見出し画像

ドゥーピーズ『DOOPEE TIME』(1995)

アルバム情報

アーティスト: ドゥーピーズ
リリース日: 1995/10/20
レーベル: フォーライフ(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は69位でした。

メンバーの感想

The End End

 ハイパーポップ的と言えるんでしょうか?とびきりキュートで親しみやすいポップスを解体/脱構築して生み出されているという点で。ちょっと摩訶不思議すぎるけど、PUMPEEみたいに可愛らしくて、ステレオラブみたいにスマートで、聴いていてとても楽しかった。あと最後にクラフトワーク(だよね?)まで持ってくる不敵っぷりに思わず笑顔になる。

桜子

 ラジオのジングルのような、ショーの幕開けのような、不思議な期待感の残る曲が多い。
 子供の声のようなボーカルがより一層不思議さを引き出している。
 TIME AND SPACEの歌の譜割とテンポ感が好き。全部カッコよくて可愛いけど、この曲だけ何回も聴いてる。

俊介

 前知識なく聴いて渋谷系?って思ったけどそうでもないっぽい。なんだこれってかんじ、でもかなりいいです。これなに?っていう挑戦的な曲も多いけどアルバム通すとすんなりいける。
 最高にDoopeeなtime過ごしたわず(*^。^*)

湘南ギャル

 現実とは遠く離れた場所まで連れて行ってくれるアルバムが好きだ。そして、そういった作品は大抵太っ腹だ。ただ連れて行ってくれるだけじゃなく、その場に溶け込ませてくれる。その時、音楽を聴いている自分はもはや自分ではなく、その場に存在する大気に近い。
 DOOPEE TIMEのジャケットの裏側には、“CUTE MUSIC is keep you healthy, mind clear.”と書かれている。本当にその通りだ!ゴミカスみたいなこの世で生きてるとしなしなになってしまう日もあるけど、そんな時はすべてを置いてDOOPEEランドまで連れて行ってもらおう。戻る頃には少し元気になった自分が出迎えてくれるはずだ。

しろみけさん

 周囲で″ポスト/ネオ渋谷系″を掲げている人間を、少なくとも3人知っている。彼らの文脈はバラバラだ。いわば同時多発的に、東京でそういう意識をもった同世代が生まれている。
 思うに渋谷系とは、聴取環境の大幅な拡張が行われた時期に起こる、世代特有の現象なのかもしれない。90年代のそれは輸入盤レコード文化によって引き起こされ、ポスト/ネオ渋谷系を標榜している同世代にとってのそれはサブスクの上陸によって引き起こされた。そんな見立てをしたくなる。現に彼らの共通点として″引用″を美点としている節があり、「何を引くのか」というセンスに意識が向いているからこそ、先達しての渋谷系に焦点が当てられているように思える。ただ90年代のそれと異なり、現実の渋谷エリアをはじめとした土地がフィーチャーされているわけではない。今は渋谷よりもSpotifyの方が渋谷だ。
 正直、『DOOPIE TIME』を聞いてもピンとこなかった。それは多分、こういう音楽の聞き方を日常的にしていて、あまりに普通に聞こえたからだろう。恐ろしいことに、Spotifyを使えば「Caroline, No」とT H E   L A S T  R O C K S T A R Sとシューベルトの交響曲と2パックだけのプレイリストを即座に作れて、それをシャッフルしながらリピートすることだってできる。いつでもどこでも引用できちゃう、かがくのちからってすげー!

談合坂

 良い意味で1時間超という尺以上の長旅だった。時間というより距離が長い。
 セットとキャストで構成されたテーマパークみたいだけど、素直にその世界に浸る楽しみ方もあれば、メタな部分を探る楽しみ方だってある。明示的な引用だったりカバー曲だったり、どうにもこちら側の現実を呼び起こす向きが強いように思えるこの作品だけど、奥へ進んでいくとそれすら作品世界の中にできていたものだったかのように思えてきたりもする。今で言えば「カワイイ」が一番近いような気がする。

 この頃になるとプログラミングやデジタル楽器の音が私の耳に馴染みのあるものになっていることが分かる。作品の内容については華やかさ、可愛らしさ、そして少しの毒気で構成されていて「不思議の国のアリス」や「チャーリーとチョコレート工場」みたいな味わいがある。少し調べるとヴェイパーウェーブに近い精神性を持って作られたらしく、ヤン冨田の先見性が目立つ。

みせざき

 「ヘッド博士の時計塔」の世界線で出てきた作品だと断言できる作品、まさに解体新書と言えるようなもので、正直全体像が上手く掴めなかったです。
 Frank Oceanの作品には(Channel Orangeなど)、どこに定住するか分からない作品全体の不思議さ、容量の多さを感じることが良くあるが、それに似た雰囲気を感じました。そう言えばInterrudeの雰囲気もちょっとそれっぽい。なのでこの作品を全体的に理解仕切るにはまだ時間が必要だと思いました。
 このメロウさといびつさや雑さ、これらが上手く融合してそうで融合してなさそうで、融合している、そんな作品に感じました。

和田醉象

 楽曲の雰囲気やボーカルはベッドルームポップっぽいというか、90年代ぽいらしい感じがしないのだが、サンプリングの癖やボーカルのメロディのラインが渋谷系、というところで日本らしさを感じる。『TIME AND SPACE』のイントロなど、音づかいは渋谷系というよりもニューエイジらしさも感じる。CD文化が見事に発達して、80分すり切り一杯まで曲が入っているのも愛おしい。
 さまざまな写真の似ている箇所を繋げて、一枚の大きな名画にしている感じがあり、構造に違和感があるものの、その違和感は悪いものではなく、むしろこの絵を見ることでしか楽しめないものだ。サンプリング文化がある意味極まれり!という感じで素晴らしい。というかよくこれ配信できるな。

渡田

 豪華なホーン、ドラムロールによるイントロや、コーラスやメロディに比べて明らかに大きな音に調整されたボーカルの声など、音楽というよりは演劇やミュージカルを見ている気分になる。
 耳元で囁いているかのような歌声、過剰なピッチシフターの掛け方、ぶつ切りの音源の繋ぎ合わせなど、普通は音楽アルバムに入っていれば困惑せざるを得ないような前衛的な演出も、この演劇を観ているような感覚の中なら受け入れることができた。
 架空の少女二人組によるアルバムというコンセプトからして、どれも人を食ったような演出ばかりだったが、その裏には聴き手に狙い通りの印象を与えるための妥協無い調整や自己点検があったことが伺える。こうした点からは、自分が思いついた面白いことで人を楽しませたいという演出者としての真摯な意識が読み取れて、こちらも素直な心でその斬新な演出に驚かされ、楽しめた。

次回予告

次回は、フィッシュマンズ『空中キャンプ』を扱います。

#或る歴史或る耳
#音楽
#アルバムレビュー
#ドゥーピーズ
#DOOPEES


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?