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縫われてない思考

こんばんは、はじめまして!こばるとです。

普段はカオストリップ(Twitter: @chaostrip13)という屋号で、服を作ったりアクセサリー作ったりしています。

ここではそれらが形になる前、まだ縫われてない思考を書き留めたいなと思ってnote始めました🌷

なんだか最近、Twitterが本音を語りづらいツールになってるなぁと感じていて。
というのは多分誰のせいでもなく自分のカッコ悪さゆえで。

物を作って発信することを続けていると、普段の自分からは想像できないくらい賞賛されたり、凄い人のように思ってくれる人もいる。

どれもとんでもなくありがたいことで、すごく嬉しい。嬉しくてフフッと舞い上がりそうになることも度々ある。
けど、そういうとき自分のしょうもなさをそそくさと隠したくなって、
きっとその繰り返しが自分と自分をどんどんかけ離していくんだろうなって怖くなることがある。

もともと何もやりたいことなんてない、だけどちょっと特別になりたいと思っていた平凡な会社員の私が、何かになれるかもと期待して始めたのが物作りで。

手先は器用な方だし、周りには個性的って言われるし、私は道を間違えただけ、もっとクリエイティブなことをすべき人間だ!なんて思っていて。笑

だけどはじめてみて、たくさん実感しました。
頭の中では自由に描いてる線も、形にしてみるとすごくありきたりで平凡であること。

"個性的"という自ら区切った枠の中で見ないようにしていた向こう側は、とんでもなく広かったこと。

特別になろうとするほど自分がいかに平凡であるかを思い知らされて、
それは時に苦痛で自分の存在すら揺るがせる事実だったけれど、そのことに気付けた自分がようやく誇らしいと思えるようになったこと。

平凡とか個性的とか、簡単に区切るけど世界はもっと曖昧で、この美しさにようやく気付いたからこそ、手放したくない。

学生の頃、かっこつけて聴いていた音楽や映画、絵画の凄さをようやく実感したのはここ最近です。

凄いことしてるなぁ、と思っていた人達はみんな現実の中に見出した真理をガリガリとひたすら形作っていて、現実から目を逸らし続けている私はその輪郭すらも掴めてなかった。当たり前だ。

芸術ってほんとに凄い。虚構を通して現実に超気づくための装置だったのすら知らなかった。
どう考えても非現実としか思えない絵画がシュルレアリスム(=超現実主義)って名付けられてるのはそういうことなんだ...とか今更気づく。。

でも自分がその平凡な頭で作り続けている物は、少しずつ自分の人生の断片くらいは描けるようになってる気がするんです。

多分、それが本当に大事なことなんだと思う。

一生平凡で普通で、ただただ気づくために生き続ける自分でいるために、思ったことは書き記していきたいなぁと思っています。

そして文章もちょっとずつ上手くなればいいな、笑
上手くならなくても、できるだけ正直になっていきたいな。

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