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これぞ真実の神の君「(選)徳川家康TERAKOYA」(23.4.8)

さてみなさん、『どうする家康』はご覧になってますか?
わたしは、とりあえず築山殿が亡くなるまでかなーとか思ったのですが、その後もなんやかんや観ております。

ということで、だいぶ前になっちゃいましたが、4月開催の「(選)徳川家康TERAKOYA」のレポでございます。

プレゼンターは佐幕おじさんことチャンプ先生。
で、開始早々

「はい、今日の結論です」
から始まり、家康=狸=腹黒いというイメージ満載の方広寺鐘銘事件から大坂の陣にいたる、家康が秀頼にいちゃもんつけて騙したエピソードを語って「完」、まさかのプレゼンター退場。

と、ここからがチャンプ先生の真骨頂、再登場でいよいよ第一部がスタート!

◆第一部 誤解
事実はどうかというと「国家安康って家と康が離れておるっ!けしからん!」なんて家康公はいちゃもんつけてないし、大阪城の内堀を埋めるのも秀頼と約束してたんだって。とはいえ、結局、豊臣家は滅ぼされた。

プレゼンターは問いかける。家康公が征夷大将軍になった年から大坂冬の陣まで12年空いている。その間に何があったのか?ということだ。

答えはこれ↓

あれ?この話、ちょっと前も聞いたような・・・
(参考:島原の乱TERAKOYA)


◆第二部 暗闘
鎖国というと家康公が始めたって印象だけど、本当はこんな夢を持っていた。

とはいえ、キリスト教と貿易ってセット販売的なところがある・・・
そんな時、純粋に貿易したいプロテスタントのウィリアム・アダムスと出会う。一方で、カトリックはこんな野望を持っていた。

きな臭いカトリック・・・ということで「キリスト教禁教」!
行き場をなくしたカトリックはどこへ向かう・・・?

そうです、秀頼くんのところです。さらに関ヶ原の戦いの敗者側で牢人となった人も秀頼くんの元に集結!
・・・何か見えてきましたね。

ところが、いよいよ大坂城に総攻撃という段階になっても家康公はなかなか命令を下せなかった。プレゼンターいわく、彼の中にはこんな思いがあったのかもしれない、と。

が、戦を避けることはできず、二代将軍・秀忠の「将来の禍根は断つべきです」の言葉に苦渋の決断を下す・・・


◆第三部 三河武士
幼い頃から人質となった家康。
父親が家臣に殺され、人質の身で主君となった。
主君不在の地で、家臣たちも今川の重税に苦しめられた。

三河一向一揆は家臣たちを二分し、家康を裏切った者もいた。
だが、その中にはのちに家康の盾となり身代わりとなった者もいる。

時は流れ、ある時、秀吉が家康に尋ねた。
「家康殿はどんな宝物をお持ちかな?」

家康は答える
「私は三河の田舎武士です。金銀財宝はありませんが、宝といえば私を守ってくれる大切な家臣です」

きっと、たった一人成り上がった秀吉は強烈に嫉妬したんじゃないかと、わたしは思う。

家康が欲しかったのは天下じゃない。
望んだのは平和な世の中。
厭離穢土 欣求浄土の旗の下に・・・

家臣を思い、平和が続くことを願った家康公。
三河武士たちがいたからこそ、歴史上、稀に見る平和な時代が築かれたのだ。

(選)ってことで再放送かと思いきや、面白さ増してる、さすがなプレゼンでした。

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