることはありませんでした。
あくまで「このボランティアの主役はSFT」という固定概念に捕まっていました。

私たちの「ボランティアの主役は全ての大学生」だったのです。

これに気付いてからは、スルスルと絡まった糸が解けて行きました。

私たちは、
大学生が行う国際協力を支援し円滑に進める触媒でしかないのです。

あくまで私たちは主役(大学生)とヒロイン(子どもたち)をつなぐ助演でしかないのです。

ですが、助演だからといって手を抜いていいわけではありません。
世の中には「助演男優賞」「助演女優賞」という言葉があるように
助演も一人の物語の主人公でありその程度によって評価をもらえます。

だから私たちは「助演男優賞」や「助演女優賞」を目指して頑張る必要があるのです。

そして、この考え方は応用がききます。

例えば、SFTでより多くの子どもたちを支援するためには売り上げが必要です。
しかし、「より多くの売り上げを上げる!」という目標は
ビジネスチックで、ボランティアをしたい。ボランティア団体に入りたい。という①②の人を遠ざけてしまいます。

しかし、本質をついたこの考えならば
「より多くの大学生と、子どもたちの教育をつなぎたい。」
と言い換えることができて、①②のやりたいことから逸れることはなく
あくまで、「売り上げ」が目標を達成する上でのツールであり一つのフェーズであることがわかります。

私たちはSFTとして活動しています。
しかし、SFTの活動の本質を理解できず
活動を悩んでいる支部員や支部長がいるかと思います。
そんな人たちのソリューションにこの
私の思いと考察を綴った駄文がなれたらと思います。


北大支部 支部長

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