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一歩も引かなかった男 「小村寿太郎の外交TERAKOYA」(2019.10.14)後編

▪︎第二部 日本とロシア

小村がロシア駐在になった同じ年、
清国で義和団の乱という外国人排斥運動が起こる。

多国籍軍によって制圧されるも、
そのままロシア軍が満州に居座ってしまう。

「はやり南下する気満々だ・・・」

小村は独自の判断で、秘密裏にウィッテと交渉しようと
保養地ヤルタに向かった。

「ロシアが満州を占有するのを認める。その代わり韓国は日本が主導する」

小村の言葉にウィッテは驚き
「占有ではなく借り受けているだけだ。日本に言われる筋合いはない。
日本が韓国の独立を傷つけるのは同意できない」と一蹴する。

ウィッテの言う”韓国の独立”とは
韓国をあいまいな状態にしておきたいだけの方便。
大国ロシア、強気のウィッテ。力の差を痛感する小村。

「味方がほしい」

最有力は世界最強のイギリス。
陸奥のおかげで良好な関係を築いていた。

外務大臣になった小村は、日英同盟という軍事同盟を結ぶ。
南下政策を止めないロシア。話し合いではラチがあかない。
イギリスという後ろ盾を得て、ロシアと戦うことを決意する。

だが、勝てる見込みは全くない。国力の差が大きすぎる。
歳入は日本が2億5千万、ロシアは20億8千万、
かかった戦費は日本が18億、ロシアは22億。

日本は完全に破産状態。

日本陸軍はボロボロになりながらも勝ち進み、
バルチック艦隊が日本海で日本海軍に敗れたことで
ロシアは講和の席に着くことを了承する。

重税に苦しめられた国民は勝利に沸いた。
しかし実情は正反対。

「帰国後、歓声は怒号に変わるだろう」

でも行かねばならない。戦争を終わらせるために。
小村以外、適任はいない。

陸奥が戦った日清戦争の講和から10年、
日露戦争の講和談判に臨んだ小村は思う。
「いかに厳しい状況になろうとも、陸奥閣下のように
刃の上を駆け抜けて、ロシアと縦横無尽に渡り合ってやる!」

小村は選りすぐりのメンバーを連れて横浜を出港する。

船中で政府が決めた要求に加え、
最終的に12の要求を携えてアメリカに乗り込む。
待ち受けていたのは、かつて小村を一蹴したウィッテ。

日本の命運をかけ、小村はこの男と壮絶な舌戦を繰り広げる。


▪︎第三部 舌戦

第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト。
歴代大統領でも評価の高い人物である。

日露戦争の講和会議の仲介によってノーベル平和賞を受賞した。

小村はまずルーズベルトに会い、味方になってもらえるよう
12の要求を伝え、手の内を明かす。

日本に対しロシアは
「ひと握りの土地も、1ルーブルの金も日本に渡してはならない」
というニコライⅡ世の命令を守るだけだ。

ウィッテの心構えは、
「民衆には愛想よく、マスコミに強いユダヤ人に嫌われないこと」
と、したたかだ。

会議の内容は絶対に秘密に。
小村との約束をウィッテは早速破る。

翌日の新聞に、日本の要求が一字一句違わずに掲載されたのだ。

だが、ロシアが漏らしたのではないとシラを切る。
日本に好意的なマスコミも多く、小村は冷静に対処する。

舌戦が繰り広げられる中、ロシアが絶対に譲らなかったのが
樺太の譲渡と賠償金の支払いだ。領土と金は絶対に渡さない。

要求の一つに「極東での海軍を制限する」というものがある。

ウィッテは説得する
「ロシアは極東に拠点を持とうと考えない。
時代とともに海軍力は変わる。日本と協力体制を作りたい」

さらに「バルチック艦隊は壊滅的である。
今や日本海軍のような巨大な力を持たない」

項目に入れなくても大丈夫、
「トラストミー」とウィッテは言う。

しかしロシアはしばしば約束を破る。
小村は事実に基づいて冷静に反論する。

交渉決裂寸前。
それは戦争継続を意味する。

慌てるルーズベルト。
ロシア皇帝に親書を送り、日本の援護射撃をする。

次の会議で小村は思い切ったことを言う。
「極東での海軍を制限するという要求は撤回する」
あれだけ強気だったのになぜか。

実はロシア海軍の復活までには相当の時間がかかると
小村も予想していた。
この要求は、樺太の譲渡と賠償金の要求を引き出すための
揺さぶりをかけるものだったのだ。

ウィッテは全権委員4人だけで話がしたいと申し出る。
元々戦争に反対していたウィッテだけに、交渉決裂は避けたい。
そこで「樺太を半分こしないか?」と小村に持ちかける。

「それなら半分の代償金を支払って欲しい」
簡単に要求に乗らない小村。
難しいことを承知で本国に確認するとウィッテは約束する。

本国との板挟みになったウィッテは
「日本は金欲しさに戦争をしている」とマスコミに漏らし、
ルーズベルトも譲歩しない小村にムカつき始めていた。

ついにロシア本国は今まで承諾した要求も撤回し、
講和会議を中止し帰国せよとの命令を下す。

小村は日本に電文を送る
「交渉決裂ガ確実」

満州ではロシア軍が続々と増強、
交渉決裂となれば総攻撃をかけるだろう。

最後の会議の前日、小村の元に暗号電文が届く
「賠償金及ビ樺太ヲ放棄セヨ」
解読した随員はすすり泣く。

ところが電文を送った1時間後、
外務省にイギリス大使から驚きの情報が入る。
「ロシア皇帝は南樺太は渡してもいいと言っている」

小村に伝えねば!天皇陛下の御裁可を!
急げ!間に合うのか!

ギリギリで小村はこの情報を受け取り、
ウィッテに最終回答を要求する。
「南樺太は日本に譲っても良い」

本国の情報は本当だったのだ。
ポーカーフェイスで小村は心でつぶやいた。

明治38年9月5日15時47分 ポーツマス条約締結。
日本がどうしても通したかった要求は通り、戦争は終結した。
しかし小村にとっては不本意な結果だった。

「ポーツマスはいつ立ちますか?」
フランス語で話しかけるウィッテに、小村は通訳を介さずに答えた。
会議中はウィッテがフランス語、小村は英語で通訳を使っていたが、
実は小村はフランス語を理解していたのだった。

「なんてヤツだ・・・」ウィッテは愕然とする。

死力を尽くし、体調を崩して帰国した小村。
日本の大衆は、賠償金が取れなかったことで
日比谷で暴動を起こし、小村の自宅も襲撃された。

世界は驚いた。アジアに一等国が誕生してしまった。
ルーズベルトも日本を警戒する発言が増え、
それは40年後につながっていく。

明治を一人の人間に例えると
幕末は胎児、命をかけて生まれようとした時期、
日清戦争は27歳、根拠のない自信を一つ乗り越えて
チャレンジ精神にあふれた時期
日露戦争は37歳、人生で最も大きなプロジェクトを任され
重圧も大きかった時期
40年後、日本は一度生涯を閉じる。

交渉が終わった夜、小村の部屋から嗚咽する声が聞こえたそうだ。
戦争によって重税を課された国民の苦難が、
これからも続くことが悔しかったのだろう。


▪︎エピローグ 陸奥を継ぐ者

明治44年、日本は関税自主権を回復し、
やっと平等条約を手に入れる。

陸奥の望みを引き継ぐ、小村の快挙だった。

この年、小村は旅立つ。
享年56歳。

陸奥を継ぐ者はとても貧乏で、まるで私欲がなく、
日本を背負い戦って、一歩も引かなかった。

この国がロシアにもアメリカにもならなかったのは、
必死で守ってくれた先人たちのおかげなんだ。
では自分には何ができるのか?を考える夜になった。

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